「あなたが、アルウィン・ユスティニア様でしょうか?オトゥリアから常々伺っていますよ」
山中に響く声は、歌声のような綺麗なものだった。
陽も傾き、王城に帰還しようとした王女ミルヒシュトラーセ。
そんな中、山荘を出た時に出迎えたアルウィンに興味を持ったのか、食いつくようにオトゥリア関連の質問の嵐を浴びせていたのだった。
フェトーラは、もう既にこの場にはいなかった。
第2王子フォルモーントと、その親衛隊がこの山荘から撤退したのを見届けると「そろそろ
今頃は王都と反対側の、麓に広がる街に辿り着いていることだろう。
質問攻めを受けていたアルウィンは王族と会話しているという緊張よりも、オトゥリアの事ばかり質問されて恥ずかしいと思う気持ちの方が強かった。
けれど彼は、羞恥心に駆られながらも全てを話してしまうので、オトゥリアも顔を真っ赤に染めて悶絶しかけていたのだった。
「ミルヒシュトラーセ様!流石にもう……おやめ下さいっ!!」
彼女の悲痛な叫びが、山中に木霊した。
結局、彼らの恋愛話を全て聞いてしまったミルヒシュトラーセは満足したように「ご馳走様でした」と嬉しそうだった。
火照る顔のままの二人に、ゼトロスはゆっくりと歩きながら「お疲れさま」とでも言いたげな視線を向けている。
ミルヒシュトラーセは、特に抵抗することはなくゼトロスに乗ってくれた。
先頭はミルヒシュトラーセで、その後ろから手綱を握るオトゥリアと、背中から降ろされて歩かされるアルウィン。
ゼトロスは陽光が山の端に沈みゆく前に王都の門に到達出来ていた。
「
門を守る騎士団員たちは、ゼトロスに乗ったミルヒシュトラーセとオトゥリアの帰還を見て興奮を隠せていなかった。
「すぐさま城に使者を!馬車を手配するんだ!
殿下が帰還されたと伝えよ!」
早馬が遠くへ消えていく。
そんな中、現場のリーダーらしい騎士がオトゥリアに声を掛けるのだった。
「オトゥリア様。あなたの使役獣についてですが、本部で登録が必要ですので、その承認が降りるまではこちらで預からせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「うん。そうなるよね。許可を得るまでは……ここで待っててもらっても大丈夫?」
オトゥリアが問うと、「肉さえ食わせてくれるのならば待ってやろう」と彼女にしか聞こえない様な小さい声で返すゼトロス。
「お肉さえあれば……危害を加えることはないはずだから、定期的に食べさせて欲しいな」
オトゥリアがそう言うと、騎士の男は恭しく敬礼するのだった。
「うわっ……空が見えないくらい高い壁だよな」
馬車を待つアルウィンは王都の壁を仰ぎ見ていた。
「高いでしょ!
この城壁、ダイザールの街の倍はあるんだよ!
古龍種の襲来を防ぐために、城壁の上には色々と防衛用の兵器もあるらしいし、何より厚いから防御力は完璧らしいんだ」
話も終わり、彼の様子を見に来たオトゥリアは満面の笑みを浮かべながらそう語りかけてくる。
「この街の城壁は、エヴィゲゥルド王国と隣国キャペッド王国との長い戦争の歴史の中でも、一度も抜かれたことがないほど強固な壁なのですよ」
と、会話に混ざってきた王女ミルヒシュトラーセ。
「そうなんですね。
オレも今後この街で王国騎士団員として暮らせるように努力している最中なので……この街を予め知っておきたいです」
アルウィンの口調は珍しく丁寧だった。
基本的に誰に対してもタメ口がデフォルトなアルウィンだが、相手が王族だからと一応は敬意を持って話しているらしい。
アルウィンに王都のあれこれをオトゥリアとミルヒシュトラーセが説明している間に、ミルヒシュトラーセを迎えに来た王城からの馬車が到着する。
荘厳な装飾に飾られた馬車は、流石は王族用の馬車と言うべきだろう。
そんなものに乗せてもらって良いのかと戸惑うアルウィンだったが、彼はミルヒシュトラーセとオトゥリアに無理やり詰め込まれてしまうのだった。
………………
…………
……
「私は父上に本件を説明してきます。
オトゥリアは自室へ、アルウィン様には取り敢えず客間を用意させますので、二人ともお寛ぎになってください」
王城に着くなり、ミルヒシュトラーセは二人にそう告げた。
けれども、オトゥリアはミルヒシュトラーセの「寛いで欲しい」という言葉に対して異を唱える。
「ミルヒシュトラーセ様。私は騎士団本部に報告と……ゼトロスの認可を頂きたいと思っているのですが」
「要りません。ヨハンには私から伝えておきます」
「疲れているのだから早く休んでください」と語っていたミルヒシュトラーセの金銀のオッドアイに、オトゥリアはしばらく逡巡したが、最終的には「承知しました」と返すのだった。
彼らが城のメインホールに入ると、突如女性騎士が駆けてきてオトゥリアに恭しく礼をする。
「お疲れ様でした。オトゥリア様は度で疲れているでしょうからお休みくださいませ。ここからは我々が引き継ぎますので」
どうやらオトゥリアはミルヒシュトラーセの筆頭護衛ではあるものの、他にも王女付きの護衛はいるらしい。
「ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうね」
そう言ったオトゥリアはミルヒシュトラーセに追従する二人の女性騎士を微笑ましそうに見送ると、今度はアルウィンに好奇めいた視線を向ける。
「初めて来た王城、どう?
