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第63話 歪の悪魔

「滑稽なヤツめ」


 六大魔公、悪魔アグヴィフィトレスの首筋目掛けて振り抜かれた剣が白銀に輝いていた。

 この首を刎ねれば、全てが片付く。


 肉体を持つアルウィンは精神世界で死亡すると、現実世界で死にはしないものの、魂が身体から離れて廃人となってしまう。

 その状態を狙っているのが悪魔アグヴィフィトレスである。

 精神体を無くしたアルウィンの肉体に乗り込んで受肉しようと画策したその悪魔は、アルウィンが真摯に向き合い続けたシュネル流に敗れ、膝をついていた。


 未受肉の悪魔が精神世界で死亡すれば、現実世界に肉体を持っていないために消滅する。


 六大魔公などの高位の悪魔は消滅してもいずれ復活するようだが、そんな事は今やどうでもよかった。


 迫るアルウィンの剣が、プスリと音を立てて悪魔アグヴィフィトレスの首の皮膚を裂いた。

 が、その瞬間。


 紫色の重い髪の下で、黄金の瞳が爛々と輝いたのである。


「……んな!?」


 強大な魔力に、アルウィンは怯んでしまう。


 その途端───周囲の空間が、ヴゥゥゥゥゥゥゥゥンと低い音を立てた。

 悪魔アグヴィフィトレスを中心として同心円状に放たれたのは、禍々しい闇の力である。

 その魔力は、戦いの序盤でアルウィンら三人を床に叩きつけた〝重圧〟だ。


 けれども、その効果は先程の比ではなかった。

 アルウィンの手から離れる白銀の剣。

 膝を曲げて手を伸ばそうとするも、その瞬間に一気に重圧が増し、バキバキバキッと音を立てて彼の膝の皿が一瞬にして砕かれたのだ。


 重圧に押しつぶされたアルウィンは、「ぐえっ」と潰された爬虫類の断末魔のような音をたてて地に伏せた。

 魔力を身体全体に纏わせているのにも関わらず、立ち上がることはままならない。四肢で体をどうにか支えようとする彼の姿に、アグヴィフィトレスは少々物憂げな顔を浮かべていた。


 どんどん強まる重圧に、彼の四肢は徐々に力負けして彼の身は地に密着した。

 赤紫の霧が立ちこめる地面に張り付いた身体は、そこから脱出することがほぼ不可能のようだった。


 アルウィンは、別段怠っていたわけではない。

 勿論、この技の対策を行っていた。

 けれども。

 アルウィンの予想以上に強化されていた〝重圧〟に耐えきれなかったのか、彼の膝が割れたのだ。


 アグヴィフィトレスが潰されたアルウィンに向けて口惜しそうに何か言葉を発するも、重低音に全ての音は掻き消されていた。


 つかつかとアグヴィフィトレスはアルウィンに近付いていく。

 堂々と闘って彼を制した訳では無いため、胸中は忸怩たる思いに支配されて些か表情が暗い。


 けれど、勝敗はここで決した。

 魔力を喪失し過ぎてしまったアグヴィフィトレスは、これ以上失わないように一刻も早くアルウィンの肉体を奪わなければならない。

 時間の猶予は、アグヴィフィトレスにすらないのだ。


 先程一撃で自身をノックアウトさせた強敵であるアルウィンに手を伸ばしたアグヴィフィトレス。

 掌に闇の魔力を凝縮させていくと、そこから強力な歪みが生まれていた。

 〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟だ。

 アルウィンの額の前に出現したそれは、強力な引力で彼を黒穴ブラックホールの中に引き摺り込もうとする。

 けれども何故か、アルウィンは吸い込まれない。

 彼の髪は、〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟の吸引が織り成す空気の流れに巻き込まれて舞いはするのだが、一向に身体が動かないのだ。


「なぜ……」


 彼が身体の表面に纏った魔力は吸い込めているものの、吸い込んでも吸い込んでも彼の身体の表面を覆う魔力は無尽蔵に湧き出てくる。


「……バカな!

 この魔力量は、人間が持っていいものじゃない!

 我々六大魔公や忌々しい熾天使羽虫共と同格、下手したら古龍級の魔力量ですよ……!?」


 無尽蔵に溢れ出るような魔力に守られ、彼の身体は全くもって〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟に吸い込まれることなく悪魔の目の前にある。

 僅かに走る焦りは、アグヴィフィトレスが久々に感じる感覚だった。


 気が付けば、アルウィンから溢れ出る魔力は先程までのそれとは異なっていた。

 吸引されていく魔力に、アクアマリンを想起させる清く澄んだ魔力と、紅に染まる禍々しくも高潔な魔力が含まれている事にアグヴィフィトレスが気が付いたのだ。

 それは、現実世界でアルウィンの無事を願うオトゥリアとフェトーラの魔力である。


「なるほど。彼の魔力が古龍級なのではなく、あの二人の魔力も混じっていた……という訳でしたか」


 オトゥリアの魔力は、アルウィンやフェトーラに比べればあまり多くはない。

 けれども、アルウィンを想うオトゥリアとフェトーラの二人の願いの力はある奇跡を起こしていた。


 オトゥリアを想う人々の魔力が、オトゥリアに流れていたのだ。

 それは、彼女の弟子であるルチナ・バルバロッサをはじめ、シュネル流以外の剣術を叩き込んだヨハン・シュタットローンら王国騎士団の面々、村への帰還を心待ちにしているオルブルやズィーア村の人々、オトゥリアの帰りを待つゼトロス、そして軟禁されている身でありながらも心の支えの存在を按ずる王女ミルヒシュトラーセ……といったように、オトゥリアを想う存在全てが彼女に力を与え───その力がアルウィンに届いていたのである。


