平和な未来、人格を持った機械…所謂アンドロイドが人類の友となった時代。
その時代の中で生活を営む、父と母、そしてその息子からなる一般家庭。
そんな何の変哲も無い家庭に、80cm程度のメカニカルボールの中心にカメラ型のモノアイを付け、その機体に人格コアを搭載した廉価版アンドロイドがやってきた。
両親は遊び相手になってくれれば、と購入し起動したばかりの鉄で出来た球体と息子をまず引き合わせ、マスター登録の為に挨拶をさせた。
幼い息子は初めて見る自立して動く機械に大興奮。
「わぁ…!すごい!すごい!自分で動いてる!しかも飛んで動くの!?」
『正確には[飛んでいる]ではなくて[浮いている]かな。反重力を活用しているからね』
「しゃべれるの!!?」
『お喋り位訳ないさ。幼いマスター君』
可動域の狭いモノアイカメラを向けられ、声変わり前の少年の様な音声で話しかけられた幼いマスターは更に興奮を強め、頭の熱が冷めやらぬまま球状の機体に抱き着いた。
「わぁ…ひんやりして気持ちいい」
『おやおや、抱き着くのはいいけどプレートの隙間に指を挟まない様に気を付けてね。マスター君』
それからというものの、一人と一機は何をするにも一緒だった。
公園で少年が駆け回る際は、ふよふよと喋る鉄のボールが浮きながら傍に着いて回った。
『ほらほら、そんなに急ぐと転んでしまうよ』
『それに僕も君に追いつけない。もう少しスピードを落として欲しいな』
共に家で留守番を任された時は、
『さて、今日は私がご飯を作るよ。何がいいかな?』
『え?そりゃあ作れるとも。普段出してないだけで……ほら。プレートを開けば収納アームが展開できるのさ』
『……こら、アームを出した隙間から中を覗こうとしないでくれ。人間の君には感覚が分かり難いかもしれないが、恥ずかしいんだ』
窓に水滴が叩きつけられる雨の日には、
『ん?ゲームかい?パズルゲームが一番得意だけど、他も全般的にプレイできるね。デジタルもアナログも問わないよ』
『へぇ、将棋か。渋いものを好むね。いいよ、やろうじゃないか』
『ただし一戦だけね。終わったら一緒に宿題をやろうか』
好奇心旺盛な少年と、如何なる時も冷静なボール型アンドロイドは非常に相性が良く、
二人は切っても切り離せない絆を結んでいった。
普段通りの一日も、一緒に沢山遊んで疲れ切った日もちょっぴり意見が合わなくてギクシャクしてしまった日も、一日の終わりには必ず一緒のベッドで寝る程で、アンドロイドはその為に無線充電機能を自作する程。
少年との時間を何よりも大切にしていたのだ。
そして時は経ち、少年は成長してもう幼いとは言えない年齢に差し掛かった頃、ボール型アンドロイドの機体がErrorを頻発し始める。
昔のようにうまく浮けない。アームの操作精度が目に見えて悪化している。時には外出先で突然電源が落ちることまであった。
ボディのみの問題でコアに異常は無いものの、このままではアンドロイドの人格コアにまで影響が及ぶかもしれない。
一番心配したのは、マスターである少年だった。
『……耐久年数を考えれば仕方の無いことなんだ』
ボディの寿命。それが間近に迫っていることを球形のアンドロイドは親友に告げる。
『…だから、無茶はよしてほしい。そういうもので、本当に仕方の無いことなんだ。私を換装させるより新しい物を買った方が良い。費用も手間も段違いだよ…』
アンドロイドの制止は、今まさに親友を亡くしかけている少年にとってなんの意味もなさなかった。
貯め込んだ小遣いだけでは足りない。
時間を限界まで切り詰めて、体力の許す限り学生歓迎のバイトに励んだ。
息子の必死な姿に戸惑う両親にも、地に頭を擦り付けて必ず返すと約束し費用の一部を埋めて貰った。
互換性の低い親友のコアを取り付けられる機体、それに換装を行ってくれる工場を血眼になって探し求めた。
そして、成し遂げた。
少年はやっとのことで換装できる新しいボディを所有する工場を割り出し、そこで換装工事を行う契約を見事取り付けた。
