村の運営は、代官の指示のもと「村方三役」と呼ばれる庄屋、組頭、百姓代を中心に、本百姓たちが話し合いを重ねて成り立っている。
ここ山村では面前家、国宗家、神田家が三役を担い、最近では国宗家から忠次郎が寄り合いに参加していた。忠次郎は誠実で頭の回転が速く、算術にも長けている。そのため若いながらも村役からの信頼を得ており、彼の発言には重みがあった。
「
「……ふむ。それはもっともな意見だ。ただ、気がかりなのは溜池だな」
当然ながら、富盛家はこの場にはいない。かつて「名主」を自称し、村を独裁していた時代は、もはや過去の話だ。
「確かに溜池が決壊したら、下流にある面前家や神田家の田畑は壊滅的な被害を受けるでしょう。しかし、富盛家は既に備えていますよね、大助さま……」
俺も村の「警護役」としてこの寄り合いに同席していた。そして、辰太郎から忠告されていた「野分への備え」について、忠次郎に代弁してもらっていたのだ。
「ああ、富盛は抜かりない。先日、道場帰りに見たが、水門の扉を補強していた」
「……それは何よりです。ただ、限界もあります。雨の降り方によってはどうにもならない場合もあるでしょう」
「そうです。だからこそ、各領域でできる限りの備えを進めるべきです。一度水害に遭えば、一瞬で全てを失いかねませんから!」
庄屋の面前作兵衛は、忠次郎の言葉に感化され、本百姓たちに指示を出した。
「よし、本百姓の皆々、水回りの整備に協力してくだされ。費用は『村入り用』から捻出する!」
「ははっ!」
※村入り用とは、村の維持・運営のための費用であり、年貢とは別に農民たちから負担を集めた資金のことである。
俺と六郎、忠次郎、忠吾郎の四人は、国宗家の領域にある二郷川やその支流、用水路、沢の整備を始めた。流木や枯葉、岩の詰まりを取り除き、決壊の危険がある場所には
忠兵衛らは二郷川の過去に決壊した箇所で杭を並べて打ち込み、その側面に土嚢を積み上げて「堤防」を作り上げていった。
「大助さま、国宗家の備えはこれで万全ですね」
「ああ、あとは日持ちする食材の確保だ」
「食材ですか?」
「六郎、忠吾郎、山へ入るぞ」
「ってことは……大助さま、猪狩りですか!?」
「ああ。忠次郎は下流の治水を見ていてくれ」
「承知しました。面前家や神田家の整備の様子も確認してきます」
「よし、では行こう」
「はーい!」
「大助さま、お気をつけて」
猪狩りは至って単純だ。火縄銃があれば楽だが、この山村にはそんなものはない。六郎の爆薬もまだ残されているが、それも使わない。犬でおびき寄せ、落とし穴に誘導して槍で仕留めるのだ。だが、それは簡単なことではなく、根気を要する作業だった。
「ああ、楽しみだなぁ」
「忠吾郎、猪に突進されたら大怪我をするぞ」
「僕、逃げ足速いから大丈夫ですよ!」
忠吾郎は遊び感覚でいるようだ。しかし、忠次郎とは異なり、剣術の才がある。富盛道場でも上位に入っているだけあって、いざという時にはその身のこなしで大事には至らないだろうと判断して連れてきた。
俺たちは目星をつけた場所に穴を掘り、竹槍を仕込む。そして犬を二匹放ち、自分たちは木に登って待機する。
「ゥゥ……ワワン! ワワン!」
犬が何かを見つけたようだ。木の上からではよく分からないが、しばらくすると犬が猪を追いかけている姿が見えた。
「よし、追い込め!」
だが、落とし穴に誘導するのは容易ではない。俺と六郎は木から降り、猪のいる方向へ向かう。
「忠吾郎、ここで待っていろ!」
「えー、僕も行きたいよお!」
「ダメだ。そこにいろ!」
犬たちは猪を前後から追い詰めていた。しかし、追い詰められた猪は観念したのか、一匹の犬に突進し始めた。犬と猪の激しい喧嘩が始まり、もう一匹の犬も応戦する。
「ガゥーガゥーガルルル……」
「若、これは落とし穴に誘導するのは無理ですぞ」
「仕方ない。この喧嘩に参戦するぞ!」
俺は槍を構え、間合いを詰める。慎重にしないと犬を傷つける可能性もある。犬が一瞬、猪から離れた隙を見計らい、俺は槍を突き出した。
「今だっ!」
「グサッ!」
槍が猪の腹に突き刺さる。しかし、もがく猪の力で槍を持つ手が離れそうになる。その時、六郎の槍がとどめを刺した。やがて猪の動きが止まる。
「よっしゃ! 仕留めたぞ!」
「若、やりましたな!」
「ワォーーーーーン!」
犬も勝ち誇ったように遠吠えを上げる。
俺たちは、仕留めた大きな猪を縄でしっかりと縛り、二人がかりで木の棒に吊るして運んでいた。
その時 ─ ─
「あぁぁぁーーっ!」
忠吾郎の悲鳴が山中に響き渡った。
「何だ!? 何があった!?」
「若! 急ぎましょう!」
六郎が叫びながら先を促す。俺は仕留めた猪のことなど構っていられず、急いで忠吾郎のもとへ駆け出した。