アルウィンから見た女剣士アリックスの印象は、最悪と言っても良かった。
南光十字教であるからといった理由でベルラントに当たりが強いのはまだ理解できるものの、オルブルの悪口を言い出した途端に手が出そうになったのだ。
奥歯をがりりと噛んで怒りをどうにか押し込めるものの、やはり苛立ちが思考に影響を及ぼしているのは間違いなかった。
その場はジルヴェスタが何とか収めたものの、虫の居所が悪いのだと感じた彼は頭を冷やそうと屋敷の外に出る。
すると、目の前にいたのは───ルディガーに見送られる冒険者のエルゴ、メネア、レイフィルの3人だった。
すると直ぐにエルゴがアルウィンに気が付き、「うおっ、アルウィンじゃねえか!」と快活に声をかけた。
「みんな久しぶり。
ルディガー、この3人は一体……」
「ああ、この人たちは……嵐雪龍クロニオスの撃退に協力してくれた冒険者だ」
「嵐雪龍……まさか、古龍種!?」
「あぁ。俺と父上で討伐隊を編成したんだが、古龍が2体も出現した以上、どうしても戦力を分散させることを余儀なくされた。
父上は2度も嵐雪龍クロニオスの撃退経験があるから、指揮さえあれば新戦力でもどうにかなると判断したのだろう。
戦力が減った以上、冒険者から急募せざるを得なかったが……結果としては死者を出すことなく、嵐雪龍クロニオスの撃退に成功した」
「私たちも上位冒険者なのよぉ。
いつか私たちだけでも古龍種を討伐出来るように、今回の討伐隊に参加させてもらったのよぉ」
「そうだったのか……」
「俺らも頑張ったんだ。
古龍種ってヤツはヤバかったぜ!?
自然の脅威そのものを体現した存在だったよ」
語りかけてくるエルゴたちを、アルウィンはどういう表情で聞くべきか解らなかった。
目線を僅かに逸らすと、彼らに変に察されたり、気を遣われそうだったりしそうで、作り笑顔で誤魔化すしかなかったのだ。
彼は、古龍種と戦えなかった。
もう一体出現した古龍、瘴煙龍カリグリスと戦うには到着したのが遅すぎたのだ。
結果として、ズィーア村の住民の殆どが死んだ。
村を出ていた面々や、人間と身体の構造が異なる一部のゴブリン族は難を逃れたものの、やはり犠牲者は甚大だった。
彼やオトゥリアがもっと早く到達していれば、どうなっていただろうか。
アルウィン個人の戦力としては、オルブルの域には到達できないものの、彼を補助できたはずだ。
オトゥリアという戦力は、シュネル流以外の剣技も扱えるため、もっと柔軟な戦い方が出来ただろう。
そうすれば、オルブルは傷をつけられて、そこから身体中に瘴気を浸透させてしまう───といったこともなかったかもしれない。
致死量の瘴気を浴びることなく、撃退に成功できたかもしれないのだ。
しっかりと戦い抜き、撃退という成果を出せたエルゴたち。
そんな彼らには古龍と戦える機会があったのにも関わらず、自身には機会がなかった。
王女の救出後にフェトーラと共に戻っていれば、間に合えたかもしれないのだ。
しかし、今更悔いても仕方ないことは彼も解っている。
けれどもやはり、胸の奥につかえる虚しさの正体は、何も出来なかった自身への憤りや無力感から来ているのだろう。
アルウィンは、無言のままエルゴたちを見送った。
その様子を察したルディガーは、エルゴらが去った時にアルウィンの肩に手をポンと乗せる。
「あんま塞ぎ込むな。
お前は昔みたいに誰かの背中を追いかけて、必死になっていればいい」
アルウィンの心臓が、ドクンと強く震える。
「ルディガー……」
「シュネル流の継承者の話もだ。
父上は次期剣聖になるしかないのだろうと思い始めたようだが、色々と考えがあるらしい。
それは、お前が軸になるということだ」
「オレが……軸!?」
「これは俺からは言えない。
父上は休憩が終わり次第、お前に話をする予定だ。
俺達の今後については、お前がキーマンになる」
アルウィンは、大きく見開いた目をぱちくりさせてルディガーを見つめていた。
しかし、そんな表情を浮かべるアルウィンに対して、ルディガーはの目は真っ直ぐで、躊躇のない鋭さを持っていた。
まるでアルウィンの心の奥底を見通すかのような力強さがあり、揺るぎない決意を感じさせる。
「アルウィン。
父上が戻られるまでは稽古でもしていよう。
現4位の力量を……まだ奥義を習得しきっていないこの俺が知っておきたいんでな」
「……」
「お前がキーマンだと知らされて、俺は悔しかった。
父上の本意は知らない。
けれども、息子であるはずの俺の期待値は、お前以下なのかと……そう思ってしまったんだ」
アルウィンに木剣を渡す真っ直ぐな視線の奥には、アルウィンへの嫉妬心が隠れているのだろう。
けれども。
───そんなことは無い。
オレは、ジルヴェスタおじさんが何度もお前のことを語っている時の表情を見ていた。
オレやオトゥリアはおじさんの実の子のように大切にされていたが、本物の息子には、もっともっと深い愛情を向けていたんだぞ。
アルウィンはジルヴェスタの本意に、ルディガーの発言を聞いた途端に気が付いていた。
───オレを使って、才能の原石であるルディガーを焚き付けたい。おじさんはそう思っているんだ。
アルウィンは、深く息を吸ってルディガーを見た。
───ならば、オレの力量をこいつに見せつけてやらないとな。
途端、彼らは地を蹴っていた。
両者に鋭く抉られた土が、色なき風に舞っていた。
………………
…………
……
アルウィンがジルヴェスタに呼ばれたのは、2時間ほど後である。
着くなり、開口一番にジルヴェスタが放った言葉は、「領地経営の勉強をしろ」というものだった。
「な……何だよ!?
