翌日。
王国騎士団によってズィーア村の調査が終了し、感染症を防ぐために火が放たれた。
天を焼くように立ち上った豪炎はズィーア村の全てを焼き、更にはシュネル流の道場ですら灰燼に帰した。
アルウィンとオトゥリアは、その光景に頬を濡らしながらも全てを受けいれ、黙って見つめていた。
アルウィンの瞳には、両親を失った時のような絶望の色はなかった。
それは、唯一、家族同然の存在であるゴブリン族のラルフを失っていなかったからである。
アルウィンを主人と仰ぐゴブリン族のラルフは、ベルラントに発見されて、辛うじて生きていた。
ゴブリン族は人間よりも身体が頑丈なようで、数年間は不調が続くだろうが次第に良くなるだろうという話だった。
剣聖オルブルが死んだ。
心にぽっかりと穴が空いたようなアルウィンとオトゥリアだったが、オトゥリアは仕事を放り出してまで無理やりズィーア村に来てしまったため、王都に戻る必要があった。
一人になったアルウィンは、暫くはベルラントの家で物思いに耽っていた。
オルブルのいなくなった現実が、冷たく無慈悲に心を抉り続ける。
どんなに頑張っても、厳しい叱責も、時折見せる不器用な笑顔にも、もう二度と触れることはできない。
それがどうしても受け入れられず、無意識のうちに師範ならばどう考えたんだろうと問いかけてしまうアルウィンがいた。
そして、その問いかけの答えが返ってこない停滞に似た静寂に、思わず涙が溢れそうになる。
けれども。
師範オルブルは、アルウィンに道を示したのだ。
彼を死に追いやった、瘴煙龍カリグリス。
その討伐を、アルウィンに託した。
───ならば、ウジウジしては居られない。
そうは思うものの、やはり胸の奥にある空虚な何かはどれだけ歩もうとも埋まることはないのだろうと彼は深い溜息を吐くのだった。
………………
…………
……
オルブルの後任選びは、難航を極めた。
奥義習得者四名と、六種全ては習得しきれていないジルヴェスタの息子のルディガーが何度か会合したものの、話し合いは平行線のままだったのだ。
繰り上がって序列第1位となったジルヴェスタ、第2位となったアリックスという名の女性剣士、第3位のベルラント、第4位のアルウィン、第5位のルディガー。
一晩経っても決まらないため、アリックスは苛立ちを隠せずにいた。
アリックスはアルウィンの前に姿を見せたことは今までなかったが、大陸南部地域の
彼女は勤勉家かつ敬虔な南光十字教信徒であるため、龍神信仰のズィーア村をあまり好まない。
だから、会合はツァラストラの街で行われた。
ベルラントは70歳を超える男性のゴブリンであるが、未だに何匹もの飛竜を単独で仕留めることが出来るほどの高い実力を誇っている。
道端で寝ていても、追い剥ぎをしようとした盗賊団を返り討ちにしたという武勇伝の通りに、全く隙のない男であった。
アルウィンとオトゥリアがイタズラをした回数も数知れず。そのあとにお仕置と称して二人を確りとシバくのもベルラントの役目である。
しかし種族の違いもある上に年齢が年齢のため、あまり表に出たがる素振りを見せない。
最初、皆はジルヴェスタがそのままシュネル流の剣聖を継ぐものだと思っていた。
けれども、その通りに事が運んだならば、会合が長引く理由とはならないのは誰であろうと解るだろう。
現在序列トップとなったジルヴェスタだったが、彼はシュネル流剣聖になることに慎重だった。
それは、シャティヨン領の半分を吸収したことで領地が巨大化したために、仕事が増えてしまったことが理由である。
彼の息子であるルディガーが内務処理のサポートに入っているとはいえ、それでも彼は多忙を極めていた。
ジルヴェスタが辞退すると、では誰を選ぶのかという話となった。
まず論外と言われたのが、ベルラントである。
彼は、どんなに実力があろうとゴブリン族という点で剣聖にはなれなかった。
シュネル流は規模が小さな剣の流派であるが、それでも他流派との交流は厚い。
