アルウィンは、全てを悟った。
古龍が村に現れ、村の皆がどういう訳か死んでしまったのだということを。
彼は村長の死をすぐさまオトゥリアに告げると、彼女と共に一目散に道場に向けて足を進めていた。
村の皆は恐らくほぼ全滅。
逃げられた人も何人か居るだろうが、極めて少ないだろう。
そんな中で師範オルブルは無事なのだろうかという強い思いが、彼らをつき動かしていた。
けれども。
彼らが見たのは、村の建物以上に破壊されたシュネル流の道場の無惨な姿であった。
周囲には叩き折られた柱であったり、散乱した壁の破片であったりが転がっており、この場所で激しい戦闘が行われたのだということを鮮烈に物語っていた。
シュネル流の門下生や、オルブルが古龍に挑んだのだろう。
折れた剣や血痕が至る所にあり、それはさながら4年前に見た戦場のようだった。
「……古龍がここに来て、みんなと戦ったんだね」
オトゥリアが身を屈めた場所にあった一際大きな血の池には、黒い鱗のようなものが四散していた。
古龍のものだろうか。僅かに魔力を放っている。
オトゥリアはそれを拾うと、静かにアルウィンを見た。
そのマリンブルーの瞳は、潤んでいた。
………………
…………
……
1時間ほど村の中を探したが、特にこれといった収穫はなかった。
ズィーア村にあったのは、見るも無惨な村人の死体と枯れ果てた草木だけだった。
古龍に挑んだシュネル流剣士たちはどこへ姿を眩ませたのか、遺体や手がかりを探そうとしたのだが、どこにも見当たらないのだ。
ゼトロスの鋭い嗅覚も周囲に漂う強烈な腐敗臭が故に機能していないようでアテにはならない。
精神的にもかなり滅入ってしまった彼らは、暗い表情のままズィーア村を出るのだった。
門を出て20分ほど歩いただろうか。
突如、アルウィンの名前を呼ぶ声が遠くから聞こえてきたのだった。
彼がその方向を見ると、数名の集団がいた。
アルウィンの名を呼び、手を振る人物は背が高く、筋肉質の男だった。
「テオドール!無事か!!」
「アルウィン!お前も無事だったんだな!」
アルウィンの姿を見て、空に感嘆の声を放つ筋肉質の男。
その男の正体とは、現在ブダルファルの街を治めていたシュネル流剣士のテオドールだったのだ。
それだけではない。
テオドールの隣には、王国騎士団に事情を説明しているレリウスの姿もある。
「レリウス兄も!無事だったんだな……!!」
駆け寄るアルウィンと、その後ろを着いてくるオトゥリアにゼトロス。
振り返ったレリウスは「待って。あれってオトゥリアじゃ……」と、久しぶりに戻ってきたオトゥリアに驚きの声をあげる。
レリウスもテオドールも、オトゥリアに付き従っていた
6年越しに戻って来たオトゥリアに色々と聞きたいことがあるテオドールだったが、事態は深刻なため、この場で無駄なことは言えない。
そんな重圧感の中で、テオドールは静かに二人に問うていた。
「……村の惨状を、見てきたんだな?」
「見てきたよ」
アルウィンは真っ直ぐな視線を向ける。
「今は落ち着いたが…瘴気が立ち込めていて、とても入れる状況じゃなかった。
俺達が村に確認に行ったのは明け方だったんだが……あまりにも酷いものだった」
今でも思い出すとトラウマが戻ってくるのか、淀んだ瞳でアルウィンらを見るテオドールの表情は苦しそうだった。
「師範は……まだ辛うじて生きている。
襲って来たのは瘴煙龍カリグリスという古龍だ。
師範は激闘の末に古龍の撃退には成功した。
多大なる犠牲を追ったが……な」
テオドールは低くそう呟くと、レリウスは「ついてきてよ」とアルウィンとオトゥリアを促すのだった。
一方で、テオドールは王国騎士団の面々と話をするためにブダルファルの街へと戻っていった。
王国騎士団は古龍の被害状況を記録したいらしく、そのために調査隊を出して調査をした後に村全体を焼こうと計画していた。
