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第20話 マタタビ雑炊


「六郎ーーっ、待たんかあ!」


 必死に追いかけると、少し先で六郎が立ち止まり、鋭い目つきで周囲を見渡している姿が見えた。


「見失ったか……!」

「はあ、はあ……六郎、無茶をするなよ」

 息を整えながら声をかけると、六郎は真剣な表情のまま答えた。

「いや、まだ気配を感じる。若、戦闘態勢ですぞ!」

「六郎、本当に間違いないのか?」

「あの男に間違いありませぬ。儂が追いかけた途端、驚くべき速さで逃げおった。その動き……常人では考えられません!」


─ ─ その時だった。


 シュシュシュシュン!


「何だ!?」

「若、危ないっ!」


 ガッ、ガッ、ガッ!


 飛苦無とびくないと呼ばれる忍びの投擲とうてき武器が後方の大木に深々と突き刺さる。間一髪、六郎が俺を地面に押し倒し、身を覆ってくれたおかげで、命拾いをした。


「やはり伊賀の者か! この望月六郎がお相手つかまつる! 姿を見せい!」

 静まり返った草原に不気味な静寂が広がる中、不意に声が響いた。


「……我らに構うな、真田の忍びよ。これは警告だ」

「何だと?」

「我らは真田大助とその宝刀が、この地から逃げぬよう監視しているだけだ」

「今のは警告ではなく、明らかに命を狙った攻撃だろう!」

「いや、警告だ。お前たちなら、あの程度は容易にかわすだろう。それでもなお刃向かうのなら、容赦はせぬ。我らはいつでも十人以上で囲い込むことができるのだ」


 六郎はさらに警戒を強め、身構えた。一方、俺はわずかに漂う人の匂いと気配を頼りに、目を凝らして草原を見渡す。


 おそらく一人、二人、いや三人か……その中に女の気配もある。だが、どこに潜んでいる?


 意識を集中させた瞬間、視線の先に答えがあった。大木の太い枝の上、こちらを鋭い目つきで見据える伊賀の者。その存在感は、一瞬たりとも隙を見せないものだった。


「六郎、あの木の上だ。ただし、攻撃はするな」

「若!? なぜです?」

「いいから、俺に任せろ」


 六郎は不満そうな表情を浮かべながらも、指示に従い身を潜めた。俺は落ち着いた口調で話しかけてみる。


「なあ、お前たち二人は富盛の下人に扮しているんじゃないのか? もう一人の女については知らんが」


 風が一瞬止まり、木の上から微かな気配が漂う。沈黙が続く中、相手がこちらの様子を探っているのが分かった。


「……どうする? 正体がバレるのは草の者にとって致命的だろう?」 


 さらに言葉を続けた。


「俺たちを狙わないと言うのなら、こちらもお前らを詮索したり攻撃したりはしない。そしてもう一つ。安心しろ、この村から逃げる気もない」


 静寂が破られたのは、突如として響いた女の声だった。


「フフフ、さすがは真田の若殿ね、大助ちゃん」

「お、女の声!? 女忍くノ一か!」

「六郎、どうやら富盛以外にも拠点を持ってるようだ。……それにしても「大助ちゃん」とは随分とナメられたもんだな」

「フフン、まあいっか。富盛からは引き上げるわ。でも、どこかで監視は続けさせてもらうから。そのつもりでいてね」

「分かった。ただ一つだけ聞きたい。芸州はいつ攻めてくるんだ?」

「あらあら、それは秘密よォ。じゃねー……」


─ ─ スッと気配が消え、伊賀の者たちは完全に姿を隠した。


「若、これで良かったのですか?」

「六郎、奴らは十人以上いると言っただろう。数人倒したところで意味がない。それに本当の敵は芸州だ」

「まあ、富盛から離れてくれるだけでも好都合ですな。あまりに近すぎて不安でしたから」

「それにしても、六郎の目は確かだったな。助かったよ、ありがとう」

「ははっ、若の護衛としては身に余る光栄! ただ、女忍がおるとは……むふふ」

「……何を期待してるんだ。それより忠次郎が追いついてくるな。さあ、帰ろう」 



 その頃、国宗家の土間では、お久が桶の水に浸かる「マタタビ」をじっと見つめながら、思いつめた表情をしていた。


「お久、待たせたな」

「だ、大助さま!? よくご無事で!」


 お久の目には涙が浮かんでいる。富盛辰太郎とやり合ったと聞いて、無傷では済まないと案じていたのだろう。彼女の視線が、俺の破れた小袖に移る。


「大変! お怪我はありませんか?」

「ああ、大したことないさ」

「……」

「どうした?」

「……ヒック……ヒック……本当に心配しました……」

「お久? 泣いてるのか?」

「わーーーーーんっ!!」

 お久が俺の胸に顔を埋め、堰を切ったように泣きじゃくる。

「大丈夫だよ、お久。ほら、マタタビを調理しようか……ん?」

 お久は泣きながらも、小さくうなずいた。


 ちょうどその時、忠次郎が土間へ駆け込もうとしたが、六郎が入口で引き止めた。

「忠次郎殿、今入るのは野暮というものですぞ」

「な、何ですか、野暮って?」

「あ、思い出しました。畑のことで少々ご相談が……」

「はあ……?」


 一方で、俺はお久にマタタビの調理法を教えていた。

「お久、実は辛いから、味噌漬けにして寝かせるのがいい。芽は山菜として雑炊に入れると旨いし、葉は乾燥させて揉んでお茶にするのもいいらしいぞ」

「大助さま、本当にお詳しいですね。では、その通りにしてみます。うふふ」


 しばらくして、忠次郎が解放され、土間に戻ってきた。

「大助さまあ! 監視役の私を置いていくなんて酷いですよお!」

「ああ、悪かったな。ところで、お久がマタタビ雑炊を作ってくれるそうだ。一緒に食べよう」

「……まあ、それは楽しみですけど……」


 不満げな忠次郎がふと土間の奥に潜む女衆たちに目を留める。


「あれ、お前たち、何してるんだ?」

「もう、野暮なお坊ちゃん!」

「せっかくいいところだったのに!」

「えっ、何がだよ!? さっきから野暮、野暮って!」


 その晩、みんなでお久が作ったマタタビ雑炊を味わった。そして一番たくさん食べたのは、何も知らない野暮な忠次郎だった。



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