朝早くから国宗家の女衆や領民たちが、生活用水を求めて二郷川へ集まっていた。俺は六郎と忠次郎を伴い、国宗家の縄張りである川岸を巡回することにした。川沿いの距離は六町(660メートル)ほど。心配していた富盛家の者が現れることはなく、無事に水汲みが終わったようだ。
「真田さま、ありがとうございます!」
女衆や領民たちが口々に感謝の言葉をかけてくれる。こういう瞬間は嬉しいものだ。
その後、さらに一里(約4キロメートル)ほど歩いて西側の沢に到着した。だが、小さな沢で水量も乏しく、ここでは満足に水汲みはできないだろう。二郷川の水がどれほど貴重なのか、改めて実感する。
「忠次郎、国宗家の縄張りはどの辺までだ?」
「山の麓までです。沢もその範囲内です」
「そうか。少し下ってみよう」
俺たちは沢に沿って山道を下った。その途中で何かの匂いを感じ、沢の岩をいくつか持ち上げると、そこにはたくさんのサワガニが隠れていた。
「あ、蟹だ!」
忠次郎が目を輝かせる。
「サワガニがいるなら、これを食べる猪もいる可能性が高いな」
「猪が……ですか?」
「忠次郎、山に入るぞ。ただし、蛇に気をつけろ」
「は、はい!」
獣道をたどりながら山中を探索していくと、「コシアブラ」と呼ばれるブナの木周辺に生息してる山菜を見つけた。
※コシアブラ(ウコギ科ウコギ属の落葉高木)
若芽が独特の苦味と風味を持つ山菜で、山菜の女王と呼ばれる逸品。
俺たちはこれを収穫しながらさらに奥へと進んだ。途中、木の幹がえぐられ、周囲の苔が剥がされた跡を発見する。これは猪の痕跡だ。
「やはり、猪がいるな」
「い、いるんですか……?」
「忠次郎、ヌタ場を知らないか?」
「ヌタ場……?」
俺は泥地のような水たまりを説明したが、この山の奥深くまでは忠次郎も詳しくないらしい。
「まぁ猪がいることがわかったから、今日は引き返そう。遭遇すると危険だからな」
「わかりました。でも、大助さまが行きたいならお供します!」
「いや、今日は引き返す。沢へ戻るぞ」
沢の周辺に戻ると、山菜の香りが漂ってきた。「ウワバミソウ」だ。
※ウワバミソウ(イラクサ科ウワバミソウ属)
渓流わきや、沢など水気の多い岩場などに群生する多年性植物。シャキシャキした歯ごたえとトロっとした舌触りが特徴で、煮物に最適な山菜。
「大助さま、これも山菜とは良くご存知ですね」
「俺はな、武家と言いながら日々の暮らしは、畑を耕して山菜を集めてたんだ。あれは農民の生活そのものだったよ」
「そうだったんですか。どおりで詳しい訳ですね」
ウワバミソウを収穫すると、沢の中へ足を踏み入れた。
「忠次郎、サワガニも捕まえとくか」
「はい。ご馳走です!」
※サワガニ(カニ下目・サワガニ科)
淡水域に生息する甲幅30mmと小さなカニの一種。美味だが、火をしっかり通さなければ安全に食べられない。
岩をめくり、小さなサワガニを次々と捕獲していく。忠次郎の小さな桶はすぐに一杯になり、彼は満足げに笑顔を浮かべた。
「大助さま、今日はたくさん収穫できましたね! みな喜びます!」
「そうだな。猪も確認できたし、有意義だった。明日はどこへ行こうか?」
「南側はどうでしょう。庄屋の面前家や神田家の縄張りが入り組んでますので、案内します!」
「うむ、任せたぞ」
本日の収穫はコシアブラ、ウワバミソウ、そしてサワガニだ。これらを持って、俺たちは国宗家へ戻ることにした。
「六郎、どうだった?」
「若、西側には何の気配も感じませぬ。伊賀者の小屋はないと思われます」
「だが、どこかに拠点を作っているはずだろう?」
「さよう。私は北側の山が怪しいと睨んでおります」
「北か……林業の山々だな。支流の川付近も調べる必要があるかもしれないな」
「はい。しかし、焦らずいきましょう」
「そうだな。ところで、今晩は国宗家で飯だそうだ」
「それは嬉しい話です!」
土間では女衆たちが忙しそうに夕食の支度をしていた。その中にはお久の姿もある。
「あ、大助さま! 差し入れありがとうございます!」
「お久、サワガニは好きか?」
「あい! 大好きです!」
「それはよかった。たくさん食べるといい」
「あい! うふふ」
食材が揃えば、皆の笑顔が増える。こうして今日も俺は国宗家のために役立つことができた。晩飯の囲炉裏を囲みながら、また明日の計画に思いを巡らせていた。