『…もう。全く言うことを聞いてくれなかったね』
『でも、君がここまで出来るようになるなんて。人間さんはあっという間に大きくなるね』
『すごいね、本当に。君は本当に立派だよ』
『ありがとう。帰ってくるまでに、また一緒にしたいことを考えていて欲しいな』
『…全力で、それに応えるから』
最後にそう告げて、所々塗装が剥がれた鉄のボールは工場へと送られていった。
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そして時は流れ、コアの移し替えが終わり親友が帰ってくる予定日。
マスターである少年は早朝から今か今かとソワソワしながら玄関で待ち構えていた。
恐らく昼頃になるとは聞かされてはいたが、もしかしたら予定が早まるかもしれないし、何よりいち早く迎えたかったのだ。
でも流石に気が早過ぎたかな……そんな思いが頭をよぎった頃、
玄関の呼び鈴が鳴らされ─────────
少年は即座にドアを開け放った。
そこには微笑みを浮かべた、少年よりも少し背の大きいガイノイド、アンドロイドと呼んでも差し障りは無いのだろうが、ともかく女性型の人型機械が立っていた。
彫刻が動き出したかのような美しさを持った機体だったが、少年はそれに見惚れる前に、“人違い”だったことに落胆する前に、見知らぬアンドロイドに対して急にドアを開けて驚かせたことを謝罪しようとドアを開け放った玄関から一歩下がろうとした───
その瞬間、少年は何か柔らかいものに全身を包まれる。
少年の視界が一瞬にして塞がる。
手足の自由が効かない。
何が起こったのか、少年には全く理解できない。
真っ暗な視界の中、何か、キシリキシリと歯車が擦れる様な奇妙な音だけが聞こえる。
聞き覚えのあるその音を耳にして、ようやく少年は気付く。
自分は、目の前にいたアンドロイドにきつくきつく抱きしめられたのだ。
何故そうされたか、理解できないままどうにか首を動かし、アンドロイドの胸元から相手の顔を見上げる。
目と鼻の先にあるアンドロイドのフェイスプレートは満面の笑みを湛えていた。
『ただいま。マスター君』
穏やかな女性を思わせる音声で、かつての親友は告げる。
そういえば限界まで詰め込んだスケジュールに忙殺されてどんな機体に入るまでは把握していなかったことを思い起こすまで、少年は相当な時間を要した。
親友の機体が代わって一安心。
平穏な生活が戻ってきた。かと思いきやそうはいかなかった。
親友は外見が様変わりしたにも関わらず、以前と距離感が変わらない。むしろ近くなっている。
事ある度に傍に来てくっつき、抱きしめてくる。
思わず離れると、
『…どうしたんだい?いつもしてただろう……抱き返してくれないのかい?』
新しいボディに備わった美しいフェイスパーツの上に、悲しみの感情をのせて訴えてくる。
理由も話せず悶々とする毎日。そもそもアイツは男の子ではなかったっけ、いやそもそもアンドロイドに性別という概念はないのか?それとも希薄なのか?
夜になっても考えが落ち着かない。少年は煮えた頭を落ち着かせようと自室のドアを開きベッドに向かい飛び込む。
その瞬間、ベッドの陰に隠れていた“何か”が少年に覆い被さるように飛び込んできた。
『……今日は逃がさないぞ』
少年はがっちりと抱き竦められる。
待ち構えられていた。それに気づかない程悶々と考え込んでいたのだ。
『なんで避けるんだ?いつもいつも一緒だったじゃないか…』
『こうして寝る時だってそうだったのに、最近は部屋に入ろうとしても何だかんだとはぐらかして一歩も入れてくれない……』
いいにおいがする。やわらかい。いや違う。一旦離れないと。
『……理由を話してくれないんだな』
『なら、こちらにも考えがある』
『今晩はずっと、こうして掴んで離さない。お互い納得いくまでこのままでいようじゃないか』
『……逃がさないぞ。マスター君』
親友のアンドロイドは壊れなかった。
代わりに少年が壊れた。