瀬戸内海、因島付近の無人島に辿り着いた。これまで追っ手の気配を感じることもなく、俺たちはようやく気を緩めることができた。
「六郎、見てくれ! 貝がこんなにある!」
干潮になると、海面から顔を出す磯の潮だまりや岩の窪みに、さまざまな貝が生息している。マツバガイ、イシダタミガイ、イボニシ、ヒザラガイ……いずれも食べられる種類だ。
「おお、これなんか美味そうじゃな」
六郎はマツバガイを岩から器用に剥がし取る。その手つきは慣れたものだった。
※マツバガイ(カサガイ目ヨメガカサ科)
巻貝の一種で、殻長5cmほどの個体が多い。温暖な岩礁海岸に生息し、食感はアワビに似てコリコリとしている。
俺は才蔵が用意してくれた釣り道具を使い、魚を釣ることにした。糸と針、そしてエサだけで行う「手釣り」と呼ばれる方法だが、コツさえ掴めば意外と簡単に釣れる。イサキやカサゴなどが次々と釣り上がる。
※イサキ(スズキ目イサキ科)
海水魚の一種で、成魚は45センチほど。白身で柔らかく、岩礁域に生息する。
※カサゴ(カサゴ目メバル科)
海水魚の一種で、成魚は30センチほど。岩礁や海中林などに生息し、身は弾力があり美味。
「若、よくもまあそんなに釣れるもんじゃのう」
「コツを掴んだからね」
釣果を持ち帰り、さっそく調理に取りかかる。マツバガイは塩茹ですると身が縮んで殻から外れやすくなる。そのまま口に放り込むと、磯の香りとコリコリした食感がたまらない。
イサキは素焼きに、カサゴは刺身にする。そして、わずかに持ち込んだ米に小さな貝を散りばめて貝飯を作り、豪華な夕餉が完成した。
「うまいな、若。カサゴのさばきは面倒じゃが、この味には代えられん」
「ああ、これだけ新鮮なら手間も惜しくないさ」
「若、しばらくはこの島で過ごしますか?」
「そうだな。船の生活にも飽きたし、この島なら食材が豊富だ。魚を干物にして保存食を作っておきたい」
「では、わしは小山の湧水を汲んできましょう。寝床も探さねばな」
六郎が小山に登っていくのを見送り、俺は岩場に寝転がって空を見上げた。穏やかな海風が心地よい。
「明日は素潜りしてみるか。その方がもっと獲れそうだな……」
ついウトウトしてしまった。
生暖かい風を感じて目が覚めた。その瞬間、喉元に冷たい金属の感触が走る。
「ハッ……誰だ!?」
「お前、隙だらけだな。油断したのか? 真田の忍びにしては未熟だな、フフフ……」
喉元に刀を突きつけた男は嘲笑を浮かべる。俺は体を動かせず、顔だけを覗き込むようにして相手を見た。
「これまで追っ手の気配を感じなかった……だから油断してた」
「その程度か、小僧」
「俺を殺すつもりか?」
「殺しはしないさ。ただ、渡してもらいたいものがある」
男はニヤリと笑う。
「お前、『秀頼公の刀』を持ってるだろう?」
「……ああ。殿下からいただいた」
「豊臣家に伝わる『念仏』のことも知っているな?」
「念仏……? ああ、あれか。それがどうした?」
男は刀を引き、ゆっくりと名乗った。
「俺は服部正就。いや、服部半蔵と名乗った方がいいか」
「服部半蔵だと!? 生きていたのか!」
「フフフ……宝刀の噂を耳にしてな。戦場を抜け、山里曲輪に潜んでいたのさ」
「この刀を狙って俺を追ってきたのか?」
「その通り。それは高値で売れる。さあ、大人しく渡してもらおうか」
「……断ったら?」
「小僧相手に無粋な真似はしたくないがな」
「なら、勝負しよう。俺にも意地がある」
「ほう……死ぬ気か?」
「そのつもりだ」
「フフ……面白い小僧だ。立て、遊んでやる」
俺はゆっくりと立ち上がり、刀を構えた。戦いの幕が、今切って落とされる。