もうアルウィンの脳内には、暗殺者の女=クレメルの図式が完成しかけていた。
───確かにクレメルというメイドは、立ち振る舞いがただのメイドじゃなくて、武人のような動作だったんだよな。
しかし、オトゥリアは全く気付いていないのだろう。何度問われても、「知りません」の一点張りで進展がない。
王女ミルヒシュトラーセの様子を伺うも、彼女は仮面のような笑顔を浮かべているだけで、何を考えているのかアルウィンには判別つかないのだった。
そんな中で。
緊迫した、息することもままならないこの空間を支配する第1王子リューゲルフトは突然、「無駄か」と呟いてアルウィンを見たのだった。
獅子のような威圧感を放つ形相に、アルウィンの拍動は細かくなっていく。
「おい、下民。
何かを悟ったような顔をしていたが……クレメルを殺したのは……テメェか!?」
静かな怒り。
放たれる覇気に、身体中がビクビクと震える。
金縛りは、未だに彼を拘束していた。
そんな中オトゥリアは、「し、知ってるの!?」とでも言いたげな目線をアルウィンに向けている。
「俺の威圧に口を動かせていないんだな?
まあ、いい。表情だけで答えればいいからな」
全てを見透かしたかのようなリューゲルフトの銀の瞳にはアルウィンが映っている。
「一つ目の質問だ。
お前は……この使い物にならない鈴蘭騎士とは違って、クレメルについて心当たりがある……そうだな?」
アルウィンは、あまりの恐怖に心をへし折られたかのように目線で肯定を表してしまっていた。
「次だ。
クレメルを殺したのは……オトゥリアか?」
───これは違う。
彼はオトゥリアがクレメルを殺した訳では無いということを、視線でどうにか伝えようとした。
その表情を読み取ったのか、次の質問が飛んでくる。
「殺したのはお前か?」
───これも違う。
「他に誰か……仲間でも……オトゥリアとお前以外にも、攻略メンバーに誰かがいたのか?」
途端、アルウィンは目を見開いた。
それを肯定だと捉えたリューゲルフトの手は無意識に震えていて、拳を握り締める音が微かに聞こえる。
爆発しそうな怒りを抑えることしかできない無力感が、彼の心を締めつけていたのだろう。
歯を食いしばりながら、冷ややかな吐息が漏れる。
目は血走り、鋭く周囲を見渡すが、クレメルを殺した犯人の姿はこの場にないのだ。
そして、何を思ったか。
リューゲルフトは腹癒せに、思い切りアルウィンの胸倉を掴んでいた。
掴まれた彼の心臓は、この重圧にも早鐘を打ち、張り裂けそうなほどだった。
恐怖で魔力を練ることが出来ず、抗う術はない。
クレメルだと思われる暗殺者を殺した相手は、オトゥリアでもアルウィンでもない。
彼女と戦っていたのはフェトーラなのだが、リューゲルフトには知る由もなかった。
迷宮攻略の報告書にはアルウィンとオトゥリアの名前が書かれていたものの、フェトーラの名前も、偽名のアリアドネの方も、どちらも書かれていないのだ。
それは、フェトーラがアリアドネを死んだことにしてダイザール迷宮の運営をさせるためだった。
名前が無い以上はフェトーラを特定することは現状、もはや不可能である。
アルウィンやオトゥリアを捕縛して拷問をすれば吐くかもしれないが、ミルヒシュトラーセの居る前ではリューゲルフトであっても出来ないのだ。
「やはり、クレメルにはお前らの仲間が関わっていたのだな」
怒気を含んだ冷たい声が、周囲を支配していた。
「その何処の馬の骨か解らない奴を……今は殺せないのがこの上なく悔しい」
滲み出た感情。
それは、失った愛する人に向けたもののようにアルウィンには感じられた。
言葉がかすれ、吐き捨てるように絞り出されたその声には、どうしようもない苛立ちと怒りが込められている。
「そいつに会ったら伝えてやれ。
いつか必ず、この俺が復讐を果たすと。
以上だ。俺は帰る」
犯人であるフェトーラがこの場にいれば、すぐにでもその喉元に手をかけて命を奪いたい───という衝動に駆られながらも、今はただその瞬間を待ち、復讐の刃を研ぎ澄ませるしか方法がない。
静かに踵を返すリューゲルフトは、10分もしないうちに親衛隊を引き連れて、派閥の拠点へと戻って行った。
「上手く切り抜けましたね」
リューゲルフトが去ると、終始空気のような存在感だったミルヒシュトラーセが二人にすまなそうな目線を向ける。
