シュネル流の剣聖をジルヴェスタ・ゴットフリードが継ごうとしなかったのは、領地への憂いが理由である。
けれども、彼はアルウィンの選択次第で剣聖になることも視野に入れ始めていた。
隣国であるヴァルク王国の現王や一部の貴族は、王族であるアルウィンを次の王に据えようとしていた。
そこで、ジルヴェスタは考えたのだ。
アルウィンを王の器に相応しい経験を積ませてやり、その対価として王になった暁には不可侵を約束させる。
そうすれば時期領主ルディガーは西方にある魔獣の森に専念するだけとなり、ヴァルク王国方面に強固な防衛戦を張らなくて済むようになるのだ。
しかし、これにはアルウィンが王としての道を受け入れてくれるのならばという条件が付随していた。
アルウィンは、ジルヴェスタが剣聖を継ぐこと自体は賛成だ。
けれども、ヴァルク王国の件に関して憂いがあった。
それは、彼の恋人であるオトゥリア・マイブルーメンの存在である。
彼がヴァルク王国に行くということはすなわち、オトゥリアと袂を分かつということなのだ。
ヴァルク王国とエヴィゲゥルド王国は一応国交があるものの、龍神信仰国と南光十字教信仰国であり関係は緊張気味である。
いつ戦になってもおかしくない関係、それが二国間の関係だ。
オトゥリアはエヴィゲゥルド王国の第1王女ミルヒシュトラーセの護衛であり、姉妹のような絆で結ばれている。
そんな彼女が、王女を裏切ってまでアルウィンについて行くことが出来るだろうか。
いや、できまい。
そんなこんなで、アルウィンは夜通し考え込んでいたのだった。
時刻はもう早朝になっていた。
国境をなす山の稜線からは僅かに光が漏れていて、紫がかった雲が細く棚引いている。
そんな中で、アルウィンの仮住まいとなっていたベルラントの家の扉をコンコンと叩く音が響くのだった。
音に気がついたのかすぐさまベルラントは覚醒し、起き上がる。
眠れずに机に突っ伏したままだったアルウィンは老ゴブリンが起きるのを横目に見ながら、扉を開くのだった。
「……待たせたわね」
僅かに盛れる陽の光が、その人物を明るく照らす。
流れる銀髪と、深紅の瞳がアルウィンを貫いていた。
「フェトーラか」
ゴブリン族の村であるため、わざわざ人間に擬態しなくても良いと思ったのだろう。
彼女はダイザール迷宮の出口を作るため、地脈を利用して520マイルにも及ぶ魔力の繋がりを構築してここまで来てくれた。
「ゴブリン族の村の外れに出口を作ってくれたんだよな?」
「えぇ、そうよ」
「大変だったんだろうな。ありがとう」
アルウィンは、こんな心境でもどうにか労いたいと無理やり笑顔を作ってフェトーラを見る。
「大変なのはあんたの方でしょう?」
けれども、アルウィンの心境をフェトーラは見透かしていた。
彼女のアルウィンに向ける視線は、大切な存在であったオルブルや村の人々を失った悲しみを理解して、包み込むような温かいものだったのだ。
「オトゥリアから聞いたわ。
帰り道に迷宮に立ち寄ってくれたのよ。
あの子はあたしと話して前を向けるようになった。
次はあんたの番よ、アルウィン」
「フェトーラ……」
フェトーラの優しさに触れたアルウィンの顔には気丈さを保とうとする笑みが浮かんでいたが、目の奥には抑えきれない涙が光っていた。
「迷宮に戻るわ。あんたの話を聞いてあげる」
フェトーラは、彼の後ろで二人を見ていたベルラントにも「アルウィンを一旦借りるわね」と声を掛け、村の外れへと案内するのだった。
………………
…………
……
迷宮に戻ったアルウィンはフェトーラに全てを話した。
古龍の齎した悲劇に間に合わなかったこと。
彼を導いてくれた師範オルブルが、彼に意志を託して帰らぬ人となったこと。
そして、今、彼の胸中をうごめく憂いについて。
フェトーラは、真摯に聞いてくれた。
それだけで、アルウィンの心は少しだけ軽くなったような錯覚を覚えていた。
最後に彼女は、アルウィンの憂いについてこう結論付けるのだった。
「あんたはヴァルク王国に行くべきよ。
