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第31話 野分の襲来

「ゴォー、ゴォー、ビュウー、ビュウー……」

 山の木々が左右に揺れ、畦道あぜみちは砂ぼこりが舞い上がり、歩くことすら困難な状況になっていた。


「こりゃ……ついに大きいのが来たか」

 忠兵衛が夜空を見上げ、低く呟く。野分台風が近づいているのだ。ここ数年は大きな被害がなかったが、今回ばかりは違うかもしれない。


「若、雨も降り始めましたな」

「天候はなるようにしかならん。そのために備えをしてきたんだ」

 武蔵から貰った米二俵はアワやヒエに換え、穀物には十分余裕がある。それに加え、自家製の味噌、川魚や猪の干物、山菜、大豆、かぼちゃ、ヒラタケなど、食材も豊富だ。さらに川沿いは堤防を整備し、緊急時に備えてかます(土嚢)も用意している。


「パラパラパラ……ザーーッ……ドザアーーッ!」

 次第に雨脚が強まり、叩きつけるような豪雨となった。不安な夜が続く中、暴風に耐えきれず屋根の一部が剥がれて飛んでいく音も聞こえる。


「六郎、早めに収穫しておいて良かったな」

「まことですな……。しかし、二郷川の音が気になりますなあ」

「かなりの濁流だろうが、あの高い堤防を越えることはないだろう」


 川の様子を見に行きたい衝動に駆られたが、夜の暴風雨の中で増水した川を確認するのは危険極まりない。日が昇るまで待つしかないと、自分に言い聞かせた。


「六郎、早朝から自衛団を集めるぞ」

「ははっ!」


 山村では災害が発生した場合、宮迫神社に本百姓らが集まり、情報収集や被災者の救護、復興の準備を行う組織が整えられている。


 夜が明け始めた頃のことだ。


「大助、もう限界じゃ! 少しずつ放流するぞ!」

 豪雨の中、びしょ濡れの辰三郎が駆け込んできた。

溜池ためいけが決壊したら元も子もない。水門は無事なんだろうな?」

「ああ、水門は死守する!」

「よし、それは任せた。俺は自衛団を招集する。何かあれば宮迫神社へ来るんだ!」

「おう、分かった!」


 朝早くから神社に面前や神田家、そして本百姓たちが集まり、それぞれの被害状況を確認した。今のところ、怪我人や二郷川の氾濫、土砂崩れの発生はなかったが、暴風で建物の一部が損壊し、作物への被害が深刻だった。


「暴風で稲ごと持っていかれたわ!」

「畠が水浸しだ。このままじゃ作物が全部駄目になる!」


 本百姓たちは収穫前の作物が台無しになったことを嘆いていたが、俺は警護役として声を張り上げた。


「まずは命を守ることが最優先だ。長雨が続けば川が決壊する恐れがある。各自、いざという時は迷わず避難せよ!」

 俺は山村の『警護役』としてこの場を取り仕切る。

 加えて、各関所へ人を配置し、氾濫の兆しがあれば速やかに避難指示を出すよう手配した。


「よし、面前から郎党を十名配置させよう!」

「神田も相応の人手を出します!」

「国宗も協力する!」

「あとは富盛だ。溜池は既に限界に来ている」

「そ、そりゃ誠でございますか?」

「これだけの豪雨が続いてる。ギリギリの所で放流してるそうだ」

「それは危ない! ただでさえ二郷川は増水している。おい、すぐに郎党を配置しろ!」

 面前、神田家が郎党に指図した。


 自衛団全体の指揮しながら、俺はさらに忠吾郎に指示を出す。

「忠吾郎、富盛の様子を見に行ってくれ」

「承知しました!」

「それから神社を避難場所として構える。手の空いた者は食材や衣類を運ぶんだ」

「ははっ!」


 暴風は続くが、雨は少し落ち着いてきた。俺と六郎は「離れ」からアワやヒエなどの食材を運び出し、神社へ届けた。神社では忠兵衛と忠左衛門を中心に、国宗の郎党が社殿を補強し、避難所を広く使えるよう整備している。


「大助さま、溜池は溢れる寸前のところで辰三郎殿がうまく放流し、水門も無事のようです!」

「そうか……野分が通り過ぎて、雨が止んでくれればいいんだが」


 神社には村の子供、妊婦、年寄りなどが避難し、女衆たちが食事を準備して分け与えている。もはや誰がどれほどの食材を持ち寄ったか分からないが、村全体が一つの家族のように支え合っていた。


 夕方になると暴風は徐々に和らいできた。野分は通過しつつあるが、雨は依然として降り続いている。


「六郎、忠吾郎、富盛へ行くぞ!」

「ははっ!」


─ ─ このままでは、極めて危険だ。



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