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第71話 王女の勝利

「なるほど。ミルヒシュトラーセ、お前は俺を王にする代わりにここから出し、オトゥリアを諦めろと言いたいんだな?」


 ニヤニヤと笑う第2王子フォルモーントの口元。

 そうはあれども、一切笑っていない冷たい瞳。

 その不気味さに、ミルヒシュトラーセは臆してなどいなかった。


「えぇ。でも勘違いされていますので付け足しますと……これは、お兄様への貸しです」


「クハハハハッ…………

 強気に出たなあ。嫌いじゃないよ」


 ミルヒシュトラーセの言葉は、誠実さが込められているような様子とは大きく異なっていた。

 丁寧な口調ではあるが、それよりも寧ろ、こちらから喰ってやろうとでもするような肉食獣の表情を仮面のような笑顔でカバーしている、と形容するべきであろう。


「今……王都では、お兄様の支持が失墜しかけています。その失墜を私が無かったことにする、これで私の身柄を解放していただきます」


「ほう……悪くないよ。

 それで、オトゥリアを諦めろという話と、お前からの支持は五分五分で釣り合うと思うんだが……

 何故、貸しと言えるんだ?」


 にやりと不敵な笑みを浮かべたフォルモーントは、何やら楽しそうだった。


 ───そうだ。

 フォルモーント殿下が私への執着することを止めさせるためにミルヒシュトラーセ様は支持をするって言ったんだと思っていたんだけど……私の勘違い?

 〝貸し〟ってことは……違うんだ。

 いつもは虫すら殺せないようなか弱い雰囲気を纏っているミルヒシュトラーセ様が、本来の強さを見せようとしているんだから何かがあるはずだよね。


 オトゥリアは、固唾を飲んで二人のやり取りを見守っていた。


「とぼけないでください。

 そもそも、今のこの状態と、オトゥリアをお兄様が欲している件はまったく関係ないでしょう」


 あっさりと、関係ないのだと言ってのけたミルヒシュトラーセ。

 その発言はあまりにも意外すぎて、オトゥリアの想像とは掛け離れたものだった。


 ───この状況と、私がフォルモーント様に狙われている件は……別件ってこと!?


 彼女は、状況を整理することにした。


 オトゥリアは予め、フォルモーントの「ダイザール迷宮攻略任務を取り下げて欲しければ俺の女になれ」という旨の提案を蹴っている。

 フォルモーントにはオトゥリアの身体を好きにできる権利などハナから存在しない。

 その件は既に先程、ミルヒシュトラーセがフォルモーントに同じ旨を言い放っている。


 さらに、「ミルヒシュトラーセを王都テマイクレンに戻したいのならば俺の女になれ」という、フォルモーントがオトゥリアに放った言葉。


 オトゥリアは、言われた時にミルヒシュトラーセがフォルモーントに噛み付くなどとは全く思っていなかった。

 王女ミルヒシュトラーセは、今まで自身が年相応のか弱い娘であるというような態度を両親や兄達、そして並み居る自派閥の日和見主義の貴族らの前でとっていて、本来の並外れた思考能力をオトゥリア等の限られた人物の前でしか見せることがなかった。


 それは、上手くを世を渡ろうと願うミルヒシュトラーセの強い願望が根底にあるためだ。


 その本性を出させないため、どうにかフォルモーントのモノになることを回避しつつミルヒシュトラーセを解放出来るように、自ずから交渉しようとしていたオトゥリアだったのだが───ここでミルヒシュトラーセが本来の実力を見せて牙を剥いたのだ。


 ミルヒシュトラーセの仮面のような表情の奥にある真意にオトゥリアは気が付いたものの、なぜそのような決断に至ったのかは解らなかった。


 ミルヒシュトラーセが自ら、この件を黙ってやるという風に打開策を用意したので、取り決めが決まりさえすれば、ミルヒシュトラーセが解放されてオトゥリアの交渉内容とは無関係に帰還できる。

