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第61話 歪んだ虚無

 ───アルウィン?


 身体が重圧に包まれ、身動きが取れないオトゥリア。だが、アルウィンが立ち上がるのを感じ取っていた。

 彼がこんな逆境の中でも奮起したことで、彼女も俄然力が湧いてきたのか、魔力回路が活性化し始めていく。

 次第に落ち着きを見せる呼吸と共に、彼女は身体中に魔力を纏っていくのだった。







「煩わしそうなものを、身体の周りに浮かべやがって……!!」


 悪態をつくアルウィンに、アグヴィフィトレスはやってみろと言いたげな顔を浮かべて対峙していた。

 アグヴィフィトレスは一人だが、周囲に浮かぶ三本のツヴァイハンダーと、彼の持つ一本がある。

 そのため、アルウィンは実質、一人で四人のヴィーゼル流剣士を相手取っていることになるのだ。


 睨み合う二人。

 彼の頬を、一筋の汗が流れ落ちる。

 雫は彼の刀身の色を反射しながらぽとりと弾けた。

 一瞬の静寂が、場を支配する。

 汗が落ちた道を伝いながら、もう一滴、アルウィンの頬から雫が落ちる。


 瞬間。

 雫の落ちた音を合図に、両者は駆け出していた。

 アルウィンは魔力感知を発動させながら、アグヴィフィトレスの剣の軌道を確認していく。

 三本のツヴァイハンダーも、悪魔と一定の距離を保ちながら追従してきていた。


 浮遊する一本目が迫り、即座にアルウィンに斬り掛かるが───魔力感知を発動させた彼には軌道が手に取るように判っていた。


 ───いける。オレだけでも。


 彼は滑り込むように身体を捩じ込んで斬撃を回避する。攻撃をスカした剣は火花を散らしながら床に深い傷をつけていた。

 さらに、追撃をしようとする残りの二本をタイミングを見計らいながら同時に受け流す。

 すると、彼の居る場所はもうアグヴィフィトレスのリーチの内側だった。


 そしてそのまま、胸の高鳴りに心嬉しそうな表情を向けるアグヴィフィトレス目掛けて一閃を放つ。

 彼が最も得意とするシュネル流の〝辻風〟が、アグヴィフィトレスの頬を軽く裂いてからキィンッと火花を散らした。


「シュネル流……なかなか鋭いですね」


 肉体のないアグヴィフィトレスは、頬傷から勢い良く魔力が霧散するのを感じながら楽しそうに笑っている。


 アルウィンは薄気味悪さを感じながらも、再度斬撃を仕掛けようとしたが───アグヴィフィトレスの剣はそれを許さなかった。


 互いの力は拮抗していた。

 アグヴィフィトレスの激しい斬撃のラッシュを躱し、受け流し、隙を突いて徹底的に攻めに転ずるアルウィン。

 けれども、徐々に受け流し時の衝撃が増した気がして、アルウィンの腕が違和感を感じ始めていた。

 アグヴィフィトレスの両手に構えた剣が、段々と重みを増しているのだ。


 恐らく、それは重力魔法のせいだろう。

 周囲に重圧を放ちながらも、それと同時に刀身にまでより大きな重さを付与しているようだ。

 三本の剣が煌めくものの、それらを全て受け流し、あろう事か数十ヤード先にまで弾き返すアルウィン。

 が途端、真上から繰り出されたアグヴィフィトレスの剣の軌道を防いでしまったことで、彼らはいきなり鍔迫り合いへと発展した。

 重力魔法が付与された刀身は、受け止めるだけでもかなりの体力をアルウィンから奪っていく。

 拮抗状態は、五分の状態からアルウィンの不利な方向へと傾いていった。


「さて……モタモタしていると、残りの3本が貴方に借りを返しに来ますよ?」


 歯を食いしばってどうにか体勢を維持しようとするアルウィンに、悪魔はそっと耳打ちする。

 その顔は、「貴方ならこの場なんて余裕で切り抜けられるでしょう?」とでも言いたげな表情である。

 確かに、彼は魔力感知を用いていたため感じていた。

 けれどもそれは、彼の背後から心臓を狙おうとする3本のツヴァイハンダーだけではない。


 さらにもうひとつの魔力の反応を、彼は感じ取っていたのだ。


「アルウィン!間に合った!!」


 まるで夜の黒い空を飛ぶ極楽鳥の翼のように拡がった、金に煌めく髪。

 縮地で駆け上がったオトゥリアの速度は、アルウィンに振り抜かれる三本のツヴァイハンダーを捉えていた。


 そして。

 彼女の剣が、纏われた魔力が美しく光を放ちながら振り抜かれる。


「奥義……!!〝割天かってん〟ッ!!」


 それは、雷霆のような衝撃だった。

 アルウィンに迫っていた三本のツヴァイハンダーは全てが中途で〝割天〟によって裂かれて消滅するも、まだ衝撃波の勢いは止まらなかったのだ。


 ───まずい!オレも避けないと!


