今日は朝から富盛の道場で、辰三郎をはじめとする門下生たちに稽古をつけていた。
「おーい、忠次郎。お前も竹刀を持ったらどうだ?」
辰三郎は忠次郎を見るたびにからかうのが常だ。
「私は結構です!」
「じゃあ、何でここにいるんだ?」
「大助さまのお供をしてるだけです。私に構わないでください!」
「ああ、そうかい! チッ!」
忠次郎は、俺が富盛家を訪れるのを嫌がっているようだ。辰三郎が苦手なのだろう。監視役として仕方なく付き合っているのだ。本来なら「福島藩お預かり」の俺を見張るのは役人の仕事だが、その役目は国宗家に押し付けられている。まあ、その方が気楽だが。
「辰三郎、よそ見せずにかかってこい!」
「おう、大助! 今日こそは倒してやる!」
辰三郎はいつもの変則的な動きで俺の隙を狙う。
「あぃやややあああああっ!」
正面から竹刀を縦に振ると見せかけ、左前に踏み込みながら横から攻めてくる。だが、その動きは完全に読めている。
「はい」
俺は竹刀を払いつつ、辰三郎の顎を軽く叩いた。
「あ痛っ!」
「もう一丁だ」
「ク、クソお!」
辰三郎はすぐに感情的になる。無茶苦茶に竹刀を振り回して突進してきたが、それを軽くかわして背中を叩いた。
「あー痛っ! なんでお前、そんなに強いんだ!?」
「お前より冷静だからかな?」
「なるほど! 冷静か、冷静だ!」
「単純だな。あ、ちょっと待て」
「何だ、大助」
「お前はもういい」
「おいおい、わいはもう終わりか?」
「師範代はいるのか?」
「さあな。今日は見てないぞ。それより勝負だ!」
「辰二郎は親父らを迎えに出かけたわよ」
ふいにお雪が姿を見せた。
「あ、姐御! 今日、親父が帰ってくるのか!?」
「ああ、そうみたいだね」
「じゃあ、あれはうまくいったんか!?」
「お黙り、この馬鹿!」
「お雪、帰ってきたら御当主に挨拶したいんだが」
「大助、しばらくはやめときな。機嫌悪いだろうから」
「姐御、もしかして不首尾だったのか?」
「だから、馬鹿は黙ってなさい!」
「チッ」
「大助、外歩こうか?」
「ん?」
「富盛の縄張り、案内してあげるよ」
ほう、これはいい機会だ。山村の東側が見られる。
「そうだな。溜池とか見たい」
「お安い御用さ」
お雪に連れられ、道場の裏手から畦道を進んで溜池まで歩いていった。一面に広がる立派な田んぼは壮大な景色だ。途中、富盛の下人と見られる男たちが用水路を修繕していた。お雪に会釈している。
「ねえ大助、辰三郎の馬鹿が口走ってたのはね、仕官が駄目だったって話だよ」
「仕官? 福島さまの旗本になろうとしたのか」
「うん。ウチはね、今は郷士だけど、もともとは武家の出なの。いつか返り咲くのが親父の夢なんだ」
「そうか。まあ、残念だったな」
「うふふ。辰三郎なんか、山村の知行地をもらって、大助を家来にするって期待してたらしいよ」
「それは勘弁だ」
「まあ、私は今のままでいいんだけどね。親父ったら木嶋の嫡男と夫婦にしようと画策してさ、迷惑だったんだよ」
「なに!? それは誠でございますか!?」
「なんで六郎が反応するんだ?」
「い、いやあ……つい。へへへ」
溜池の前で、お雪が縄張りを説明してくれた。
「この池の向こうは押村。だから、ここは共同の水場なんだよ。あの杭までは富盛の領域さ」
「大きな溜池だな。よく見ると魚もたくさんいる」
「そうだよ。ウナギとかね。たまに釣れるよ」
「ウナギとはご馳走ですな。お雪さん、ところで、さっき用水路を修繕していた男たちは富盛家の方ですか?」
「六郎、なんでそんなこと聞くんだ?」
「いやあ、知り合いに似てたもんで、はい」
「ああ、ウチに下働きで雇った兄弟だよ。よく働くんだ。出身はたしか……摂津だったかしら」
「摂津ですか。それじゃ、私の勘違いですな」
六郎はむりやり会話に入ろうとしているようだったが、何か気になるのだろうか。
それにしても富盛の縄張りは見事だ。
溜池や二郷川上流の滝など、水の確保がしっかりしており、田畠に供給する用水路も整備が行き届いている。国宗家とは一概に比べられないが、村づくりには見習うべき点が多い。俺は感心しながら、彼らの努力を目に焼き付けていた。