「フラウィウス軍は未だ動かず!」
そう、アレスに報告があがる。
陽は高く昇り、南中まであと少しというところだった。
そんな中で。
「悪くないね。アレを持って攻めに出よう。
陣形はそのままで進むんだ」
遂に、アレスが軍をゆっくりと前進させたのである。
「敵将アレスが動いたぞッ!!」
フラウィウスは突撃を防ぐ鶴翼の陣でアレスに対抗する形をとっていた。
けれども、アレスは突撃をかけて来ず、ゆっくりと進撃するのみだった。
───アレスめ。何を考えているんだ?
フラウィウスには、アレスの意図が読めていなかった。
それ故に。
「まだ動くなッ!」
そう指示をして、アレス軍が弓や魔法の射程内に入り切るのを待つように指示をする。
───昨日も得意の分散戦法を捨てて変な策を仕掛けてきた。そのせいで潰せなかったが……今日こそはあの軍を壊滅させなければならない。
だったのだが。
アレス軍はフラウィウス側の射程外で行軍を止めると、何やら金槌を叩く音を響かせているのだった。
「アレスめ……本当に……何をしているのだ!?」
フラウィウスはアレス軍を睨みつけることしか出来なかった。
「いいね。あっちの射程外だし完璧な位置だ」
アレスはそう呟くと、周囲の兵たちに「組み立てて」と指示をする。すると、荷馬車の布が取り外され、中から太い木材が現れたのだった。
「速やかに運べッ!!」
小隊の指揮官が次々に指示を出していく。
するとその木材を、予め地中に埋めておいた土台部分に兵士らが次々と突き刺していくのだった。
「足場を作れッ!!」
「梯子を掛けろッ!」
瞬く間に。
頑強な櫓が五つ、この戦場に現れたのだった。
その櫓の上には投石機が三つづつ置かれ、計十五の投石機がフラウィウス軍を狙っている。
アレスは昨日フラウィウス軍を戦場から追い払った後に、地中に予め作っていた櫓の土台部分を埋めていた。
そのため、今日は地上部分を組み立てるだけで迅速に高台を作ることに成功したのである。
そんな中で。
「よし!魔法部隊は投石機にありったけの氷塊を入れてくれ!!」
そう、アレスは叫ぶのだった。
氷魔法を扱う魔法使いたちが櫓に登り、投石機に氷魔法で作り出した氷塊を次々と装填していく。
そして。
「今だッ───撃てッ!!」
アレスの指示のもと。
十五の投石機が勢いよく氷塊をフラウィウス軍に向けて発射したのである。
魔法は矢と同じように有効射程がある。
魔法に供給する魔力が200ヤードを超えると、術者との距離が遠くなるために弱まっていくのだ。
熟練した魔術師であればそれよりも長い距離をコントロールすることが可能なのだが、ごく一般の兵士にその芸当は不可能だ。
今回扱った氷魔法は、氷塊の形成、飛ばす速さ、距離や方向などを精密に操作しなければならないものである。
そして200ヤードを超えてくると、だんだんと複数要素の魔力のコントロールが難しくなってくるために威力が落ちてしまう。
けれども、アレスは投石機を用いることによってその問題を解決させたのだった。
強力なバネ仕掛けの投石器さえあれば、スピードも方向も魔力で調整する必要がなくなる。
すると、術者は魔法が崩れないように形状を留めることだけに魔力を回せばいいようになる。
そうすることで、有効射程を超えてまで氷魔法を飛ばすことが出来るようになるのである。
十五の投石機から放たれた氷塊は、雨のようにフラウィウス軍に迫っていた。
「フラウィウス様ッ!!敵陣から投石がッ!!」
「落ち着け!防御魔法だッ!!」
フラウィウスは、アレスの攻撃が、
───なるほど。昨日我々を止めたのは櫓を作るためだったのか。だが落下までに時間はある。確りと防御を厚くして、別働隊であの櫓を破壊しに行けばいいだけだからな。
彼は、アレスの現在の行動を、昨日のアレス軍の行動と照らし合わせながらもすぐさま理解する。
投石の中身が防御魔法への貫通力に優れた氷属性魔法だと思っていなかったことを除き、彼の推察は概ね正解だった。
