目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

第24話 村の旗振り役

 富盛家は芸州藩への仕官を志していたが、3年前不首尾に終わった頃から当主は体調を崩し、1年前に亡くなっていた。今ではあの嫡男、辰太郎が新たな当主となっている。


「あら、大助。今日も稽古なのかい?」

「お雪、それもあるが、当主殿に呼ばれてな」

「兄者が? 一体何の話だろうね」

「まあ、後で道場に顔を出すよ」

「そうね。じゃあ案内してあげる。あ、道場着は洗っておいたからね。六郎たちの分も一緒に」

「おお、いつもかたじけない。それにしてもお雪さん、今日もお美しい!」

「なーにお世辞なんか言っちゃって。うふふ」

「六郎、いいから忠吾郎と先に道場へ行っておれ」

「はっ、分かりましたよ!」


 お雪に案内され、屋敷の十畳ほどの座敷に入ると、辰太郎が中庭を眺めながら物思いにふけっている姿があった。当主となってから、彼にはどこか落ち着きと風格が漂うようになっていた。俺との一件以降、しばらくは険悪な雰囲気が続いていたが、悪さを働くようなこともなく、道場に通うことも黙認していた。ある日、ふと声をかけられたことがきっかけで、徐々に関係が和らいでいき、今では普通に接している。


「話って何だ?」

「おう、大助。まあ、座れ」


 辰太郎に招かれるのは初めてのことだった。これは何か重大な話に違いない。差し出された井戸水を一気に飲み干し、話を聞く態勢を整えた。


「ここ数年、天候に恵まれて作物もよく育ち、村も豊かになったと思わんか?」

「ああ、そうだな。俺の畑も豊作でなによりだよ」

「だがな、大助、良いことはいつまでも続くものじゃない」

「どういうことだ?」

「そろそろ大きな災いが訪れるんじゃないかと心配でな」

「災い……長雨や野分台風、それに地震か?」

「土砂崩れが起きないよう祈るばかりだな。大助、村々の水回りをしっかり見ておけよ」

「村々の? それは各家主がやるものだろう」

「お前は警護で見回りするだろう。気付いたことを教えなきゃ、誰も動こうとはせん」

「そういうものなのか?」

「ああ。俺が警護役だった頃は、脅してでも治水をやらせたものだ」

「警護役がそこまでする理由は?」

「村を守りたいからだ。それだけじゃ。お前を妬んで言ってるわけじゃない。俺はもう富盛の土地を守るだけで手一杯だからな」

「……さすが当主殿だな」

「あのな、大助、治水を怠って被害に遭うと一気に村が貧しくなるぞ」

「それは分かるが、治水の管理は代官がやるのでは?」

「代官は形ばかりだ。奴は年貢が取れさえすれば村のことには手を出さん。それに助けもせん」

「つまり、村を守るのは俺たち自身だということか」

「そうだ。領民は呑気にしているが、誰かが旗を振らねば動かん。その役目を、お前が果たせばよい」

「ふむ……旗振り役か」


 辰太郎の言いたいことは理解できた。かつてはただの粗暴な男だと思っていたが、村を守りたいという熱意があるのだと知った。だが、俺自身はいつまでこの地にいられるか分からない立場だ。それに、この役目に最もふさわしい人物が一人いる。


─ ─ 忠次郎だ。


 誠実で聡明な忠次郎が話せば、領民も納得するだろう。もちろん、俺も協力する。そして辰太郎とは異なるやり方で、山村を守っていく道を模索していこうと思った。


「ところで、大助よ」

 辰太郎は周囲を見回してから、急に小声で言った。


「お前、所帯を持つつもりはないのか?」

「えっ!? な、何を急に言い出すんだ!」

「もう18だろう。そろそろ話が出てもおかしくない」

「そんなこと考えたこともない!」

「なら、お雪はどうだ? お前より3つ年上だが」

「……木嶋殿の息子と縁談を考えていたんじゃないのか?」

「儂は仕官の夢を追わぬことにした。木嶋などどうでもいい。それにお雪が乗り気ではない」

「お雪の気持ちは?」

「間違いなく、お前に好意を持っているだろうよ」

「そうかな……」

「まあ、考えてみろ。盆踊りが良い機会だ」


 お雪を「女」として意識していないと言えば嘘になる。美しい女性だとも思う。だが、どうにも心の中で煮え切らない何かがあった。それが何なのか、この時の俺にはまだ分からなかった。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?