 アルウィンは、逆境の中でも自らを助けてくれるように流れてきた二人の魔力を放出して、アグヴィフィトレスの〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟に耐えていたのだ。


 オトゥリアの圧縮された魔力で作られた衝撃波である〝割天かってん〟を、吸引しきれずに内側から弾け飛んだように、この吸引に許容量があることはアルウィンにも解っていた。

 ならば、同じことをするだけでよいのだ。


 アルウィンの魔力はオトゥリアのように圧縮することは出来ない。ならば、内側を魔力で飽和させて許容量を超えさせて暴発させる方向で彼は考えたのだ。


 ───我慢比べになったな。二人から流れてくる魔力が尽きてオレが吸い込まれるか、オレが打ち克ってお前の魔力が暴発するか。


 アクアマリンの魔力と、深紅の魔力。

 そして、もう微弱になりながらも発せられるアルウィンの魔力。

 それは完全にアグヴィフィトレスの毎秒毎に吸引できる量を超えた魔力を放っており、ずりずりと悪魔は後方へと押されていく。


 紫色の髪の奥の金色の眼は、光を失いつつあった。

 魔法の多重展開の弊害で〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟の吸引量が落ちていたことは明白だったため、アルウィンとの力比べに頬を引き攣らせながらも〝重圧〟の魔力を解くアグヴィフィトレス。


「〝重圧〟は最早必要ないので切りますね。これで〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟により魔力を回せます」


 アグヴィフィトレスがそう言った途端、彼の魔力を吸引する瞬間的な量は増大した。

 吸引量は先程の1.5倍程度まで増大し、完全にアルウィンから放たれる魔力以上に吸引を行えていた〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟。

 このまま我慢比べをしていたら、いずれアルウィンの表面を覆う魔力すら尽き、彼の肉体が〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟に呑まれるのだ。

 じりじりと押されていくアルウィンの魔力。

 が、突然。

 顔を上げたアルウィンがニィと口角を上げてアグヴィフィトレスを見た。


「オレらの……勝ちだァッ!!!」


 これで最後、と言わんばかりのアルウィンは三人分の魔力を左手の先に練り上げていた。

 集結していくアクアマリンの魔力に、深紅の魔力。

 そして。

 アルウィン自身の、エメラルドグリーンの魔力。

 目の前のアグヴィフィトレスに向けて、純粋な魔力のエネルギー弾を構築していくアルウィンの姿。

 それは、三人の魔力を併せて澄み切った純白に神々しく映っていたのである。


「面白いことになりましたねぇ。

 だからこそ、貴方は私に相応しいッ!!」


 紫色の前髪から覗く、狂気に満ちた金色の瞳。

 敵から向けられる最大限の賛辞なのだろうが、この身は絶対に渡す訳にはいかないとアルウィンは眼をがっと開く。


「これは……オレだけの力じゃない。

 オレを大切に想ってくれている、仲間の気持ちを背負ってお前に引導を渡すッ!

 消えろ……ッ!」


「戯けッ……!!」


 彼の左手から放たれる、純粋なエネルギーの塊。

 彼の手から離れたのとほぼ同時に、アグヴィフィトレスは〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟を投擲した。

 〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟は、悉くを引き付ける吸引力でアルウィンのエネルギー弾を呑み込もうとする。


 けれども。

 撃ち出されたエネルギー弾の正のエネルギーとすべてを呑む負のエネルギーは、アルウィンの方が総量で上回っていた。

 押し負けた〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟はエネルギー弾を呑み込むものの───衝突の衝撃でアグヴィフィトレスの方へと弾き返されていたのだ。


 それだけではない。

 アグヴィフィトレスの〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟の魔力は、もう限界値を達していた。

 先程放ったオトゥリアの〝割天〟のように、内側から放たれた烈しいエネルギーが無数の光の刃となり、漆黒の闇たる〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟の外縁部を貫きながら内側から脱していく。



 と同時に。

 〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟は爆ぜた。

 吹き飛ぶ衝撃波は正のエネルギーによるものだが、その後空間を歪ませるのは負のエネルギーである。


 その負のエネルギーによって、先程の比ではないほど周囲を取り巻く空間が褶曲した地層のようにぐにゃりとグロテスクに歪んでいくのだった。

 エネルギー弾との衝突によって〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟はアグヴィフィトレスの目の前まで押し返されていた。

 そこから発生した歪みに、さしものアグヴィフィトレスでも回避に失敗していたようで、半身は巻き込まれていたのだった。

 歪みはアグヴィフィトレスの半身を果実をもぎ取るように簡単に奪うと、空間の修復作用によって徐々に縮小して豆粒ほどの大きさとなり、やがて消える。




 膝が割れていたものの、身体の内側に魔力を流せば痛むけれどもギリギリ歩けはする。

 彼アルウィンはよろよろと歩きながら、先程まで命を削りあった強敵に目を向けた。


「…………」


 彼は息を呑んだ。

 六大魔公、歪の悪魔アグヴィフィトレスは、腹部から下を歪みに持って行かれて事切れていた。

 残った半身も、魔力を放出しながら数十分をかけて魔力となって消えていく。


 勝ったのだ。


 彼自身の力ではない。

 彼を想うオトゥリアが、フェトーラが、そしてオトゥリアを想う沢山の人達が繋いでくれた力なのだ。

 長く息を吐いた彼は、強烈な眠気に突如襲われてそのまま目を瞑るのだった。








 ………………

 …………

 ……










 アルウィンは、それから数時間ほど時間が経った末に覚醒し帰還した。

 左右から頭を支えているものは柔らかくて、彼はゆっくりと目を開けていく。

 視界に映るのは、オトゥリアとフェトーラの髪だった。

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