───ならば。受けよりも攻めだ。
「この右軍の前半分を以て、アレス軍に挟撃を仕掛けるぞッ!!鶴翼の陣を中央から左右に分け、左右から挟み込むのだッ!!後方も投石を防御次第、突撃に入って櫓を破壊せよッ!!」
うぉぉぉぉぉぉぉっ!!と、フラウィウスの陣からは地を轟かすほどの歓声が上がった。
「突撃ィ!!」
氷塊が束になって落ちてくる前に。
フラウィウスの軍は駆け出していた。
前方の部隊が左右からアレスの軍を挟み込む。
そうしてアレスの陣に出来た混乱を狙い、投石を防御した後方が正面を突いて櫓の破壊に動くという算段である。
フラウィウスは、左側からアレスを攻撃する隊に入り、大きく回り込んでいた。
後方をちらりと確認すると、確りと防御魔法を敷いて投石に備えている。
───悪くない。アレを防げたら、すぐさま櫓の破壊に動いて貰えば戦況はこちら優位となる。そしてアレスを討ち取れるだろう。
彼は、手綱をぐいっと引っ張り、目の前の櫓を睨んだ。
その瞬間に。
後方で、魔力が炸裂したのである。
「こ、後方で魔力反応がッ!!」
魔力感知を扱える魔法使いの一人が、フラウィウスの馬に並走してそう報告してくる。
「……ま、魔法だと!?」
そう言いつつ、フラウィウスは後方を見た。
その瞬間に。
彼の表情は、蒼白に染まるのだった。
───敵将アレスが行ってきたのは、ただの投石ではなかった……!?貫通力に優れた氷魔法を飛ばしてきた、魔力攻撃だった……だと!?
後方は、悲惨な状態だった。
ほとんどの兵が、頭上から降りしきる氷魔法に貫かれて即死していたのだ。
僅かに生き残った兵がいたものの、その数は50にすら届かなかった。
───やられた……ッ!!青二才の癖にッ!私が出し抜かれたッ!!
フラウィウスの表情は、険しかった。
彼が思い浮かべていたのは、今対峙するアレス・ベルサリウスの顔であった。
美少年という言葉をそのままにした、若く才のある将だった。
西方戦線では分散戦法ばかりを採っていたが、それでもアレスの戦術は一級品だった。
けれども、まだまだ自分の方が将としては上であると思い込んでしまっていたのである。
下に見ていたアレスに対して昨日は何も出来ず、今日は後方部隊の殆どを失ってしまった。
慢心もあった。
けれども、彼は自身よりも上手の策を採ってきたアレスにわなわなと額を震わせる。
「あの……野郎ッ!!」
フラウィウスの胸には屈辱と憤怒が混じり合い、湧き上がる激昂を抑えることが出来なかった。
「若造がッ!!」
彼は叫び、声が震えるほどだった。その言葉には若さへの侮蔑と、自分があっさりと出し抜かれたことへの苛立ちがありありと滲んでいる。
目は血走り、鋭く周囲を睨みつける。
けれど、その視線の焦点は曖昧だった。
アレスを下に見た自分自身にか。
それとも、手酷く痛手を与えたアレスに怒りの矛先を向けるべきなのか。
今や誰に怒りをぶつけるべきかさえわからないほど、フラウィウスの心は混乱している。
「私を……このフラウィウスをッ!出し抜くなどッ!許せるものかッ!」
怒りの熱が彼を包み込む中、それをぶつける対象が定まらないことが、更に苛立ちを増幅させる。
そんな中でも。
フラウィウスの側方攻撃部隊は、左右ともに既にアレス軍の側面まであと少しの所にまで到達していた。
左右の部隊だけでアレスの率いる部隊よりも多い。
そのため。
フラウィウスは、アレスを侮って兵を失った後悔の念を全て怒りとしてぶつけることを選ぶのだった。
───まだ我々の方が多いッ!!櫓がある以上、地の利はアレスにあるが……数の力ですり潰せばッ……!!あの青二才を殺せるッ!!
フラウィウスは、そう考えてしまっていた。
「後方は手酷くやられたが、両側から挟み込めッ!!櫓などどうでもいいッ!狙うはただ一つ、本陣だァ!!」
半狂乱になったフラウィウスは、得物を引き抜いてそう叫んでいた。
その先にある本陣で。
アレスは不敵に嗤っていた。