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第70話 オトゥリアの主

「オトゥリア……よく戻って来ましたね」


 オトゥリアにそう言ったのは、エヴィゲゥルド王国第1王女のミルヒシュトラーセだった。

 ミルヒシュトラーセの両隣には、重厚な全身鎧を着た屈強そうな騎士が二人。

 その二人は、第2王子フォルモーントの下に配属された親衛隊のメンバーだった。


 オトゥリアは主であるミルヒシュトラーセに恭しい動作で跪く。


「ありがとうございます。

 長い間、お待たせしてしまい誠に申し訳ございません。準備は整っております。さあ、帰還しましょう」


 そう言って、覚悟の色をうかべた瞳のオトゥリアはミルヒシュトラーセの手をそっと掴んだ。

 そうして、エスコートするように引き寄せる。

 王女ミルヒシュトラーセはそんなオトゥリアの姿に頼もしさを感じたのか、それとも寂しさを埋められて嬉しいのか。潤んだ瞳と、僅かに上がった口角が窓から差し込んだ陽光に輝いていた。

 けれども、そのとき。


「チッ……」という舌打ちの音が、隣の部屋から漏れてきたのだった。


「……!?」


 ───今の声は、舌打ちは、聞き覚えがある……

 今一番会いたくない人が……この部屋の隣にいるんだ……!



