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第35話 敵が味方か

「あのな……お前、何やってんだよ」


 ここは山林郷の北東にそびえ立つ山。その中腹には洞窟があり、ちょうど矢野郷との境目で人が滅多に訪れない静かな場所だ。


「命、大切にしろって言っただろうが……」


 洞窟の前に立つ男は、険しい表情でふもとを見下ろしていた。

 相手に返事はない。ただ、洞窟の中で微かに聞こえる寝息があるだけだ。


「ねえ、なに独り言なんか言ってんのさ?」

 洞窟から軽やかな声が響いた。

「独り言じゃない。小僧に言ってんだ」

「寝てるよ。それに、もう小僧じゃないし」

「私にとってはまだ小僧だ」

「18歳だよ。もう立派な青年よお」


 声の主は、裸の青年を大事そうに抱きしめながら、柔らかく笑っている。

「でも、この子可愛いわ。3年経っても変わらないね。うふふ」

 男は眉をひそめ、少し呆れたような口調で言った。

「お前、いつまでも裸で抱いてんじゃねえ」

「いいじゃない。暖めてあげてるんだから」


「う……うーん……」

「あ、起きちゃった」


 薄暗い小さな洞窟の中で、むしろの上に寝かされ、上には着物が掛けられている。そして、目を開けると見知らぬ裸の女に抱かれていた。


「……ハッ、な、何だ!? ここはどこだ!?」

「おはよう、大助ちゃん」

「えっ! お、おお前は誰だ!? なんで裸なんだ!?」

「あん、まだ起き上がっちゃダメだよう」

「い、痛っ……」


 混乱する頭に鈍い痛みが走る。意識は戻ったが状況がまるで飲み込めない。


「ようやく生き返ったか」

 低く落ち着いた声が、洞窟の入り口から響いた。

「あ、貴方は……!」

「久しぶりだな、真田大助」


「服部……半蔵!?」


 そこには懐かしい姿があった。

 瀬戸内の島で戦って以来だ。それなのに、なぜ彼がここに? というか、ここは一体どこなんだ? 

 疑問が次々と頭をよぎり、混乱がさらに深まる。


「お前、何て無茶な人助けをするんだよ」

「い、いや……あれは無我夢中だったんだ……」

「おかげで蘇生に手間取ったぞ」

「すまん……あっ、そうだ、もう一人……もう一人いただろう!?」


 慌てて尋ねると、半蔵は無言で洞窟の奥を指差した。

「……義理はないが、ついでに助けてやったさ」

「!?」


 指の先には、俺と同じように着物を掛けられ、静かに眠っている辰三郎の姿があった。

「辰三郎!? 助かったのか!?」

「命拾いしたが、かなり危なかったな」

 半蔵は淡々と答えたが、その目にはわずかな安堵の色が見える。


「……ありがとう、半蔵。本当に、ありがとう」


 思わず拳を握りしめ、胸の中が熱くなる。辰三郎の無事を確認した瞬間、心に押し寄せてきたのは安堵と感謝だった。俺は胸を撫で下ろし、そのまま横たわった。そして考える。


 恐らく、ここは俺を監視する伊賀の者たちの拠点なのだろう。つまり、命を救われたのも、結局は上意 ─ ─ 幕府の命令に従ったまでのこと。もはや俺は生け捕りにされたも同然か。

 いや、待て。確か隠密は統制が乱れているはず。ならば、ここにいる彼らは本当に幕府の意志に従っているのか?

 そして、何より気になるのは半蔵の存在だ。彼は単独で行動していた。それなのに、なぜ伊賀の拠点にいる?


「半蔵……お前は伊賀の一員なのか? 俺を宝刀ごと捕らえるつもりか?」

「ふん、私は敵ではない。むしろ、お前の味方だ」

「味方? どういうことだ?」

「私は藤林長門守から伊賀の者たちを奪ったのさ」


 その言葉の意味を測りかねていると、さっきから裸の女が俺の頭を撫でているのに気づく。

「はんぞー、わかりづらいよお?」

 目覚めた時から、この艶めかしい女が気になって仕方ない。落ち着かないせいか、肩の傷が疼き始めた。

「痛たた……」

「あー、よしよし。まだ痛むんだね」

「……アンタ、誰なんだ?」

「ははは。この女は『くノ一』で、私の一族だ」

「大助ちゃん、監視役のお紺だよ。よろしくね、うふふ」

「くノ一……」


─ ─ ああっ、思い出した。昔、辰太郎とやり合った後、草原の大木から飛苦無とびくないを投げつけてきた一味に女忍びがいた。そして、「大助ちゃん」と馴れ馴れしく呼びかけてきた、あの声。妙に親しげだとは思っていたが……まさか、ここで再会するとは。


 ……しかし、何はともあれ俺たちはそんな伊賀の者たちに助けられたことは確かだ。


「お紺、礼は言う。助けてくれてありがとう。だが、何か着てくれ」

「恥ずかしいのね。はい、はい。分かったよお」

 お紺(27歳)は素早く忍び装束に身を包むと、湧き水を汲みに外へ出て行った。


「大助、芸州に派遣されてる忍びは二手に分かれている。一つは広島城を監視する者たち。そして、もう一つがこの拠点だ。そしてな、ここの忍びたちは、すでに私に寝返っている。長門守に従っているように見せかけているが、実際は違う。まあ、元々私の配下だった者ばかりだが」


「半蔵、お前は誰に仕えているんだ?」

「誰にも。これは私の趣味でやってることだからな」

「それじゃあ、寝返りも何もないだろう……」

「ははは、皆んな私の趣味に付き合っているだけさ。『真田大助を守る』 ─ ─ それが私の道楽ってやつだ」

「……それは、宝刀が欲しいから……なのか?」

「ふむ。さて、どうだろうな」


 命を救われたんだ。ならば、礼として半蔵が望むなら、宝刀を譲るべきなのか……。


 俺は、むしろの上に置かれた宝刀をじっと見つめた。あの濁流の中でも失われることなく、それどころか傷一つない、美しい刀 ─ ─


 半蔵は静かに空を仰ぎ、何かを考えているようだった。

「……要らないのか?」

「もはや宝刀など興味はない。念仏で無敵になるなど、ただの流言にすぎん。その刀はお前のものだ。死ぬまで大切に持っていろ」

「半蔵……?」

「私は徳川幕府や長門守に一泡吹かせたいのだ。豊臣に味方した最後の残党落武者を守ることでな」


 そこへ、お紺が水桶を抱えて戻ってきた。

「はんぞー、アレ……」

「ん? 何だ? ああ、もう迎えが来たのか」

「そんなこと言って……自分で僅かな灰煙焚いて誘ったくせに」

「だが、妙に殺気立ってるな……」


 洞窟に向かって一人の男の影が近づいてくる。戦闘態勢の六郎だった。




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