オレは平民だぞ!?
テオドールみたいに算術の心得はあるけど、あいつのレベルに達してないし、四則演算が出来るだけだし……」
すると、ジルヴェスタは呆れたような表情を見せる。
「お前の身分は今のところ平民だが……血筋の尊さは、私よりも上だろうが」
「はぁ!?オレの血筋!?」
アルウィンは、困惑の色を隠せなかった。
頭が真っ白になる。
言葉の意味を掴もうとするたびに、まるで川の水が指の間からこぼれ落ちるように、理解が遠ざかっていくようだった。
「オレの血筋は……ヴァルク王国の……政争で敗れた貴族だって父さんが」
「何だ、ズィーア村の連中は何をやっていたんだ!?
お前の血脈は貴族なんてモノじゃない。
もっと高貴な血だ」
「え……それって!?」
貴族よりも高貴な存在。
そう言われれば、当てはまるものは一つしかない。
「オレが……王族!?……なの!?」
アルウィンの手が無意識に震え始め、足元が不安定に感じられた。
「そうだ。
ユスティニアの苗字。
それは、今から66年前に王位継承戦争に敗れたヴァルク王国の皇太子ユスティニアの物だ。
亡命してきた彼を、私の祖父が……龍神信仰を行っていたズィーア村に匿ったのだ」
「え……えぇっ!?」
「現在、ヴァルク王国では王が床に伏している。
そして現王は、皇太子を時期継承者にしたくは無いらしい。素行が悪く、暗君になることが解りきっているため、亡命したユスティニアの子孫を王に据えるべきだと言ったのだ」
「ユスティニアの子孫……」
「ユスティニアの子孫で残ったのはお前だけだ、アルウィン。
ヴァルク王国の連中は、お前を頼りにして俺に手紙を寄越してきた。王候補となって現皇太子を破れと。
お前は、隣国で王になれる権利がある。
王としての庶務は私の領地よりも多忙だろうが……お前を王にしたいのは、私の意思でもある。
お前がヴァルク王国の王になることを支援する代わりに……ゴットフリード領に侵略することを禁じてもらえるのならば、我々にとってはメリットしかない」
「……」
アルウィンは、何も返せなかった。
「お前を王の器にするために、ルディガーを補佐官として共に領地経営を行うことで学んで貰えるのならば……私は隠居さながらの状態となって領地の束縛から解放され、シュネル流の剣聖の称号を継ぐことができる」
ジルヴェスタの顔全体に緊張感が漂っており、眉は僅かに寄せられていた。
「このまま剣聖を継ぐものが居なくなれば、シュネル流は分裂した上で消えてしまうだろう。
私は……身勝手だろうがそれが嫌なのだ」
アルウィンは、シュネル流を継ぐのはジルヴェスタしか居ないと思っていた。
彼が剣聖となるのならば、今後のシュネル流は発展する。
けれども、彼には領主としての束縛があったために名乗り出られなかった。
その束縛を解くために、アルウィンは足を踏み入れたことなどない隣国、ヴァルク王国の王になる道を歩まなくてはならなくなる。
降り掛かるのは、別な形の責任だ。
そして、その道は、何よりも大事なこと───騎士団に入団してオトゥリアと一緒になるという、彼の理想と袂を分かつことになるものだったのだ。
「……考えさせてくれ」
アルウィンの顔全体が強ばって、口元はきつく結ばれていた。
暗く沈んだ視線はどこか遠くに向けられていた。
その方角は、南西───オトゥリアの居る王都の方向だった。