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第62話 嗤う狂気の瞳

 アルウィンが手首を器用に使って〝辻風つじかぜ〟を放ったその瞬間。

 悪魔アグヴィフィトレスは今まで見たことがないほどに残酷さを内包する狂気の瞳で嗤ったのだった。


「らあああああっ!!」


 半月状の軌道を描いて鎖骨部分に飛び込む剣。


 けれどもその瞬間、悪魔は動いた。

 今まで溜めていた魔力を態々大気へ逃がし、剣を持つアルウィンの右手をがしりと掴む。

 そしてそのまま、アグヴィフィトレスは右足を下げる。そうしてできた空間に───アルウィンを放り投げるように転がしたのだ。


「……えっ!?」


 アルウィンの驚きが声に出たのと、彼の背が床に叩きつけられたのは同時だった。

 相手の勢いを利用した、完璧な投げ技。

 床からの痛みがアルウィンを襲うのと同時に、彼はしまったと心の中で叫ぶ。


 ───盲点だった。立場が逆なら、オレだってそうするに決まってるのに。


 剣術において、体術は必須である。

 自分の剣が相手に奪われた時でも、相手を制さなければならないのだ。

 どんな状況下でも相手に打ち勝つことを考える血気盛んな気質ははヴィーゼル流剣士、身を守ることを第一に考える保守的な気質がトル=トゥーガ流剣士、相手を崩して武装解除を狙うのがシュネル流剣士といったように体術にも各流派の特徴は色濃く現れている。


 悪魔アグヴィフィトレスはヴィーゼル流を扱える剣士であるため、アルウィンが一番警戒していたものは攻撃的な足技ばかりだった。

 しかし、そうであったとしても。

 彼に迫られている時に蹴りを放つよりも、彼の突撃の勢いを利用して投げ飛ばした方が遥かに効率がいい。


 アルウィンは、してやられたのだ。


「……!!」


 転がされたアルウィンを見て、オトゥリアが声にならない絶叫をあげる。

 そんな彼女の後ろで、重圧が消えたために漸く戦線復帰したフェトーラが魔法を構築し始めていた。


 アルウィンはどうにか起き上がろうとするも、固い床に上手く受け身を取れなかった上に、ここに来てどっと疲労が溢れ出してきたため、立ち上がるまでに数秒はかかってしまう。

 その抵抗出来ない一瞬に、悪魔は動いた。


「なかなかに優れた剣士だと解りましたよ…!