 自力でミルヒシュトラーセが脱出出来るのならば、オトゥリアはフォルモーントの提案に従う必要がなくなるのだ。


 状況の整理が終わり、オトゥリアが気付いた時には全てが終わっていた。


 オトゥリアがフォルモーントに従う必要が無いという事実を気付かせないように立ち回った彼。

 けれども気が付いていなかったのはオトゥリアだけで、今まで実力をひた隠しにしてきたミルヒシュトラーセは気付いていた。


 彼の僅かに上がる口角は、妹の成長を喜んでいる兄のものとそっくりだった。

 けれどもやはり、瞳は依然として冷徹そのものである。


「……気付いたか。

 お前は温室育ちの甘ちゃんかと思っていたんだが……そこまで交渉術に長けているとは思わなかったよ」


「私は二人のお兄様の背中を見て育っておりますから、お兄様が交渉術に強くなればなるほど、私もその背中から学ぶことが出来ているのです」


 ミルヒシュトラーセは、オトゥリアに視線をさっと向けた。


「そして、オトゥリアの件ですが……彼女を欲するお兄様の気持ちに交渉で制限をかけることはやめておきましょう。

 普段ならば彼女は、あなたに嵌められるほど馬鹿ではないのです。

 今回嵌められてしまったのは、隙を作ってしまった私の責任でもありますが……」


 再度、オトゥリアを見るミルヒシュトラーセの瞳。

 それは、大切な存在に向けられた愛情のこもった眼差しであり、先程までのフォルモーントに対する本心を隠した目線とはまるで異なっていた。


「オトゥリアは、私がしっかりと行動していればお兄様たちの策略になど嵌められませんから。でしょう?」


「は……はい!

 ご期待には必ず……!二度と私は屈しません!」


 敬意が故であろうか。思わず、考えるよりも先に言葉が出てきてしまっていたオトゥリア。

 オトゥリアは、自らがフォルモーントに屈するような弱い存在ではないと主であるミルヒシュトラーセに言われているような気がして、ある種の高揚感に浸っていた。

 そんな中で、オトゥリアの決意表明めいた発言に、彼女を見詰めたミルヒシュトラーセは心から嬉しそうに口元を緩めるのだった。


 けれども、ミルヒシュトラーセがフォルモーントに向き直ったとき、その緩んだ表情は仮面のような笑顔へと変貌する。


「ですので……私がお兄様を支持する、という話は貸しです。

 この件でお兄様を庇い、更にはお兄様の陣営を支援します。

 オトゥリアに干渉するならどうぞご自由にちょっかいを出してください。彼女が上手く立ち回り、お兄様が返り討ちに逢うかもしれませんが……そこは自業自得ということで」


 僅かに棘のあるような冷たい口調で、兄であるフォルモーントにバッサリと言ってのけたミルヒシュトラーセ。

 一瞬だけ目を丸くした彼だったが、直ぐに元の、何かを軽蔑しているような顔に戻る。

 けれども。

 表情はともかく、オトゥリアをめぐる好敵手としてか弱かった筈の自分の妹が成長したということを嬉しく思っているのだろう。


「面白いから全て呑んでやるよ」


 と、フォルモーントはやけに明るい口調でそう言ったのだった。









 ………………

 …………

 ……










 フォルモーントは契約書を書くと直ぐに親衛隊を引連れて、自身の派閥の有力者の領地へと行ってしまった。

 残されたのは、オトゥリアとミルヒシュトラーセだけである。


「ミルヒシュトラーセ様。

 先程はお手を煩わせてしまい、誠に申し訳ございません」


「構いませんよ、オトゥリア。

 私としても、お兄様がオトゥリアを狙っているのを好ましく思っていませんから。

 オトゥリアには、時折語ってくれる大切な幼馴染が居るのですから、同じく恋をする乙女同士、お兄様であっても恋路を邪魔させたくないのです」


「ミルヒシュトラーセ様……」


 ミルヒシュトラーセは、現状、どう足掻いても結ばれることが不可能な文通相手に恋焦がれていた。

 彼女が世渡り上手になろうと決心したのは、その相手と再会して、自身の気持ちを打ち明ける為である。


 そんな彼女だからこそ、アルウィンへの想いを抱いているオトゥリアのことを理解しているし、オトゥリアも同様にミルヒシュトラーセのことを理解できていた。

 その相互理解は、完璧な主従関係を構築出来る絆のような要素となっている。


「けれども、再会したときのあなたの顔は……恋する乙女の顔にさらに磨きがかかったようでした。

 この迷宮攻略で、何かあったのですね?

 恐らく……その愛する方と、再会できたとか?」


 そう言われてしまうと、オトゥリアも説明せざるを得ない。

 彼女は耳まで顔を紅に染めると、今までの旅路をミルヒシュトラーセに語るのだった。


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