ようやく代官・梶山治兵衛が山村を訪れた。災害発生から十二日目のことである。梶山は平谷村、押村、山村、苗田村を管轄しており、各村々の被害状況を取りまとめていた。
「忠次郎、これは見事な被害注進状だ……」
「代官さま、それを基に、ぜひ現地で状況を確認していただきたいのです」
「うーん……まあ、待て。まずはここからの景色を見て、大体の状況を把握しよう」
そう言いながら、梶山は出された井戸水を飲み干し、宮迫神社の境内から山村を一望した。
「山村の避難所は、この界隈では最も環境が整っておるな。流石は国宗家だ」
「ありがとうございます。しかし、ここより南東に位置する神田家の縄張りはかなり酷く、ぜひともご支援を賜りたく……」
「神田の本百姓らは廃城跡に避難してるのか?」
「はい。ただ、食料が……」
「……ふむ、どこもかしこも困窮してるしな。何とかしてやりたいが、藩も財政が厳しいのだ」
「しかし、このままでは領民たちは餓死してしまいます」
「年貢を納められない村が相次いでおっての。他の藩から救済米をかき集めてはいるが……はたして間に合うかどうか……」
「そ、そんな……」
忠次郎の表情に焦りが滲む。
「忠次郎、この注進状は非常に助かる。優先的に支援することを約束しよう。だが、その代わり ─ ─ 庄屋として領民を抑えてくれ」
「え……?」
「最悪、神田の本百姓は見捨てろ」
「み、見捨てる……!?」
「村から出て行ってもらうしかない。親戚・知人を頼れば、何とか生き延びることもできるだろう。野垂れ死ぬよりはマシだ」
「で、ですが……行き場のない領民もいるのです。代官さま、何とぞご慈悲を……!」
「忠次郎。庄屋とは、時として非情な判断を下さねばならん……村を守るためにな」
「……そんなあ、あまりにも酷すぎます……」
梶山は冷静に忠次郎を見つめ、ゆっくりと歩き出す。
「うむ。大体の状況は把握した。まずは、街道沿いから見て回るとするか」
「は、はい……」
忠次郎の心には、全員救うことはできないのかと、どうしようもない絶望感が広がっていた。
一方、廃城跡では、食事の後片付けや寝床の掃除が進み、男たちの語らいと女衆、子供たちの笑い声が響いていた。久しぶりに食事にありつけた領民たちは、次第に活気を取り戻しつつある。
そんな中、俺は廃城跡から見える雑木林に漂う気配を探るべく、宝刀を握りしめながらその正体を追った。もし新たな敵ならば、領民を巻き込むわけにはいかない。
雑木林に入ると、鬱蒼と生い茂る樹々の間から、かすかな笑い声が聞こえてきた。それは、どこか
「何者だ?」
「フフフ……あーあ、また無茶な人助けか?」
─ ─ スッ。黒装束の男が、音もなく目の前に現れた。
「えっ……は、半蔵!?」
「私がお前を監視してること、忘れたか?」
「いや……だが、まさか半蔵とは思わなかった。驚いたぞ」
「フッ、まあいい。それより……」
「何か急ぎの用か?」
「うむ。福島正則公が江戸を出立したそうだ」
「ん?」
「国元へ戻り、
「そうか。広島城もかなりの被害を受けたと聞く」
「問題はここからだ。その道中で、お前に接見するつもりだ」
「……なにっ!?」
「さて、どうする?」
「どうするって……一体、何の意図だ?」
「さあな」
「俺を捕らえるためか!?」
「もし、そうだとしたら今のうちにここを離れるという手もあるが?」
─ ─ い、いよいよ、その時が来たのか……!?
「いや、今の状況で山村を離れたくはない」
「ふーむ。まあ、お前ならそう言うと思った。だが、本当にそれでいいのか? 近いうちに知らせが来る。それまでにじっくり考えておけ」
「あ、ああ……」
「私も
半蔵は闇に紛れ、静かに姿を消した。
これは、出頭せよということか。その場で捕えられ、宝刀を奪われ、幕府に突き出されて斬首 ─ ─ 。
俺は恐れて逃げるのか? いや、逃げたらどうなる? 国宗家が罰せられるかもしれないし、ここに残った百姓たちは飢え死にするかもしれない。そんなことは許されない。
そして、頭に浮かんだのは、お久の笑顔……。どうしようもない複雑な感情が胸を締めつける。
暫くまとまらない思考を巡らせていたが、考えるまでもない気がした。いや、それよりも、考えたくないという気持ちの方が強かった。俺は深く息を吐き、何ごともなかったかのように廃城跡へと足を向けた。
「お兄ちゃん……ありがと」
「お前ら、名は何と言うんだ?」
「おいら、源だ」
「あたい、和よ」
「いい名だな。源、和……ゆっくり休めよ」
やはり、俺はここを見捨てるわけにはいかない。どんな結末が待っていようとも、それが俺の答えだ。
決意と、拭いきれぬ不安を抱えながらも、静かに兄妹の寝顔を見つめていた ─ ─。