 オトゥリアは短く息を吸うと、咄嗟に左手をミルヒシュトラーセの前に出し、護るように立ち上がった。

 腰の携帯式魔法袋スペースポケットに右手を突っ込み、そうして自身の剣の柄に触れる。

 ざらつく触感が、オトゥリアの掌に走ったその瞬間。


「おいおい、オトゥリア。物騒な顔はよせよ。俺に驚き過ぎなんじゃないか?」


 ドアがバンと蹴破られ、その向こうには男がいた。

 シルエットは、アルウィンを一回り小さくしたかのような体躯である。

 七三分けにされた前髪。ミルヒシュトラーセの色を僅かに褐色にしたような髪色の合間から覗くのは、何を考えているのか判断しかねる鋭い視線だった。

 口元は薄笑いを浮かべており、その笑みを見れば、相手は見下されているように感じてしまう。

 喜怒哀楽の感情を露わにすることは滅多にないのだろう。それがより一層、この男から不気味さを放つ要因となっていた。


 ───この人の目線、何かを見透かされているみたいで、いつも居心地が悪いんだよなぁ……


 その姿にオトゥリアの心拍数は跳ね上がる。

 脳は、最大限の警告を発していた。

 けれども、彼女は得物に触れた右手を解いて静かに跪く。


 カツカツと、音を立てて無駄のない動きでオトゥリアに近付いたその男。

 僅かに上がった口角を引き上げて「お疲れ様……よく頑張ったじゃないか」と、吐息を含ませながらオトゥリアの耳元で囁くのだった。


 その言葉に、オトゥリアは不快感が故にビクンと震える。

 けれども、その男は止まらない。

 身体をまさぐって来そうないやらしい手が、オトゥリアに伸びて髪の毛に触れた。

 けれども、オトゥリアは抵抗をしなかった。


「くっ……」


 否、出来なかった。

 この男には、逆らいたくても逆らえない。

 それは何故か。


 それは、この男こそが、エヴィゲゥルド王国第2王子のフォルモーントだったからである。


 頭を触られ、次に左手が顎に伸びる。

 けれどもオトゥリアは、嫌いな食べ物を咀嚼した時のような不快感を顕にしたかのような、苦虫を噛み潰したような表情で耐えるのだった。


 けれども。


「……そこまでです、お兄様。

 オトゥリアはよく働きました。休息が必要でしょう」


 その声に、フォルモーントの手の動きが止まる。

 彼は無言のまま、声の主に目線を向けた。

 その瞳にあったのは、虚無である。


 これ以上、オトゥリアの浮かべる苦痛の表情を見ていられなかったのか。

 はたまた、ただ早く事を済ませたかっただけなのか。

 第2王子フォルモーントを止めたミルヒシュトラーセの作り笑顔の奥の真意は、この場にいる人間では唯一、オトゥリアにだけしか解らないものだった。


「ミルヒシュトラーセ様……」


 オトゥリアは、ぼそりと主の名前を口にする。

 するとミルヒシュトラーセはオトゥリアに立つように指示するのだった。


 サッと立つオトゥリアに、僅かに軽蔑するような表情を見せるフォルモーント。

 ミルヒシュトラーセの両脇にいたフォルモーントの親衛隊の二人が放つ威圧感は、圧倒的な強さが故だろう。


 オトゥリアにとって、この場所からミルヒシュトラーセを王都テマイクレンに戻すことが全てだった。


 ───誤算だらけだ。アルウィンたちにどうやって協力を仰げばいいんだろう……


 彼女の推測では、ここに第2王子フォルモーントが居るということは想定されていなかった。

 そのため、何かあったらゼトロスやアルウィン、フェトーラで武力制圧でもしてしまおうと考えていたのだ。


 けれども、想像と実際は遥かに異なっていた。

 オトゥリアを欲する第2王子フォルモーントがここに来ていたためである。

 王族相手に剣を抜けば、それだけで死刑となるためオトゥリアらは荒事を行えなかった。


 居て欲しくないという思った願望をベースに、オトゥリアはフォルモーントが居ないという体で作戦を考えてしまっていたのだ。


 狡猾な彼のことだから、ミルヒシュトラーセを王都に戻すことを約束する代わりにオトゥリアを自分のものにしようとすることだろう。


 オトゥリアは奥歯をぎりりと噛んで、フォルモーントを睨んでいた。


「強い瞳だな。益々お前が欲しくなってきたよ」


 そうやって不敵に笑うフォルモーントだったが、オトゥリアの後ろから透き通った声が放たれる。


「お兄様。許嫁が居られるのにも関わらず、お戯れはおやめ下さい。

 彼女はわたくしの騎士なのですから」


 兄に向けて放たれたミルヒシュトラーセの言葉。

 それには、大切な存在であるオトゥリアに手を出すなという怒気と軽蔑が含まれていた。


「クククッ。

 なかなかいい目をするな、ミルヒシュトラーセ。

 だが……お前をタダで帰らせる訳にはいかない」


「あら、そうなのですか?

 私に謁見をしたい方は多いのですよ?早く帰らなければいけませんのに。

 して……私が帰れるような条件とは、どのような条件なのでしょうか?」


 両隣にいるのはフォルモーントの親衛隊、つまりは敵である。

 そんな中でも、ミルヒシュトラーセの毅然とした姿勢は変わらない。


「オトゥリアは私の直轄の護衛ではありますが……私の姉のような存在でもあるのです。

 姉を不埒な男に弄ばれ、尊厳を踏み躙られることを望む妹がどこにいるというのですか?」


「ほう……この俺を、不埒な男と?」


「えぇ。間違いないでしょう?

 許嫁の顔がお気に召さないと言って、好みの女性を無理やり囲っているお兄様に、孕んだらすぐさま処分するようなあなたに、オトゥリアを渡すつもりなど毛頭ありません」


 ハッキリと言い放ったミルヒシュトラーセに、フォルモーントは悦に入ったのか、楽しそうな表情を浮かべていた。


「ミルヒシュトラーセ様……」


 オトゥリアを大切にしている、主のミルヒシュトラーセ。オトゥリアはミルヒシュトラーセの本意を聞くと涙を浮かべたため、彼女の視界は滲んでいた。


「それに、お兄様の出してきた条件は確か……オトゥリアの身をお兄様に渡すことを引き換えに、リューゲルフトお兄様にオトゥリアの迷宮攻略任務を取り下げさせる事だった筈です。

 けれども、肝心のオトゥリアはその条件を蹴って、迷宮に挑みました」


 語り出したミルヒシュトラーセに、場の視線は釘付けになっていた。


「その時点でお兄様はオトゥリアが迷宮を攻略することを全く予想していなかったがために、慌てて王都に戻ってきたのでしょう?

 そうしたら……お兄様の部下のここのお二人が、受け入れを拒否したオトゥリアに苛立ち、私をここに軟禁したのをご存知になったのですよね?

 お兄様との取り決めの書簡はここにありますが……

 軟禁に関しては、取り決めの内容を大きく逸脱しておりますよね?

 世間にバレたら……いえ、もう既にバレかけてはいるでしょうが、お兄様の支持率は大きく傾きます」


 淡々と語るミルヒシュトラーセに、フォルモーントは楽しそうだった。


「なるほど。口が達者になったようだな」


「えぇ。お兄様から学ばせて頂きましたからね。

 続けます。

 私は、部下が勝手に内容を逸脱し、王女を軟禁してしまったという失態を犯したお兄様に対して一つ提案したいと思っているのです」


「提案……?」


 フォルモーントの瞳が、僅かに大きく見開かれる。


「はい。提案です。

 お兄様の部下の失態が外部に漏れれば……名声に傷が付くことはお間違いないでしょう?

 私の失踪について、王都ではお兄様しか疑われていません。私がこの二人に連れ去られる瞬間を目撃していた王城の者も多いですからね。

 そこで私が、軟禁など存在しなかった、と主張すればどうなるでしょうか?」


「…………」


「被害者であった筈の私がお兄様を擁護する以上、お兄様の疑いは必然的に晴れますよね?

 そうすれば、リューゲルフトお兄様は私がお兄様に付いたと考える筈ですし、軟禁を否定した上で私もお兄様を支持すると言えば……

 お兄様が王となれる可能性は極めて高くなります」


 静かに言い切った、王女ミルヒシュトラーセ。

 その言葉の真意は、その瞳の奥にある真意は、オトゥリアしか知らない。

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