王国騎士団員でも、ごくごく一部の人間しか入れない王城にアルウィンは入れてるんだよ」
城の感想を聞かれたアルウィンは、またもや天を仰いでいた。
天井から吊るされた巨大なクリスタルの塊は無数の燭台の炎に照らされて、虹色の輝きを放ちながら夜闇に呑まれつつある城内を神秘的に照らし出している。
クリスタルから光が反射して、まるで壁や天井に星々が降り注いでいるかのようだった。
彼らが立っていたメインホールには、天井まで聳え立つ大理石の大木さながらの柱がずらりと並んでいて、その一つ一つが金の彫刻やら、細かい装飾やらで彩られている。
床は一面が磨き上げられた黒と白の大理石でできており、その光沢は、歩くたびに靴音をカツカツと響かせる。
そして、その先には。
階段から延びる中央には赤い絨毯が敷かれていて、その上に足を乗せると、足音さえ吸い込まれてしまうような不思議な静寂が漂っていた。
「意匠が凝っていて、凄いのはわかるけど……
こんな冒険者らしい見た目のオレがここにいていいのか?」
アルウィンは酷く緊張していた。
彼の服装は冒険者らしいものであり、このような貴族やら、役人やらが正装に身を包むような格式高い場には不向きな服装だろうと彼は考える。
が、彼の服装は王城では確かに目立つものの、これまで呼ばれた冒険者は殆どが正装ではなく、アルウィンのような冒険者らしい装備のままだった。
そのため、大して問題ないということを知っているオトゥリアは「大丈夫だよ」と言うものの、アルウィンの不安は未だ止まないのだった。
そんなアルウィンの腕を無理やり掴むと、オトゥリアはミルヒシュトラーセが言った通りに用意されていた客間に彼をぶち込んでいた。
オトゥリアによってベットに投げ込まれたアルウィンが「ぐぎゃあっ!」と変な声をあげていたが、この部屋は防音室になっている。室内に暗部が潜入していない限り、彼の醜態を知っているのはオトゥリアだけだ。
「服装についてはそのままで問題ないし、そこまで気になるなら城の人間を適当に呼び出して服を持ってきて貰えばいいと思うよ。
とりあえず、ダイザール迷宮攻略任務を達成させた私たちに対して、迷宮攻略任務の依頼主である第1王子リューゲルフト様は面会をしなきゃいけないから、何日かかるか解らないけど待っててね」
「例の……王子か」
アルウィンの声のトーンはいつにも増して低かった。
迷宮に攻略する前に、オトゥリアは第1王子について「両親の生殺与奪の権を握っていて、更には自身をどうにか殺そうとしてきた」と説明している。
今回のダイザール迷宮攻略から始まる一連の流れの発端は、王位継承権を巡る第1王子リューゲルフトと第2王子フォルモーントの争いである。
ミルヒシュトラーセをどちらの陣営に付かせるかが勝利の鍵と成りうると気が付いたリューゲルフトは、彼女と主従関係を越えた絆で繋がっているオトゥリアの命を狙って揺さぶりをかけようとしてきた。
そんな、オトゥリアたちの命をまるでなんとも思っていないような王子とこれから対面するのだと思うと、アルウィンの胸の奥では、相手が王族であるにも関わらず、腸が煮えくり返るような怒りがふつふつと湧き上がってくるのだった。