 お次はあっちで殺り合いましょうね!」


 口角をニィと上げて、嗜虐的サディスティックな光を放つ金色の目は美しくも残酷に輝いていた。

 悪魔アグヴィフィトレスの左のかいなから伸びる手のひらが、アルウィンにそっと触れる。

 紅色の唇が、怪しげに蠢く。


「〝白金の饗宴フィースト・オブ・プラチナム〟」


「……!?」


 アグヴィフィトレスの放った甘美な響きに、アルウィンの視界は暗転した。







 ………………

 …………

 ……







 まるで頭の奥が悲鳴をあげているかのような鋭い痛みがアルウィンを襲っていた。

 嗚咽のような音が、そして怒気を孕んだ声が、耳元で微かに聞こえるけれど、その正体がオトゥリアとフェトーラのものであることを彼は知らない。


 彼は、目の前にいた悪魔アグヴィフィトレスを鋭く睨み、剣を強く握った。

 彼とオトゥリアが付けた傷は何故か完治しているようで魔力が漏れ出ていないように見える。


 連れ込まれた空間も異様だった。

 赤紫の霧のようなものが立ちこめる世界に、彼らはいた。


「ここは……どこだ!?」


 彼は周囲の状況に、怪訝そうな表情を顕にした。


「ここは、全てを呑み込む反転世界ですよ。精神世界のひとつ……黒い虚洞の世界アナザーワールドとでも言っておきましょうか」


 赤黒く染った霧が蠢いていて、見るだけで気持ちが悪くなりそうな空間だった。

 それが何故かキラキラと輝いているのが尚更薄気味悪い。


 ───オレは精神世界に閉じ込められたのか。またかよ……


 アグヴィフィトレスを睨みながらもクレイタを思い出していたアルウィン。

 そよ心の内を全く気にする事なく、悪魔は続ける。


「私の力の源のある世界と言っても良いかもしれません。

 私はここから魔力を対価に力を引き出しているのですから」


「お前の力の……源?」


 アルウィンは目を丸くして、アグヴィフィトレスを見ていた。


「はい、私の重力操作の力はここから借りているものですので」


「……じゃあ、ここを破壊出来ればお前は力を失うってことだよな?」


 鋭い視線を向けたアルウィンに、溜息に似た笑いを見せたアグヴィフィトレス。


「……笑止の沙汰、というものですよ。

 この世界はあなた方の住む大陸よりも広いのです。到底破壊出来るようなものではありません」


 態々、両手を広げてどこか前方を仰ぐ悪魔アグヴィフィトレス。勿体ぶったような表情が実に忌々しい。


「私が貴方をここに連れてきたのは……貴方の精神をここに封印するるためです」


 アグヴィフィトレスの放つ威圧感が、徐々に強まっていく。振り返ってアルウィンを見た金色の目は狂乱そのものだった。


「貴方の肉体を……ッ!!私の新たな依代とするために……ですよッ!!」


 威圧感は、臨界点に達していた。

 徐々にという言葉などもはや温い。

 精神世界では、精神力が強いものは強い精神力だけで自らを強化バフできるのだ。


 ───悪魔アグヴィフィトレスは、迷宮内で戦った時から気分を高揚させて闘っていた。

 それは、奴が戦闘狂バーサーカーだからだが、ここでは更にそれに強化バフすら乗ってくる。


 アルウィンは、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 このままでは、アグヴィフィトレスの威圧感に負けて自分が乗っ取られるリスクが高まると感じたのだろう。


 彼は瞳を閉じ、深く息を吸った。

 彼の中に一番に現れるのは、オトゥリアの姿。

 心配そうにアルウィンを見る瞳は常に彼の帰還を待ち侘びているのだ。絶対に戻るぞと、想像の中のオトゥリアへアルウィンは念を送る。


 そして、師範オルブルや辺境伯ジルヴェスタ・ゴットフリードをはじめとするシュネル流剣士たち、ゴブリンのラルフとベルラント、ヴィーゼル流剣士のレオンなど、様々な関わりのある人々が現れる。


 最後にフェトーラが現れると、僅かに頬を紅潮させた彼女の口元は動いていた。声は聞こえなかったがその口は、「待ってるわ、戻って来なさいよ、バカッ……」と動いているように感じる。