そして、他流派の殆どは南光十字教と関わりがある集団であるため、ゴブリン族が剣聖になった途端に起こる問題は計り知れない。
更には、アリックスという女が敬虔な南光十字教の信者であることも要因として存在していた。
龍神信仰を好まない彼女がゴブリン族を受け入れることは出来難い。その上、ゴブリン族の下につくことなど尚更出来るわけがないのだ。
アリックスが第3位でベルラントが第4位なのは、そんなゴブリンを忌避する彼女に存在を認めてもらうために、ベルラントが序列を譲ったからである。
アリックスはどうかと言うと、彼女は商人であり忙しく、更には龍神信仰者に技術を教えたくないと宣言しため剣聖候補からは外された。
そのため。
「アルウィン・ユスティニアはどうなのよ!?」
アリックスが指名したのはアルウィンだった。
けれども彼は未だに成長途中であり、精神も未熟な状態であったため、彼をよく知るジルヴェスタやベルラントは首を縦に降らなかった。
ということで、奥義を完全習得した4名はそれぞれの事情で剣聖になることは難しかった。
けれども、後任は決めなければなるまい。
話は、ツァラストラの館で延々と行われた。
苛立つアリックスがグチグチと文句を言う中で、ジルヴェスタは責任感を感じたのか表情をどんどんと暗くしていった。
そんな状況下で、突然。
ジルヴェスタの館に訪ねてきた者たちがいたのだった。
「……待っていた。
約束の日なのだが、父は今少々問題があって……」
客人が来ていたのだが、ジルヴェスタは会議に疲れて相対する気力を失っていた。
そんな父親を見るに見兼ねてルディガーが応対するものの、その者たちは「それならば、また別な日程でもいい」と言う。
来ていた人物は、三人組だった。
がっしりとした体格で、太刀を肩に背負う剣士。
妖艶な見た目の女性の
そして、槍を大切に持つ青年。
彼らは冒険者のエルゴ、メネア、レイフィルである。
彼らは6年前に、
そんな者たちがなぜ、この場所にいるのか。
「古龍種の撃退に尽力してくれたのは重々承知している。こちらの都合で面会が叶わず、申し訳ない」
「別にいいんですよぉ。
私たちだって、今は休暇中ですからねぇ」
メネアはにこりと微笑んで、ルディガーに応えていた。
いつか古龍種を討伐したい、そう6年前にアルウィンに伝えた彼ら。
そんな彼らは瘴煙龍カリグリスと同時に出現したもう一体の古龍種、嵐雪龍クロニオスをジルヴェスタと協力しながら撃退させた功労者だったのだ。
嵐雪龍クロニオスは、山の神とも恐れられる存在で、その侵入する者には暗雲と吹雪を巻き起こして寄せ付けない。
体は深い灰色と氷のような白色の鱗で覆われ、全身から冷たい霧が絶えず立ち上っている。
その巨体が飛翔すると、上空には重苦しい暗雲が集まり、その一帯に暴風雪が発生するという存在だ。
ゴッドフリード領とヴァルク王国の境にある山脈に昔から存在している古龍で、この地に氷属性と風属性の魔力を地脈に流している張本人である。
アルウィンが氷魔法と風魔法を扱えるのも、この古龍が地脈に絶えず干渉していたためだ。
普段は山の奥深くで休眠状態に入っているのだが、十年周期で目を覚まして辺り一帯を猛吹雪に変えてしまう。
ゴッドフリード家は十年毎に領内の強者を率いて討伐隊を組織し、毎度撃退させて休眠させていた。
それがたまたま、今回は瘴煙龍カリグリスの襲来と被ってしまったため、ジルヴェスタは二方面で対応せざるを得なくなったのだった。
剣聖オルブルは、かつての古龍討伐隊に二回参加していた経験があった。
けれども今回は、瘴煙龍カリグリスがズィーア村に襲来してしまった。
そのためジルヴェスタはオルブルやシュネル流剣士に一方を全てを託すことにし、自分が率いる討伐隊は冒険者から緊急で募集することにしたのだ。
その中の募集された面々のうち、最も活躍して撃退に貢献した功労者がエルゴ、メネア、レイフィルの三人パーティーだったのである。
彼らの風貌は6年前の姿とは異なり、自信に満ち溢れた強者の佇まいに変貌していたのだった。