「クレメルというメイドは、お兄様傍付きのメイドでありながらも、暗殺者としての術を身に付けていました。そして会話から察するに、愛人関係だったのでしょう」
「……やっぱり」と漏らすアルウィンに対し、気が付かなかったのか息を呑んだオトゥリア。
「合点がいったよ。女性の暗殺者、いたね。
あの人はクレメルだったんだ……
目的は私の監視と、私が最終層まで死ななかったら暗殺することだったんだろうな……」
遠い目をするオトゥリア。
ミルヒシュトラーセはアルウィンに視線を向ける。
「オトゥリアは私の庇護下にありますが、アルウィン様は庇護下にありません。
そのため、あの場では手出しをされませんでしたが……第1王子派閥に貴方が今後、ちょっかいをかけられる可能性があります」
彼を心配する王女の声。
「拷問だろうと何だろうと、オレは大丈夫ですよ」
「リューゲルフト様の威圧感に何も出来なかったのに、よく言うよ……」
オトゥリアにそう言われると、何も言い返せなくなるアルウィン。
けれども。
「あれは威圧感に指向性を持たせたものです。
お兄様は意図的に、オトゥリアには威圧を弱めにし、アルウィン様には強い威圧を与えていたのですよ」
ミルヒシュトラーセはボソリと事実を告げる。
「恐らく、オトゥリアでもお兄様の本気の威圧を受ければ動けませんよ」
その言葉に、オトゥリアは少しだけ身震いした。
「次からはオレも気をつけますよ。
威圧には対処法もありますし。
今回は対処を出来ないまま威圧を食らってしまいましたが……」
威圧とは、簡単に言えば自身の魔力を相手にぶつけることである。
六大魔公のアグヴィフィトレスが威圧感を放っていたのは、彼の肉体が既に失せていて無意識でも魔力がダダ漏れになっていたからだが、リューゲルフトはそれとは違う。
───体の外部の魔力操作が得意なようで、意図的に飛ばす魔力の量や重さを調整出来るんだろうな。
威圧感に震える現象の正体は、他人の魔力が自身の身体と接触したときの拒絶反応だ。
その他人の魔力が心臓に達してしまえば、心臓が締め付けられるような強力な威圧感となる。
───けれども、理屈を理解していれば対処は用意だ。
身体の外側に自身の魔力を纏えばいいだけで他人の魔力を浴びにくくなって対処が可能なのだが、今回彼が対処出来なかった理由は別にある。
身体に魔力を纏うと、魔力感知や魔力探知を扱える人間には魔力纏い状態であることを知られてしまう。
そうすると、王族に刃を向けようと画策しているのでは、とあらぬ疑いをかけられてしまうと思って魔力を纏えなかったのだ。
「今後はいつ襲われるかも解りませんので、魔力を常に纏います。
そうすれば、威圧はある程度緩和できますから」
「そうされると、オトゥリアの悲しい顔を見なくても済むでしょうね。
……あらっ?早馬が」
ミルヒシュトラーセが視線を窓の外に向けると、そこには伝令の馬が息せきながら駆け抜ける姿があった。
早馬が何なのかは気になるものの、ミルヒシュトラーセは話を続ける。
「さて、オトゥリアとアルウィン様には褒賞を与えなければなりません。
先ずオトゥリアですが……ダイザール迷宮攻略という箔がついたことで、正式に爵位を与えられる下地が整いました。
マイブルーメン。
5月の花、という意味です。
5月生まれのあなたに相応しい、素敵な苗字となることでしょう。
今日からはオトゥリア・マイブルーメンを名乗りなさい。申請は私からしておきますから」
「……ッ!?」
オトゥリアは驚きに大きく目を見開いていた。
ミルヒシュトラーセの透明感のある、歌声のような美声が優しく響き渡ると既にオトゥリアは夢見心地だった。
彼女に与えられたのは、尊き主君からの苗字。
名誉の証であり、王国騎士団員としての誇りそのものだった。
オトゥリアの胸は高鳴り、心臓のドクン、ドクンという鼓動が耳元で響くような錯覚に陥る。
感謝の言葉を返そうとするも、感嘆が故に喉が詰まって声が出ない。
言葉は出ずとも、感謝と喜びが胸の奥から溢れんばかりに込み上げ、目にはじわりと涙が浮かんでいた。
しかし、オトゥリアが決意の言葉を表す前に。
城に飛び込んできた伝令が、国王のいる謁見の間にて放った言葉が、突如としてアルウィンの耳にも飛び込んできたのだった。
「ゴットフリード領の魔獣の森と、ヴァルク王国国境の山岳地帯にて……古龍が出現ッ!!
二体が同時に現れ、ゴットフリード領の各所を襲っているとの情報ですッ!」
途端、アルウィンの顔から血の気が失せた。