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第3話 宝刀を授かる

 俺たちは枯葉をかぶり、横になった。しかし眠れない。秀頼公の最後の姿が脳裏をよぎるからだ。


慶長20年(1615年)5月7日

 徳川勢が大阪城に雪崩れ込むように攻め入ると、城内は戦場と化した。その日、父である真田幸村が命を落としたとされる深夜、内通者によって台所から火の手が上がった。


 一方、秀頼公の御正室・千姫は祖父・家康、父・秀忠に必死で助命を懇願したものの、その願いは叶わなかった。


 翌日の明け方、秀頼公と淀君をはじめとする三十人余りは山里曲輪に追い詰められた。覚悟を決めた彼らは、最後の時を迎えようとしていた。もちろん、俺もその場にいた。


5月8日

 徳川の将、井伊直孝と安藤直次は千姫の懇願が難航しているのを聞きつけ、独断で山里曲輪へ鉄砲を撃ちかけた。

「キャー!」

「うろたえるでない!」

 悲鳴を上げる女中衆を、淀君が叱りつけて沈める。そんな中、秀頼公が俺を呼んだ。


「大助、こちらへ」

「ははっ!」


 秀頼公は自身の帯から家紋入りの刀を抜き、俺に手渡した。


「この宝刀は父より賜ったものだ。軽くて丈夫だ。きっとお前を助けるだろう。それから、豊臣家に伝わる念仏を教えよう。もし討ち死にしても、あの世で再び会えるらしいぞ」

「……殿下?」

「だが、お前は生きろ。その若さで道連れにするのは忍びない」

「ならば、殿下も生き延びてください!」

「余が死なねば、この戦国の世は終わらない。それが定めだ」


 大野治長や毛利勝永が切腹の準備を進め、一同の介錯を始めた。曲輪の中は断末魔の叫びと覚悟の混じり合った、異様な空気に包まれる。


「我ら、豊臣ぞっ!」


 次々と自刃していく中、何故か俺だけが相手にされなかった。

「……俺だけ、死なんでも良いのか? なんで?」


 その時、秀頼公が最後に言った。

「大助、生きよっ! それが左衛門佐 ─ ─ 真田幸村との約束だ!」


 秀頼公が果て、豊臣家はここに滅亡した。


 実は、父から「豊臣家の最後を見届けたら逃げよ」と厳命されていた。父が事前に手を回していたのだろうか。詳細は分からない。ただ、このままでは井伊隊に捕まり犬死にしてしまう。


 俺は咄嗟に曲輪から飛び降り、井伊隊の追撃を振り切りながら走り去った。


「生きてやる!」



 何度も寝返りを打ち、いつの間にか朝を迎えていた。

「若、川の水を飲んで出発しましょう」

「ああ……いや、待て」

 人の気配がする。敵か?  身構える俺の前に、風に紛れて突如現れた男がいた。


「大助さま、ご無事でなにより」

「あ、佐助!」


 髭面で小柄な男は、父に仕える猿飛佐助さるとびさすけ(50歳)だった。彼は真田十勇士の筆頭格とされる忍者だ。どうやら六郎が忍びの術で俺たちの居場所を知らせていたらしい。


大殿幸村より伝言です。『これより木津川を目指し、船で山陽方面へ逃げよ』との仰せです」

「父上が生きているのか!」

「はっ。重傷ではありますが、私どもがついております」

「そうか……それで、皆は無事なのか?」

「甚八も重傷ですが、三好兄弟らが匿い、介抱しております」


 根津甚八ねずじんぱち(48歳)は父の影武者として敵を引き付けたのだろう。彼を思うと心が痛むが、父や従者たちが生きていることは何よりの朗報だった。


「よし、六郎、行くぞ!」

「ははっ!」


「大助さま、木津川には才蔵が先回りしています。才蔵と合流してください。それと、畿内は残党狩りで騒然としています。くれぐれもご用心を!」

「分かった、ありがとう佐助!」


 俺たちは山を越え、木津川を目指して進んだ。父や仲間たちのためにも、生き延びなければならない。




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