アルウィンのいた中央軍の心臓部に、早馬が駆け込んでくる。
「伝令ッ!!」
入ってきた伝令の兵。
それも、カヴラス家の伝統的な藍色の小さな飾りを付けた騎兵だ。
───メトディオス子爵を討ち取りに向かったロマネスに何があったんだろう。
駆け込んで来ると、その兵はアルウィンの姿を見付け───馬の手網をぐいっと握りながら彼の傍に馬を寄せて口を開く。
「我が軍のロマネス・カヴラス辺境伯が……敵軍のメトディオス子爵を見事に討ち取られました」
アルウィンは、一瞬だけ「よっしゃあ!」と言おうと息を深くまで吸い込んでいた。
けれども。
───上手くいった。これからオレは敵味方問わず自身が負傷したと虚偽の噂を流しつつ軍を下げられる。オレの声が兵に聞こえたら、嘘が機能しなくなるよな。
そう考えた彼は、深くまで吸った息を吐き、
「本当か?でかしたな」
胸の奥に渦巻く歓喜の気持ちをどうにか押さえ込みながら口にする。
そんなアルウィンの姿を見てか、彼の周囲にいた指揮官たちも興奮することはなかった。
伝令兵は続ける。
「しかし、辺境伯は子爵の魔法によって頭部に酷い火傷を負われています。今は小隊長のスライヴ殿と共に戻られておりますが……」
その言葉を聞き、アルウィンは先程まで見ていた紅炎に乱れる前方の景色を思い出していた。
───さっき……莫大な魔力を感じたけど……それがやっぱりメトディオス子爵の魔法だったのか。ロマネスも……かなり奮闘してくれたみたいだな。労わないと。
伝令の兵は、真剣な眼差しでアルウィンを見詰めていた。
その表情は、火傷の傷を負った主の傍に居られない罪悪感のようで、時折目が泳ぐ方向は後方───つまりはスライヴに運ばれるロマネスの方向だった。
───あいつの部下の一人として、主を傍で見守っていたい気持ちがあるんだろうな。
そう思った彼は、伝令兵をすぐさま戻すことにした。
「解った。じゃあスライヴとヴァシラに伝えてくれ。
ロマネスを利用して軍を下げる。オレが大火傷を負ったと吹聴しろと伝えるんだ」
「……えっ!?」
伝令の兵は、余程驚いたのか素っ頓狂な声を上げていた。
「そのままの意味だ。ロマネスの怪我をそっくりそのまま置き換えて、オレが怪我をしたのだと噂を流して軍を下げる。敵をこちら側に誘引するためだ」
彼の言葉には、何故かその兵をつき動かせるような何かがあった。
伝令兵はごくりと唾を飲む。
「成程……スライヴ殿とヴァシラ殿にお伝えして参ります」
伝令兵はすぐさま馬を反転させ、アルウィンの元から去っていったのだった。
………………
…………
……
「アルウィン様。スライヴ、ただ今主たるロマネス・カヴラスを連れて帰還致しましたッ!!