憂いなんて抱く方がバカバカしいわ。
ヴァルク王国にもこの迷宮の、私たちだけの入口を作ればいいのよ。
そうすれば、時々はオトゥリアに会えるわ。
オトゥリアは、休暇を貰えれば迷宮に絶対に行くと言ってくれたし。
あの子の休暇は、偶数月の始めの三日間らしいわ」
「バカバカしい……か。
確かにそうかもな。
オトゥリアが定期的にダイザールに来てくれるのなら……悪くないのかも」
先程までは遠い目をしていたアルウィンだが、フェトーラのお陰か気持ちは大分楽になっていた。
「じゃあ、やれるだけやってみる。
騎士になりたいってのも、オレがオトゥリアと離れたくなかったからだ。
会える機会を作れるのなら王への道も受け入れる。
ジルヴェスタを剣聖にしたい、師範オルブルの名前を後世に広めたいっていうのもオレの目的だ。
オレが王になれるなら……全て片付くな」
「決まりね」
フェトーラが口角を上げる。
その笑みは柔らかいが、何かを飲み込んでいるようにも見えた。
その深紅の瞳が覗く先には、彼女だけにしか解らない何かがあるかのようだった。
「ああ。
オレは王を目指すことにする。
それが……シュネル流にとっても良い結果になれると信じて」
「あなたの傍でサポートはするわ。任せなさい」
そんな彼女の意味深な表情は長く続かなかった。
一瞬だけ肩がピクリと動き、フェトーラの瞳が大きく見開かれる。
その後、少し恥ずかしそうに視線を泳がせながら、思い出したことを頭の中で反芻しているようだった。
「あと……もうひとつね……報告があるわ」
「報告?何だ?」
アルウィンがそう問うと、フェトーラは直ぐに口を開いていた。
「あたし達と交戦していた暗殺者たちの遺体を生贄にして、悪魔アグヴィフィトレスが復活したわ。
あたしがあんたをサポートするって言ったのも、アグヴィフィトレスが復活して、迷宮の管理を任せられるようになったからよ。
……受肉先は、あたしが戦った女の暗殺者だったわ」
「クレメルか……」
その言葉に、アルウィンの心臓は強烈な拍動を刻む。
悪魔が復活したということもかなり重大な内容なのだが、彼が真っ先に思い出したのは女暗殺者、そしてエヴィゲゥルド王国第1王子であるリューゲルフトの姿だった。
リューゲルフトは、フェトーラと交戦していた女の暗殺者クレメルを大切な存在、恐らくは愛人として扱っていた。
彼は、オトゥリアやアルウィンがクレメルを手にかけたのだろうと疑っていた。
実際、クレメルを倒したのはフェトーラだったが、リューゲルフトはクレメルを殺した人物を見つけ次第断罪すると宣言している。
そんなクレメルの遺体に、悪魔アグヴィフィトレスが受肉を果たしたというのだ。
───あのやり取りは、思い出したくない。
クレメルの姿を見て、記憶がフラッシュバックしてきたら気分が悪くなるだろうな。
「受肉を果たしたら……見た目ってどうなるんだ?」
気になったアルウィンは、フェトーラにそう問う。
「見た目……?
あの時、アルウィンと交戦した時の姿を保ったままよ」
「受肉体の姿じゃ……ないんだな?」
「ええ。
あたしはあの女暗殺者の姿を見たくないわ。
あの女、私のことを罵倒してくれたもの」
「お前もか。
オレも、あの女暗殺者や……関連したことを思い出したくないんだ」
「同感ね。
話を戻すけど……私たちの下に就いたアグヴィフィトレスにこの迷宮は任せるわ。
あんたが王になると決めたのなら、あたしは全力でサポートする。
ヴァルク王国は、龍神信仰の国だから
エヴィゲゥルド王国よりも自由に出来ると思うし、着いていくわよ」
「なら……よろしく頼むぞ、フェトーラ」
最初はギクシャクしていた二人の関係も、この迷宮での数日間で心から信頼し合うような関係へと昇華した。
これからは、アルウィンは王の器となるためにルディガーと共に領地経営を学ぶことになる。
───前途多難だろうが、やってみせる。
ジルヴェスタの屋敷に戻ったアルウィンの瞳は、エメラルドグリーンに煌めいていた。