「とぅりややややあああああっ!!」
辰三郎が竹刀を大きく振り上げ、勢いよく上から下へと振り抜く。
「ひゃああああああああっ!!」
今度は縦に振ったかと思うと、次は横に振る。攻撃の軌道が読みにくい。さらに一歩踏み出すと見せかけて右斜め前に回り込み、渾身の斜め振りを繰り出してきた。
だが、それらすべての攻撃を俺は軽々と避け、スッと辰三郎の横へと身をかわす。
「うるさいな、お前」
「な、なんじゃ!?」
辰三郎の動きは、ただの力任せの変則的な剣法だ。何の流派にも属さない田舎剣法に過ぎない。大した脅威ではない。
焦った辰三郎は一歩下がりながら竹刀を縦に振る。しかし、その竹刀を俺は払いのけ、逆に「バシン!」と横腹を軽く叩いた。
「あっ!?」
道場内に驚きの声が響く。
「い、いやいや……」
辰三郎は信じられないという顔をしている。
「やるじゃねぇか。手加減は無用じゃのう!」
「お前、もう死んでるぞ。それでもまだやるのか?」
「うっせえ! 手加減しとる言うたやろ!」
「手加減してるのは俺だが……な」
辰三郎が再び竹刀を振り回す。
「ほぅわわわああああっ!!」
ブンブンと振り回す竹刀の軌道を読みながら、俺は軽快にそれを避けつつ、「バシッ、バシッ、バシン!」と辰三郎の横腹、肩、太ももを次々と叩いた。
「うわぁっ!」
辰三郎は片膝をつき、疲れ果てた様子で息を切らしている。その首元に、俺は竹刀の先を当てた。
「もういいだろう」
「はぁ……はぁ……お前、一体何者なんじゃ!?」
「国宗家の居候だと言ったろ」
「ははははは……辰三郎、勝負ありだね。アンタの負けだよ」
道場の入口で腕を組みながら、お雪が声をかけてきた。
「姐御!」
辰三郎が悔しそうに顔を上げる。
「居候さん、アンタ強いね。でも、富盛にも意地があんだよ。辰二郎、次はお前が相手しな!」
「はい。国宗の方、続けてお相手つかまつるがよろしいか?」
「ああ、構わないさ。で、おまえが師範か?」
「いえ、師範代を務めております」
「ふーん」
師範は嫡男か当主といったところだろう。まあ、いずれにせよ、今この道場で一番強い彼に勝てば十分だろう。
「では、いざ!」
「参る」
辰二郎は落ち着いた構えから、じりじりと間合いを詰めてくる。竹刀の先が微かに動いたかと思うと、「ドッ」と床を踏み鳴らしながら正面から突き込んできた。
その突きをギリギリでかわし、すかさず振り下ろしてくる竹刀を「ガシッ、ガシッ」と受け止める。なるほど、なかなかの怪力だ。すると、不意に足元を狙って竹刀を横に振ってきた。俺は、咄嗟に跳ぶ。
「ブゥン!」
竹刀が空を切る音が響く。
「やるのう、国宗の方……」
道場の端では、忠次郎が怯えた表情で戦いを見つめている。その隣で六郎が「大丈夫じゃ」と声をかけているのが聞こえた。
「はぁーーーーっ!!」
突如、辰二郎が突進して竹刀を突き出した。それに合わせ、俺も竹刀を突き出す。
「!?」
辰二郎の竹刀はわずかに俺の首元を外れたが、俺の竹刀は彼の喉元寸前でピタリと止まっていた。
道場が静まり返る。俺たちはその姿勢のまましばらく動かなかったが、辰二郎がやがて竹刀を下ろし、静かに言った。
「参りました……」
「すごい! 大助さま!」
忠次郎が歓声を上げた。
辰二郎は息を整える。
「お主の名は?」
「真田大助だ」
「真田殿……貴殿ほどのお方が、何故国宗家に?」
「大助さまは、国宗家の客人です!」
忠次郎が横から口を挟む。
「ほう、客人とな。では、いつまで滞在なさるのですか?」
「うーん、しばらく居候するつもりだ。いや、もしかしたら永住するかもな」
俺が軽く言うと、辰二郎、辰三郎は驚いたような表情を見せた。
その時、お雪がゆったりと近寄ってくる。
「アンタ、気に入ったわ。ねぇ、大助。富盛の道場破りをしたからには、何か褒美が欲しいんじゃないのかい?」
「褒美? そうだな……二郷川に入りたい」
「あはははは、なんだいそりゃ。二郷川なんて、勝手に入ればいいだろう。富盛の川じゃないんだからね」
「あっ、姐御!」
辰三郎が慌てて声を上げる。
「なんだい、辰三郎。文句でもあるのかい?」
「い、いや、何でもないわ」
「そうか。国宗家と富盛家は近すぎるから、水争いでも起きてるのかと思っただけさ」
「そうなのか、辰三郎?」
お雪が尋ねると、辰三郎は気まずそうに顔をそむけた。
「ちょっと揉めただけじゃろ!」
「この馬鹿! あたいらには溜池があんだろうが! それに二郷川だって、使っていい場所が決まってるのくらい知ってるだろ。いちいち揉め事増やすんじゃないよ!」
「……チッ、わかったよ」
辰三郎が不服そうにうつむく。
「ねぇ、大助。そういうことだから、国宗家の縄張りはアンタの好きにしていいよ」
─ ─ さっきから大助って馴れ馴れしいな、この娘……。
「俺は家主と話がしたいんだが」
「親父と兄者はしばらく留守だよ。だから、今はアタイが家主みたいなもんさ」
お雪が肩をすくめて答える。
「辰二郎。一族郎党にしっかり伝えな。水争いなんてするんじゃないよ」
「は、はい、しかと承知しました。でも、兄者たちには?」
「ああ、兄者に話を通すのは骨が折れそうだね。あ、そうだ。条件があるよ、大助。アンタ、うちの道場に通ってくれないかい?」
「何でだ?」
「何でって……アンタの願いを叶える代わりだよ。親父や兄者を説得するのがどれだけ大変か分かるかい?」
「お雪さん、それっておかしくないですか!? 川の縄張りを守らないのはそちらなのに、条件をつけるなんて!」
忠次郎が思わず抗議する。
「それだけじゃないんだよ。大助に稽古をつけてもらいたいんだ。うちの馬鹿どもを鍛えてほしいのさ」
「でも……」
忠次郎が反論しようとするのを、俺は手で制した。
「まあ、待て。たまにで良いなら道場に顔を出すよ。お嬢さん」
「ほ、本当かい、大助!」
「ああ、俺も身体がなまるのは嫌だからな」
「よっしゃ、大助! ……それとね、『お嬢さん』じゃなくて『お雪』って呼びな」
「ああ、分かったよ。お雪」
忠次郎を見ると、少し不満げな顔をしている。しかし、ここは俺に従うしかないといった様子だ。
「そうだ、忠次郎。二郷川に連れて行ってくれ。どんな川か見てみたい」
「!!」
忠次郎が目を見開く。
「ん? どうした?」
「は、はいっ! 喜んで案内します!」
二郷川に行くと言った途端、忠次郎の機嫌は急によくなり、俺の手を引っ張って道場から駆け出していった。