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第41話 不穏な知らせ

 ようやく代官・梶山治兵衛が山村を訪れた。災害発生から十二日目のことである。梶山は平谷村、押村、山村、苗田村を管轄しており、各村々の被害状況を取りまとめていた。


「忠次郎、これは見事な被害注進状だ……」

「代官さま、それを基に、ぜひ現地で状況を確認していただきたいのです」

「うーん……まあ、待て。まずはここからの景色を見て、大体の状況を把握しよう」


 そう言いながら、梶山は出された井戸水を飲み干し、宮迫神社の境内から山村を一望した。


「山村の避難所は、この界隈では最も環境が整っておるな。流石は国宗家だ」

「ありがとうございます。しかし、ここより南東に位置する神田家の縄張りはかなり酷く、ぜひともご支援を賜りたく……」

「神田の本百姓らは廃城跡に避難してるのか?」

「はい。ただ、食料が……」

「……ふむ、どこもかしこも困窮してるしな。何とかしてやりたいが、藩も財政が厳しいのだ」

「しかし、このままでは領民たちは餓死してしまいます」

「年貢を納められない村が相次いでおっての。他の藩から救済米をかき集めてはいるが……はたして間に合うかどうか……」

「そ、そんな……」


 忠次郎の表情に焦りが滲む。


「忠次郎、この注進状は非常に助かる。優先的に支援することを約束しよう。だが、その代わり ─ ─ 庄屋として領民を抑えてくれ」

「え……?」

「最悪、神田の本百姓は見捨てろ」

「み、見捨てる……!?」

「村から出て行ってもらうしかない。親戚・知人を頼れば、何とか生き延びることもできるだろう。野垂れ死ぬよりはマシだ」

「で、ですが……行き場のない領民もいるのです。代官さま、何とぞご慈悲を……!」

「忠次郎。庄屋とは、時として非情な判断を下さねばならん……村を守るためにな」

「……そんなあ、あまりにも酷すぎます……」


 梶山は冷静に忠次郎を見つめ、ゆっくりと歩き出す。

「うむ。大体の状況は把握した。まずは、街道沿いから見て回るとするか」

「は、はい……」


 忠次郎の心には、全員救うことはできないのかと、どうしようもない絶望感が広がっていた。



 一方、廃城跡では、食事の後片付けや寝床の掃除が進み、男たちの語らいと女衆、子供たちの笑い声が響いていた。久しぶりに食事にありつけた領民たちは、次第に活気を取り戻しつつある。


 そんな中、俺は廃城跡から見える雑木林に漂う気配を探るべく、宝刀を握りしめながらその正体を追った。もし新たな敵ならば、領民を巻き込むわけにはいかない。


 雑木林に入ると、鬱蒼と生い茂る樹々の間から、かすかな笑い声が聞こえてきた。それは、どこかあざけるような響きを帯びている。


「何者だ?」

「フフフ……あーあ、また無茶な人助けか?」


─ ─ スッ。黒装束の男が、音もなく目の前に現れた。


「えっ……は、半蔵!?」

「私がお前を監視してること、忘れたか?」

「いや……だが、まさか半蔵とは思わなかった。驚いたぞ」

「フッ、まあいい。それより……」

「何か急ぎの用か?」

「うむ。福島正則公が江戸を出立したそうだ」

「ん?」

「国元へ戻り、野分台風による被害状況を確認するらしい」

「そうか。広島城もかなりの被害を受けたと聞く」

「問題はここからだ。その道中で、お前に接見するつもりだ」

「……なにっ!?」

「さて、どうする?」

「どうするって……一体、何の意図だ?」

「さあな」

「俺を捕らえるためか!?」

「もし、そうだとしたら今のうちにここを離れるという手もあるが?」


─ ─ い、いよいよ、その時が来たのか……!?


「いや、今の状況で山村を離れたくはない」

「ふーむ。まあ、お前ならそう言うと思った。だが、本当にそれでいいのか? 近いうちに知らせが来る。それまでにじっくり考えておけ」

「あ、ああ……」

「私も大夫正則が接見を望む理由を探ってみよう。それに ─ ─ 藤林長門守が新たな隠密を放ったと聞く。その動向も気になる。……じゃあな、悩める小僧よ」


 半蔵は闇に紛れ、静かに姿を消した。


 これは、出頭せよということか。その場で捕えられ、宝刀を奪われ、幕府に突き出されて斬首 ─ ─ 。

 俺は恐れて逃げるのか? いや、逃げたらどうなる? 国宗家が罰せられるかもしれないし、ここに残った百姓たちは飢え死にするかもしれない。そんなことは許されない。


 そして、頭に浮かんだのは、お久の笑顔……。どうしようもない複雑な感情が胸を締めつける。


 暫くまとまらない思考を巡らせていたが、考えるまでもない気がした。いや、それよりも、考えたくないという気持ちの方が強かった。俺は深く息を吐き、何ごともなかったかのように廃城跡へと足を向けた。


 むしろで囲った粗末な寝床に入ると、兄妹のまどろむ姿が目に映る。俺はそっと古びた着物を掛けてやった。


「お兄ちゃん……ありがと」

「お前ら、名は何と言うんだ?」

「おいら、源だ」

「あたい、和よ」

「いい名だな。源、和……ゆっくり休めよ」


 やはり、俺はここを見捨てるわけにはいかない。どんな結末が待っていようとも、それが俺の答えだ。


 決意と、拭いきれぬ不安を抱えながらも、静かに兄妹の寝顔を見つめていた ─ ─。




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