命じられた通りに、我が主のお怪我をアルウィン様のお怪我だとすり替えて一部の隊を既に下げさせております」
数分後には、ロマネスを連れたスライヴが戻ってきた。
彼は奮闘したために疲れてはいそうだが、アルウィンから見ても暗い表情には見えなかった。
スライヴに寄り掛っているロマネスに目を向けると、頭部には簡易的な包帯が巻かれている。
視覚だけでは本当にロマネスの命に別状がないのかアルウィンには判別がつかなかったため、彼は魔力感知を用いてロマネスの魔力回路を覗いていた。
───魔力はしっかり流れてるし、どこか変なところも無さそうだな。大丈夫そうだ。
確認しきったアルウィンは、ようやくスライヴの言ったことに応じるのだった。
「上手くいったみたいだな。それじゃあ、戦歴の浅いオレじゃあ心許ないだろうが……作戦通りに各所に兵を回しながら全体を下げていく。
各所の指揮官にもオレの指示に従ってくれと伝えるんだ」
「「「承知致しました!」」」
本来の筋書きでは、兵士を下げる時の指揮はアルウィンではなくロマネスがする手筈だった。
ロマネスは敗戦処理を最も得意とする将軍であるため、撤退時に犠牲を限りなく減らく経験は豊富なのだ。
けれども。
もしも彼が何らかの理由で指揮が不可能となったときにアルウィンが代行できるようにと、前線の下げ方をある程度伝授してくれていたのである。
「先ずは重装歩兵を騎馬の突入が予測されるところに配置しろ。裁量は任せる。足りないところは補充するから言ってくれ。
あ……でもチャフダル隊はまだ後退するなと伝えてくれ。彼らは屈強な戦士たちで構成されているからな。まだ粘ってもらう必要がある」
本陣にいる何人もの通信兵に向かって、彼は一つ一つ指示を飛ばしていく。
すると、ロマネスの事前準備も相まって、アルウィンの指示した通りに次々と陣形が描きかわっていくのだった。
「……今だ。後退開始ッ!!」
アルウィンが声を響かせる。
そうすることで。
「後退だァ!」
「アルウィン様が攻撃を受けたようだぞッ!」
「陣を保ちながら下がれェ!!」
各地から、指揮官の声が轟いていた。
アレスやロマネスが描いた作戦通りにユスティニア軍の中央は後退を始めていく。
一方で。
「ユスティニア軍が下がっていくぞッ!」
「追撃だッ!!奴らの数を大きく減らす好機だァ!」
「総大将のアルウィン・ユスティニアが大火傷を負ったらしいッ!士気は大きく下がっているはずだッ!」
ユスティニア軍の背後を終わんと、敵陣も活気立って攻勢を強めていたのだった。
その勢いは、昨日の比ではない。
ロマネスやスライヴ、ヴァシラによって
依然として敵軍の方が遥かにユスティニア軍よりも兵の数が多いことに変わりはないのだ。
けれども。
「……本当にアレスの言った通りになったぞ。あとは左右が上手く動くまでこの形を保つだけだ」
事前に打ち合わせをした通りに、騎兵の突撃には重装歩兵が盾をがっしりと構えて防御をする。
そして、突撃を防いだら後方にいた弓兵が巧みに矢を射掛けて敵兵の数を削っていく。
時折、屈強な兵士が重装歩兵の防衛網を破壊することはあった。
けれども、即座にその地点へ回ったチャフダルという男の率いる屈強な隊が、次々と入り込んだ敵を粉砕していく。
そのように。
ユスティニア軍はしっかりと防戦を展開したため、ヒュパティウス軍に作戦を乱されることはなかったのだった。
事が上手く行ったのならば、あと少しすれば右軍のフェトーラが率いる部隊とアレスの左軍が敵を撃破する頃合となる。
「そのまま暫く軍をこのままにする。休める者は今のうちに休むように」
アルウィンはそう言うと、部下から貰った革水筒の中身を零すことなくぐびっと飲み込んでいた。
………………
…………
……
時刻はその一時間前へと戻る。
アレスが率いるユスティニア軍左軍では───
「まだだ。待機するんだ」
アレスは陣形を突撃に向く魚鱗の陣にしてフラウィウス軍と対峙していた。
伏兵などは一切仕掛けずに、彼は真っ向勝負をする陣形を組ませていたのだ。
一方で。
ヒュパティウス陣営のフラウィウスはアレスの行動に困惑を極めていた。
「……アレス軍の動きが妙だ。
エサを出して伏兵を匂わせつつも、昨日は全く襲ってこなかった。なのにも関わらず……今日は全軍で突撃の形に陣形を組んでいる。アレス・ベルサリウス……貴様は何を考えているんだ?」
今までの経験から、予測不可能な行動をした敵は徹底的に分析することが吉であると知っていたフラウィウスは長考することしか出来なかった。
「まだだ。奴が突撃を仕掛けるまでは……こちらも動くな」
そう言って、ただひたすら考える。
陽は、だんだんと高く昇っていくのだった。