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第67話 欲望に狂わされた男

 アルウィンの怒りに任せた〝辻風〟を、エウセビウは飄々とした顔で受け流していた。


「なんの真似なんだ……ッ!

 オトゥリアを襲いやがって!」


「アルウィン。第1王子のリューゲルフト様はな、オトゥリアをどうしても殺したいと仰せなのさ!」


 途端、アルウィンの瞳がカッと大きく拡がった。


 ───なるほど。エウセビウは……第1王子に雇われたのかよ。金のためになら姪っ子を……妹弟子を殺すのか!?馬鹿げてる。狂ってるだろ!


 彼の剣は、いつにも増して荒々しかった。


「お前は……人でなしだ!ゴミクズに堕ちたのかよッ!」


「そうだな。俺は金さえあれば……なんでもいいッ!」


 エウセビウの剣が、光を反射しながらアルウィンに迫る。

 この技は〝蒼天そうてん〟だ。

 手首のスナップと上半身の体重移動を駆使して放つ、相手の間合いの内側を抉るような技である。


 けれども。

 アルウィンは〝蒼天〟の軌道を熟知しているため、エウセビウに遅れをとることはない。

 彼は、エウセビウと最後に会った4年前でさえ剣の腕は上だったのだ。

 兄弟子でありながらも、エウセビウはアルウィンよりも弱い。

 なのにも関わらず。

 アルウィンの放つ驚異的な速さの斬撃も、エウセビウの捉えどころのない受け流しによって完璧に防がれ、攻め手に欠けていたのだった。


 何故これ程までに防がれるのか。


 それは、アルウィンの激情に起因していた。

 どの剣士であろうと、感情が高ぶれば高ぶるほど剣の軌道は大振りになって荒くなる。

 そうなると、精密さを極めたシュネル流の剣が崩れるは明白だ。


 そんなアルウィンが、エウセビウと何度も打ち合う中で、オトゥリアの方に視線をちらと向ける。

 オトゥリアは襲い来るシュネル流剣士に対し、ヴィーゼル流やトル=トゥーガ流、そしてシュネル流の三つの動作を駆使してちまちまと削っていっていた。

 けれども、オトゥリアに攻撃を放つのはすべてがシュネル流の剣士だ。

 その中に、アルウィンの見知った顔はひとりも居ない。


 シュネル流の剣士は、ゴットフリード領でおよそ150名。他領や隣国のアレジーナ共和国と、ゴブリン族に数十名の剣士もいるが、多く見積っても300名であり、そのうちの7割はアルウィンの見知った顔なのだ。


 国内にいる剣士は、毎年新年に剣聖オルブルのもとへ挨拶に赴く決まりもある。だが、アルウィンが記憶をどう遡っても思い当たるような顔がひとつもないのだ。

 と、いうことは。


「弟子を取ることが許されるのは、奥義習得者のみだぞ!掟を…破るな……!」


 彼はぎりっと、彼は奥歯を強く噛んで縮地を発動させると、一瞬でエウセビウの眼前へと迫る。

 そうしてすぐさま、鋭い角度から繰り出された斬撃を叩き込んでいた。


 けれども。

 アルウィンの怒りに任せた大振りな斬撃のラッシュを、嘲笑うかのように全て生身で避けたエウセビウは堂々と吐き捨てたのだった。


「俺は……シュネル流なんて棄てた…!

 掟なんぞ俺の知ったことじゃねえんだよ!」


 その言葉を聞き、アルウィンの心臓がドクンと大きく震える。


「嘘……だろ?」


 途端。

 その言葉を皮切りに、アルウィンの攻撃は止んでしまう。

 嘲笑を浮かべるエウセビウを睨むエメラルドグリーンの瞳。


 ───突然、金の欲望に負けてオトゥリアの命を狙う敵として現れたエウセビウだったが……まさかシュネル流の掟すら破っていたとは。

 まだ、シュネル流というものがあるからこそエウセビウとは解り合えると思っていた。

 でも……


 現実を受け入れようにも受け入れ難く、彼はごくりと唾を飲み込む。その瞬間に、心の中で何かが解き放たれたような悪寒が渦巻き始めたのだった。

 その何かが心を侵食していく。

 すると次第に、エウセビウの発言に対して彼の身体は小刻みに震え、剣を持つことも覚束なくなってしまったのだった。


「エウセビウ……お前……ッ」


 震えた声で、何かを言おうとするアルウィン。

 けれどもエウセビウはそれを遮って、つかつかと歩み出していた。


「アルウィン。お前の本質は甘ちゃんだ。

 お前は仲間の為になら簡単に人を殺めることが出来るだろう。

 だが、お前はそれしか出来ない。

 仲間思いなところは結構だが、七年前にがあったからな。自分の為に剣を振ることも、かつて仲間だった裏切者にまともに斬り掛かることも出来ない弱い人間に成り下がってしまってる」