テオドールは、思い入れがあるこの村を失うかどうか、苦渋の決断をすることとなる。
レリウスは、村からブダルファルに向かう道の途中にある分岐点へと足を進めていた。
ここから先は魔獣の森の中に続く道であり、この先にはゴブリン族の集落がある。
「師範は……ゴブリン族の村にいるんだね」
「ああ。処置は彼らに任せることにしたんだ」
この先に続く道は狭く、50フィートほどの高さの木々が鬱蒼と茂る森の中を通らざるを得ない。
それが、今までの常識だった。
周囲の森も、様相はアルウィンがダイザールの街へ行く前と様相が大きく変化していた。
陰樹が林冠を成し、真っ暗だった地表。
けれどもその風景は一変し、枯れた木々や折れた木によって地表に太陽の光が差し込んでおり、既に新たな芽吹きが現れ始めていた。
───古龍は環境を根こそぎ変化させる。
瘴煙龍カリグリスってヤツは……生命を腐らせたり、枯らせたりする力で森林の遷移をリセットさせているのかもしれない。
森の木々は殆どが消えていたため、見通しが良くなっていた。
そうなればなるほど、機動力のある魔獣に目をつけられて襲われやすくなる。
───この地域の生態系の頂点に立つ
そう考えたアルウィンは、レリウスを見る。
「さっきの話的に、レリウス兄は……古龍に襲われた時には村に居なかったってことか?」
レリウスは、ズィーア村に住んでいる。
ズィーア村に住んでいた面々は全員が死亡していたため、何故逃れることが出来たのかが不可解だった。
「そうだ。冒険者ギルドにいる時に凶報を知って駆けつけたんだけど……間に合わなかったんだ。
そういや……王国騎士団の人の話だとね、瘴煙龍カリグリスっていうのは……瘴気っていう物質をばら撒く古龍なんだって」
「「瘴気……!?」」
アルウィンとオトゥリアは、思わず聞き返していた。
「うん。
瘴気っていうのは……緑色っぽい霧みたいなやつなんだけど、それを吸い込んじゃうとゆっくりと身体が衰弱していくんだぜ?恐ろしすぎるよな。
それで、段々と抵抗力を失って、最終的には身体全身が腐るようにして死んでいく」
レリウスのトーンはやけに低く、聞くだけでも怖気付きそうなほどの恐ろしさを内包していた。
アルウィンの伯父に当たる
「伯父さんは……瘴気のせいで死んだのか」
「村長はそうだろうな。
古龍が訪れたのは昨日の朝なんだ。
朝なのに闇のような暗い雲が立ち込めて、一瞬で瘴気に包まれたらしい。
俺達も何があったかは詳しくは知らない。
村人は殆どが腐っていたし、生き残りは……
人間の生き残りは唯一、師範だけだ」
「でも、その師範も危ない状態なんでしょ?」
とオトゥリアが問う。
「ああ。
師範は傷を負ったものの撃退には成功したよ。
だけど……その代償にあの場にいた門下生はみんなが瘴気にあてられて死んだ。
師範も呼吸器官や傷口に瘴気が侵入してて……峠は近いだろうって話なんだ」
「「そ……そんな……」」
アルウィンとオトゥリアはそう言ったきり、何も言えなかった。
師範の死が近い。
その言葉が何度も頭の中で反響し、耳鳴りのように消えない。
目の前が暗くなる感覚に、アルウィンは思わず拳を握りしめた。
全身が凍りついたような絶望と、心臓を締めつける痛みに襲われ、足が、拳が……身体全身が震えている。
いつも強く、決して倒れることのなかった師範オルブルが、古龍を撃退した代償として命の危機に瀕しているのだ。
アルウィンらの足取りは、より一層重くなっていた。
けれども、その命が事切れる直前までは側に居たいと、ただそれだけを思うのだった。
1時間ほど歩くと、ゴブリン族の集落に到達する。
村に着くと、集落の雰囲気はいつもと違って活気がなかった。
この村も、ある程度は瘴気の影響を受けてしまったようで重苦しい雰囲気がベールのように一体を包んでいた。