 アルウィンは、感じた凄絶な魔力のうねりに危険を感じてすぐさま縮地を発動させ、その場から離れていた。

 彼の髪が、ふぁさりと広がる。


 けれども。

 悪魔アグヴィフィトレスは微動だにせず、ただそこに立っていた。

 右手に闇の魔力を溜めながら、オトゥリアの〝割天〟の衝撃波のみを視界に入れていた。

 闇の魔力が段々と収縮されていくと同時に、アグヴィフィトレスは右手を引く。

 それは、右のストレートパンチを放つ前の動作と同じである。


「〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟」


 悪魔アグヴィフィトレスが放った右ストレートは、重力の力を持つ闇の魔力を高密度に纏ったものだった。魔力感知を使わなくとも伝わって来そうなほどに存在感を放つその高密度の魔力が、オトゥリアの〝割天〟に触れる。


 その瞬間。

 空間が歪んだ。

 重力がもたらす吸引の力と、オトゥリアが放った破壊の力。

 その二つが、アグヴィフィトレスの右拳の目の前で相互に作用したのだ。

 全てを吸い込もうとする〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟は、オトゥリアの〝割天〟を吸い込めてはいたものの、吸い込まれる途中で高密度に歪められた破壊の力が暴発。オトゥリアの放ったエネルギーが内側で膨れ上がったために、吸引の許容量を超えてしまったのだろうか。

 結果として、空間が歪むほどの爪痕と、同心円状に放たれた衝撃波を残して〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟は消滅したのだ。


 アルウィンとオトゥリアはその衝撃波を剣で防ぎきったものの、至近距離でもろに衝撃を受けていた悪魔アグヴィフィトレスは酷いものだった。

 〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟を放ってのけた右手が真二つに割けて、そこからどんどんと禍々しい魔力が漏れ出ているのだ。

 けれども、そんな体たらくの悪魔の表情は、自身が相当な深手を負ったのにも関わらず、快楽に満ちた戦闘狂バーサーカーじみたものでありアルウィンは戦慄さえ覚えてしまう程だった。


「素晴らしい…ッ!弱体化しているとはいえ、この私の〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟ですら防げない攻撃を人間が持ち合わせていたとは!」


 トーンアップしたやや早口な声で語り出したアグヴィフィトレス。

 オトゥリアは若干引いたような顔で、目線はアルウィンに助けを求めていた。


 〝歪んだ虚無ヴォイド・ディストーション〟が消滅したと同時に、周囲を覆っていた重圧が解除されていた。

 フェトーラの方をちらりと見たアルウィンだったが、腹部が上下に動いて呼吸をしていることは判ったため戦闘を続行する。


「オトゥリアは……オレよりも強いぞ!」


「かもしれませんね……楽しくなってきました!」


 狂気に満ちた笑顔は、身体から魔力がどんどん失われていくのにも関わらず更に魔法を展開し始めていた。

 満身創痍で、身体から消えていく魔力は莫大なのにも関わらず、未だに尋常では有り得ないほどの魔力を有する化け物が六大魔公という存在なのだろう。

 練り上げられた魔力に、アルウィンの脳は警鐘を鳴らす。すぐさま離れろと言わんばかりに警告する彼の本能。けれども、彼には観えていた。


 あと一撃、頭からバッサリと真二つに斬れれば、悪魔アグヴィフィトレスを討伐出来るだろうと。

 アグヴィフィトレスは魔法を構築する際に身体全身から魔力を一箇所に集めてから魔法を発動させていた。そこは人間で言うと鎖骨の付近で、魔法構築中にそこを攻撃さえ出来ればアグヴィフィトレスは莫大な魔力を喪失して倒れるだろう。


 ───逃げるなんて有り得ないよな。


 本能を差し置いて、彼は地を蹴った。

 そのまま一気に加速し、アグヴィフィトレスのもとへ。


「シュネル流!〝辻風〟ッ!!」


 疾く、そして正確に鎖骨を狙うために選んだのは、最も慣れ親しんだ〝辻風〟だ。

 アルウィンの剣は白銀の光を纏いながら弧を描く。


 悪魔は長い前髪の下で嗤っていた。

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