 ───当たり前だ。心配すんなよ、馬鹿野郎。


 本当は自分の中にいるオトゥリア像からエネルギーを貰おうと思っていたアルウィンだったが、何故か。

 まるで背中を押すかのように、自分に力を与えてくれたのはフェトーラも同じだった。

 それが面白くて、アルウィンは口角をあげる。


「なるほど。何だか、やれそうな気がするよ」


 その言葉を挑戦と受けとったのか、悪魔は楽しそうだった。


「貴方も精神力を高めてくれましたね。これで楽しめる」


 そう言うなり───両者は動いた。


 アルウィンは剣をじゃらりと引き抜き、アグヴィフィトレスは三本のツヴァイハンダーを自身の周囲に展開させ、一本を両手で構えている。

 浮遊するツヴァイハンダーは、全て水平に刃を輝かせながらコマのように高速で回転していた。

 その姿は、ヴィーゼル流の〝紫宙しそら〟という技を三本同時に回転させるという方法で永続的に再現しているように見えた。


 その攻撃は脅威ではあった。

 鮮烈なる赫灼の朱光を散らした剣戟が、男と男の打ち合いが、両者の間で展開される。

 圧倒的な手数で、一秒の間に何発もアルウィンに向けて斬り掛かる四本の長剣。


「ッ……!!」


「……らああああああっ!!」


 耳が麻痺しそうになるほど、刃と刃の放つキィンという金属音や衝撃は絶えずアルウィンを襲っていた。

 火花散る激閃であろうとも、雨のように繰り出される斬撃であろうと、彼はまるで放たれた矢尻を全て受け止める盾のように、歯を食いしばりながらも耐えきっている。

 彼を支えんとする人々の期待を背負っているお陰だろうか、精神世界で意識を保つために必要な精神力は溢れんばかりであり、総ての攻撃をいなして傷一つないアルウィンの姿がそこにはあった。


「このままではジリ貧ですよ……!!」


「……んなモン、オレが一番解ってるッ!!」


 アルウィンの翠玉のような瞳が光る。

 途端、彼はアグヴィフィトレスの鋭い一撃をいなさずに頭をずらして回避し、後方へと跳んで距離を取った。


「どうしたのです?臆したのですか?」


 先程と同じように、再度浮遊させたツヴァイハンダーを高速回転させていたアグヴィフィトレス。

 その姿からは列炎のような形の魔力が滾り、アルウィンは僅かに体を震わせていた。

 その震えは、恐怖であろうか。


 ───違う。臆したんじゃない。怖いのは怖い。そんなの当たり前だ。

 だけどもっと嫌なのは……オトゥリアを悲しませることだ。だからこそ……オレはお前を倒さなきゃならないんだろうが!!


 精神力の高まったアルウィンには、六大魔公、歪の悪魔アグヴィフィトレスの存在は越えられぬ壁ではないようだった。


 アルウィンは地を蹴り、アグヴィフィトレスに接近する直前、前方に跳んだ。

 跳んでしまえば横薙ぎなど怖くはない。

 そのまま、空中で一回転しながら。

 背面に隠した右手を前方に振り抜いた。

 剣身が周囲の色を反射して紅銀に煌めく。


「シュネル流〝銀月ぎんづき〟!!!」


「温いッ!!」


 悪魔アグヴィフィトレスの繰り出した技は、〝鬼剣舞おにけんばい〟と呼ばれるもの。

 相手と打ち合いになった際に有利を取るために使用される技だ。

 迫る剣と剣。

 けれども、そんな技など全て静かに裂くような勢いで迫るのはアルウィンの剣だった。


 先程までの打ち合いで、剣の腕ならアルウィンの方が優位を取れるということは何となく察していた。

 問題は、奴の重力を使用した魔法だけなのだ。


 アルウィンの剣が、アグヴィフィトレスの剣に吸い寄せられるかのように向かっていく。


 その瞬間、彼は剣に込める力の一切を抜いた。


 動作は〝銀月〟だったが、彼の込めた技術は奥義の〝澹霞静疾せんえんせいしつ〟と同じ。


 勢いだけに全てを任せ、余計な力を一切入れることなく剣を振り下ろす。シュネル流理念の〝朧霞〟の静と動の技のうち、静の性質の極地に至る技だ。


 アルウィンの剣はスッと静かに音を立てて、アグヴィフィトレスのツヴァイハンダーをまるでバターでも切るかのように簡単に斬り裂いていた。

 そのまま、アルウィンの剣はアグヴィフィトレスに迫り───


 悪魔の胸に、深さ三インチ程度の一文字の傷が走ったのだった。


「が……あッ!!」


 一撃で決まった勝敗。

 膝をついた紫の髪の奥を見下しながら、アルウィンは言葉を放つ。


「剣術はオレが上だ。

 オレが欲しいのなら、勿体ぶらずに歪みディストーションの力を使うべきだったな。

 滑稽なヤツめ」


 ドクンと、アルウィンの心臓は歓喜に震える。

 そのまま処刑人ような表情で、彼は悪魔の首筋目掛けて剣を振り下ろしたのだった。

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