 段々と、エウセビウは口調を強めていく。


「自分の姿を俯瞰して見てみろよ!お前の剣は格段に強くなっているが……俺を殺す覚悟がないんだよ!

 そういう面で……お前は俺に勝てないんだ!アルウィン!!」


 アルウィンに向け、剣を突きつけたエウセビウの姿。

 それは、今までアルウィンが対峙したことのない異質な雰囲気を纏いながら彼を見る視線だった。

 それは金銭に対する激しい欲望だけでは片付かない感情なのだろう。

 羨望、若しくは嫉妬といった負の感情が渦巻いた瞳が、アルウィンを睨んでいる。


 ───な、何だよ……

 オレは、オレは……裏切ったエウセビウが憎い。

 なのに……あいつの言う通りだ。

 エウセビウを殺したくない……


 アルウィンは肩を上下させ、震える手をどうにか中段にまで持ってきた。

 けれども本能的に構えたその構えは、攻撃的な構えではなく受け流しの構えだった。


 エウセビウの言葉は、的を得ていたのだ。

 それが何故か、アルウィンの心に呪縛をかけて思うように身体を動かせなくさせていた。


 まともに動けないアルウィンに、エウセビウは地を蹴った。

 この軌道は、迫るのは。

 〝辻風〟の軌跡である。


 弱々しくも、アルウィンはまるで酔っぱらいのようにふらりと動いて、剣をエウセビウのものに添わせた。

 剣と剣が触れ、キィィンと高い音が鼓膜に響いた、そんな中で。

 弱々しいアルウィンの防御を、一撃で突き崩すエウセビウの姿があったのだった。


 アルウィンの弱々しい防御を的確に突き崩した、エウセビウの剣。

 剣の間合い内側に踏み込んできたエウセビウに蹴り飛ばされた彼は、乱闘状態のオトゥリアの付近にまで転がされてしまっていた。

 途端、彼女を狙っていたはずの剣士のうち、アルウィンの周りにいた者たちの眼が光る。


「「「殺せェ!!」」」


 アルウィンに向け、あちらこちらから一斉に剣閃が放たれた。

 彼は、ハッと気が付いて身を捻りながら全ての斬撃を回避をするものの、生気を失った目は変わっていない。


 オトゥリアを狙っていた剣士のうち3分の1程度がアルウィンに向かったため、彼女はより戦いやすくなっていたようだった。

 防戦一方だったものの、やや余裕が出来たのかアルウィンの方に視線を送ったり、時折攻勢に転じていたりしている。


 アルウィンはどうにか、体勢を建て直していた。

 右足を下げ───強く地を蹴る。

 心を何かに侵食されていることは、依然として変わらない。

 けれども、彼は気が付いたのだ。


 自分はまだ心が弱く、裏切ったエウセビウと対峙できない。

 だけれども、オトゥリアを襲うシュネル流を使う剣士共には、絶対に負けられないという強い覚悟を持って戦えるということに。


「オトゥリア!交代だ!

 シュネル流を騙るヤツらは……ッ!

 序列5位のオレがどうにかするッ!」


 次々と、オトゥリアを狙う剣士に背後から近付いて〝辻風〟やら〝凪風〟やらで次々に斬り倒していく。

 そうしてできた死体の道を、アルウィンの意図に気付いたオトゥリアが駆け抜けたのだった。


「いいよ……アルウィン。

 ありがとう。

 私だって……エウセビウさんと話がしたい!」


 オトゥリアの瞳は、アルウィンのようなエウセビウに希望を抱くようなものでは無かった。

 もう既に、諦めがついているのだろうか。

 悲しそうな表情を押し殺すオトゥリアをすれ違いざまに見たアルウィンは、彼女の強い覚悟を感じ取ったのである。

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