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第38話 一心不乱な駆け出し

 宮迫神社は、行き場を失った領民たちの『避難所』であると同時に、村の行政を担う『庄屋』の役割も兼ねた施設となっていた。


 夕方になると、炊き出しの準備に励む女衆、洗濯物を取り込む母親たち、社殿から村を見下ろし復興の進捗を確認する郎党、そして子供をあやす老人の姿など、さまざまな人々が集まり、神社は活気に満ちていた。


 そこへ、息を切らした国宗家の郎党らが駆け寄ってきた。どの顔も興奮を隠せない様子である。

「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 そのとき、忠吾郎はちょうど敷地内の焚き火に薪をくべていた。

「あ、どうしたんですか?」

「ち、忠吾……忠次郎さまとお久さまはどこに!?」

「忠次郎さまは社殿におられます。お久さまは……ほら、あそこです」


 視線の先には、炊き出し中の女衆の姿があった。その中で、お久は雑炊をかき混ぜながら忙しそうに働いている。


「真田さまが戻ってこられたぞ!」


 一瞬、忠吾郎は言葉の意味を理解できず、戸惑った。反応の鈍い彼に、郎党は焦れったそうに声を荒げる。


「生きておられたのだ!」


 やがて、ようやく事態を飲み込んだ忠吾郎は、驚きと歓喜に震えながら郎党に聞き返した。


「あ、あ、そ、それは本当でございますか!?」

「ああ、本当だ。旦那さまからの言付けで、至急、忠次郎さまとお久さまを呼んでこいとのことだ!」


「あああああああっ! お、お久さまあーー! 大変だあーっ!」


「え? 忠吾……呼んだ?」

「なぁに、うるさいわねー」

 忠吾郎の大声は、敷地内にいる領民はもちろん、社殿にいた忠次郎の耳にも届いた。

「なんだ、なんだ……騒がしいな」

「どうしたの、忠吾……?」

 忠吾郎は大きく息を吸い込み、ありったけの声を張り上げた。


「大助さまが生きておるぞおおおーーっ!!」


 その瞬間、神社はまるで時間が止まったかのように、静まり返った。


「な、なんだと……!?」

 社殿から慌てて飛び出した忠次郎は、国宗の郎党に詰め寄った。その足は微かに震えている。

「そ、それは……まことか……?」

「へい! お元気でいらっしゃいます!」

「わあああああーーっ! やっぱり僕の師匠は不死身だあーーい! 大助さまあーーっ!」

 忠吾郎は歓喜のあまり、国宗の屋敷へ向かって駆け出した。

「あ、ま、待て忠吾……私も行くっ!」

 忠次郎もその後を追い、必死に走り出した。


 炊き出しの場では、女衆がお久のもとで涙を流しながら抱き合っていた。皆、お久の気持ちを思いやり、共に喜んでいたのだ。


「……ああっ、本当に、よかったですね」

「お久さまも、さあ、早く行ってらっしゃい!」

「で、でも……いいのかしら……」

「いいも何も! あとは私たちに任せてください!」


 お久はふらふらと数歩前へ踏み出した。そのとき、奥方がそっと手を差し伸べる。

「今日はもう帰ってこなくていいから」

「母上……」

「さあ、お久さま。参りましょう!」


 郎党とともに山を下るお久の顔には、まだ信じられないという戸惑いと緊張の色が浮かんでいた。しかし、歩を進めるにつれ、それは次第に喜びと希望へと変わっていく。そして気づけば、一心不乱に駆け出していた。


 国宗の母屋で忠左衛門らとくつろいでいると、勢いよく「バァン!」と戸が開き、騒々しく忠吾郎が飛び込んできた。


「大助さまああああああああっ!」

「ち、忠吾郎か!?」

「うわーーーーん!」

 忠吾郎は人目もはばからず俺に抱きつき、声を上げて泣きじゃくる。

「おい、泣くことはないだろ……」

「だって、だって、もう会えなくなったと思ってたんだよお!」

「まあ、何とか助かったよ。もう大丈夫だ」

「うわーーーーん!」

 忠吾郎は俺の胸に顔を埋め、しばらくの間、泣き続けた。


 そこへ、今度は忠次郎も駆け戻ってきた。

「大助さま……心配しました、本当に良かったです……うぅ……」

「おいおい、忠次郎までか」

「若のこと、皆心配してたんですな」

「私は、大助さまに相談したいことがたくさんあったんです……心細かった……ううっ……大助さま……」

 忠次郎はその場に膝をつき、涙をこぼした。

「心配をかけてすまなかった。許してくれ、忠次郎、忠吾郎」


「わ、若……」

「ん?」

 六郎の視線を追うと、土間の入り口で息を切らし、立ち尽くしている人影があった。お久だ。

「行っておやりなされ」

「う、うん」

 俺は立ち上がり、お久のもとへ歩み寄る。

「お久……」

 お久は俯きながら、そっと俺の袖を引いた。

「……おかえりなさいませ、大助さま……」

「ただいま、お久」

「……あい」

 次の瞬間、俺は思わず彼女を抱きしめた。

「あっ」

 お久もそっと手を回し、しがみつくように俺を抱きしめる。

「もう、どこにも行っちゃイヤです……」

「ああ……」


 その晩、俺はお久をそっと腕に抱き寄せ、共に夜を過ごした。



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