忠吾郎は木の上に居た。ただオロオロしている。
「ああ、良かった。無事ですな」
「どうした、忠吾……」
その時、犬が急に吠え出し、「ワワン、ワワン、ワウ、ウウ!」と鳴きながら落とし穴の方へ勢いよく走り出した。
「だ、大助さま……穴に」
「うん?」
落とし穴まで行くと忠吾郎の驚いた意味が分かった。何と、猪が落ちていたのだ。
「でかしたぞ、忠吾郎!」
「いや、僕は何も……」
「いや、お前が気配消したから罠に引っかかったんだ。忠吾郎、降りてこい。とどめを刺せ」
「良いんですか!? やったー!」
竹槍に刺さった猪はもがいてたが、もがけばまた竹槍に刺さる。ついに観念したのか弱り果てた様子でじっとしていた。
「ええいいいいいいいいっ!」
忠吾郎が渾身の力で槍を突き、一発で仕留めた。なかなか筋が良い。
こうして猪狩りは二匹の大収穫となり、重い獣を抱えながら国宗家へと戻った。
「大助さま!?」
猪二匹を見たお久や女衆は、喜ぶというより驚きで目を丸くしていた。
「ど、どうやって
「それは俺がやる。お久、準備を頼む」
「あい。でも私たちも手伝います」
「気持ち悪くなるぞ?」
「大丈夫です! ね、皆さん」
「はい! だって今日は猪鍋ですもの!」
そこへ忠兵衛が上機嫌で現れ、猪を見て笑った。
「ははは、猪鍋は明日になるだろうな。真田さま、ありがたくご馳走になりますぞ」
「忠兵衛殿、猟犬たちのお陰だ。こいつらにも褒美を与えてやってくれ」
「かしこまりました。おお、お前たち、でかしたぞ!」
忠兵衛は猟犬たちを撫でながら褒め称えた。
「では、皆さん始めましょうか!」
「はーい!」
お久が音頭をとり、女衆たちとともに作業を開始する。今では国宗家の立派な台所番として、皆をまとめる存在だった。
猪の解体は放血、洗浄、内臓摘出、冷却、剥皮、脱骨と続く大仕事である。それに必要な道具も揃えなければならない。国宗家の女衆たちは、それぞれの家から道具を持ち寄り、力を合わせて作業を進めた。脱骨まで完了すると、保存しやすい大きさに切り分けて作業は終了。この一連の作業に丸一日かかった。
翌日、保存食にする「干し肉」の準備も進めた。塩漬け、塩抜き、乾燥(干す)、冷燻を繰り返し、さらに風通しのよい日陰で数か月間干して乾燥・熟成させる。
「大助さま、干し肉が楽しみですね」
「ああ、秋には美味しくなるだろう」
「大助さまー! 山菜とヒラタケをたくさん収穫しましたー!」
「よし、念願の猪鍋といこうか!」
「やったーー!」
猪肉は一族郎党に配分されたため、今晩はどの家でも猪鍋が振る舞われた。
母屋の軒下で干し肉の乾燥具合を確認していた時のことだ。髭面の武士らしき男と、その配下と思われる二人の男が国宗家の屋敷を訪れていた。
「大助さま、お客さまでございます」
「お客? 誰だ、お久?」
「分かりません。お侍が三人いらしてます」
「……若?」
六郎が不安げな声を漏らす。その言葉に俺の胸にも得体の知れない不安が広がった。しかし、ここで逃げるわけにはいかない。
「三人か……分かった。離れにお通ししろ」
「かしこまりました」
お久が下がるのを見届けた後、俺は一つ大きく息を吸い込んだ。緊張を振り払うように胸の内を整える。これから待ち受ける何かに備え、自然と手が腰の刀に触れていた。