芸州に移り住んでから、早くも3年の歳月が流れた。不思議なことに、幕府や芸州から追手が来ることもなく、平穏な日々を過ごしている。ただ、大坂との連絡は完全に途絶え、父上や郎党がどうしているのかは全く分からなかった。
ある日、風の便りで徳川家康がすでに亡くなっていたと聞いた。俺が逃亡してから1年足らずでの出来事らしい。今では徳川秀忠が武家諸法度や禁中並諸法度を掲げ、大名や公家への支配を強化しているとのことだ。そんな国づくりに忙殺され、俺の仕置きなど忘れ去られているのではないか ─ ─ そう考え、少しだけ気を楽にしていた。
「大助さま、去年仕込んだお味噌、そろそろ頃合いですね」
「ああ、お久、味見してみてくれ」
「あい!」
今では俺の助手のように働くお久は、16歳の年頃の娘に成長していた。かつては妹のように可愛がっていたが、最近は「女」として意識してしまうこともある。それを隠すため、必要以上に気軽な態度を心掛けている自分がいた。
「忠次郎、忠吾郎、裏山で山菜を採ってきてくれ」
「はーい! 今日はヒラタケと山菜鍋ですね!」
「おい、忠吾郎、早く行くぞ」
「あーっ、待ってよお。忠次郎さーん!」
17歳になった忠次郎は、材木の帳簿付けなど国宗家の仕事を任されるようになり、以前のように俺の監視ばかりしているわけにはいかない。そこで12歳の従弟・忠吾郎が新たな監視役として加わった。
裏山には、青みずや青こごみ、ヤマウドなどを移植して栽培している。ヒラタケは倒木を裏山に並べておくことで、自然に発生する仕組みを整えた。俺は国宗家から借りている大豆畑の手入れをしながら、警護役として村を巡回し、ついでに山菜を採る日々を送っていた。一方、六郎は新種の作物の栽培に情熱を注いでいる。
「若、
「六郎が育てた南瓜か。ありがたく頂くよ」
「いやあ、思ったより簡単でしたな。種を分けてくれた神田殿に感謝です」
少しずつだが、自給自足の生活に近づきつつある。警護役として受け取る米は、売却して安価なアワやヒエに換え、それに富盛の道場で剣術や柔術を教える謝礼の麦を合わせた雑穀が主食だ。これに山菜や大豆、香の物、味噌汁が加わることで、九度山での暮らしよりもはるかに豊かな食生活を送れるようになった。
そんな日常の中、日暮れ時になると近くの宮迫神社から太鼓の音が聞こえてくる。
「ドン、ドドン、タタン……」
「あ、大助さま、そろそろ神社へ行きますか?」
「そうだな、忠吾郎。見回りに行くか」
「やった! 待ってましたよお!」
「おい、遊びに行くんじゃないぞ」
「分かってますよお。でも、大助さま、今年も太鼓を叩くんでしょ?」
「俺は練習しなくても大丈夫だ」
「すごい! 流石は僕の師匠だ!」
「お前、どうも調子が良すぎるな」
忠吾郎はまだ子供っぽいが、富盛の道場で竹刀を振り回して稽古に励んでいる。それで俺のことを「師匠」と呼んでいるのだ。
山村では初夏から盆踊りの準備が始まる。太鼓や笛、踊りの稽古が行われ、7月15日(新暦では8月15日)の満月の夜に本番を迎える。盆踊りは本来、先祖の霊を送る供養の踊りだが、仏教行事としての意味合いを超え、地域の娯楽や人々の交流の場として親しまれている。
国宗家から九町(約1キロメートル)ほど歩くと宮迫神社に着いた。神社には櫓が建てられ、周囲では太鼓や笛の稽古が行われている。
「おう、大助。来たか」
「辰三郎、今日はお前らが稽古か」
「おうよ。俺が太鼓の指導をしてるんだ」
相変わらず富盛家には無骨な輩が多いが、俺が警護役になってからは大きな問題もなく、山村は平穏だ。ただ、国宗、面前、神田家とはそれほど親しいわけでもなく、富盛家は孤立した一族のままだ。俺や六郎、忠吾郎くらいしか、彼らと親しく接していない。
「なぁ、うちの兄者が大助に話があるってよ」
「辰二郎がか?」
「いや、当主の辰太郎さまだ。明日でも時間があるか?」
「……ふむ。まぁ、稽古がてら行ってみるか」
俺たちは神社の周囲を巡回し、はしゃぐ忠吾郎を半ば引きずるようにして屋敷へ戻った。