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第60話 重力操作

 悪魔アグヴィフィトレスは、ヴィーゼル流を以てアルウィンに攻撃した。

 彼は剣を斜めに当てて、相手の威力を利用し受け流すように防御すると───最小の予備動作で地を蹴ってアグヴィフィトレスに迫る。


「シュネル流!〝蒼天そうてん〟ッ!!」


 リーチの内側に剣を潜り込ませ、思い切り斬り上げる。

 けれども。


「……甘いですね」


 いつの間にか防御の姿勢に入っていたアグヴィフィトレスの鍔に吸い込まれてしまい、アルウィンの斬撃はガンッと鈍い音をたてた。


「……まだ……まだ!!」


 彼は、最早囮をすることを忘れ、ヴィーゼル流の剣士と戦うことしか頭になかった。

 果敢に攻めるも、アグヴィフィトレスは全てそれを防ぐ。

 逆にアグヴィフィトレスがヴィーゼル流の疾風怒濤とも言える高速のラッシュを放っても、シュネル流の剣技で全て受け流すアルウィン。

 彼らの剣と剣の軌道は、互いの髪の色も相まって光と闇の交錯と言っても過言ではなかった。

 けれど、その時。


「〝血茨の獄ブラッディソーンプリズン〟!!」


 フェトーラの深紅の瞳と同じ色の魔法陣が、悪魔アグヴィフィトレスの足元に突如出現する。

 そこから蔦のような深紅の蔓がするすると伸びて、薔薇に似た痛々しい棘を纏いながらアグヴィフィトレスの足を伝い、腰から胸へと徐々に絡みついていく。


「……ほう。吸血族ヴァンパイアの王族らしい実に可憐で気高い魔法ですね。どれだけ動こうと無駄ですね、これは」


 自分自身に絡み付く茨を愛おしそうに見つめるアグヴィフィトレス。

 この魔法は、どうやら吸血族ヴァンパイアのみが使える魔法のようだった。


「今よ!アルウィン!オトゥリア!」


 フェトーラの絶叫。

 その途端、オトゥリアとアルウィンの姿がアグヴィフィトレスの金色の眼に影となる。


「シュネル流!〝翔兎しょうと〟!!」

「〝桂花けいか〟ッ!!」


 左右から繰り出される、鋭い角度で放たれた剣。

 それは、完璧な呼吸によって同時に振り抜かれたものである。


「なるほど!実に面白いです!」


 ギラついた瞳の下で、真っ直ぐに伸びた剣がアルウィンの攻撃を即座に逸らし───オトゥリアの破壊力のある一撃を真正面から受け止めていた。


 だが、攻撃に回ったのは二人だけではない。

 新たに莫大な魔力を放つ魔法陣が出現したのだ。


「〝啜呑引渦ヴォーテックス〟!!」


 荊棘はアグヴィフィトレスの胸まで達し、両手に構えられた剣はオトゥリアと鍔迫り合いを行っている。

 そんな場所の真下から、ズンと衝撃が走った。

 顕れたのはフェトーラが作り出した水魔法である。

 悪夢アグヴィフィトレスの足元から水の渦が展開され、周囲を巻き込みながら激流が悪魔の身体を激しく叩きつける。


「……爆ぜなさい」


 そうフェトーラが呟いた途端。

 アグヴィフィトレスを襲っていた激流は収束し、水の柱へと変貌した。


「ほうほう!?」


 悪魔アグヴィフィトレスは、水柱に胸の辺りを貫かれながら空へと突き上げられる。

 その紫髪の身体が、落下に転じたちょうどその途端。

 白銀の輝きが二つ、煌めいたのだった。


 ───アグヴィフィトレスのツヴァイハンダーの攻撃範囲がどれだけ長かろうと、奴がどれほどの猛者であろうと……空中なら無防備なはずだ。


 そう考えていたアルウィンの斬撃は低姿勢から肉を抉るような鋭さをもつ回転斬。

 一方のオトゥリアの斬撃は一撃必殺の破壊力を有するものだった。


 ───ほぼ間違いなく、オトゥリアの斬撃を防いでくる。オレの剣は防がれないはずだ。


 そう読んだアルウィンは意識をより一層引き締めていた。

 彼らの剣は、アグヴィフィトレスに迫っていく。


 だが、剣は激しい衝撃を彼らに、同時に齎したのである。


「な……!?」


 左右から攻撃を仕掛けたアルウィンとオトゥリア共ににあった手応えは、剣の通ったような感覚ではなかった。

 そしてその手応えを感じた直後に、キィィィィィンと、金属と金属のぶつかった音がアルウィンの鼓膜を痛めつける。


 彼は、咄嗟に違和感に気が付いた。

 一本しか剣を持っていなかった筈の悪魔が、空中でアルウィンとオトゥリアの同時攻撃を防げた理由は直ぐにわかった。


 だが、彼は目の前で起こった事実を理解することが、しばらくの間は出来なかったのである。


「剣が……浮いてる……だと!?」


 目の前のツヴァイハンダーは浮遊して、彼の攻撃を受け止めていた。

 歯を食いしばったアルウィンのもとに、浮遊したままの剣から更なる追撃が放たれる。

 その剣の軌道は、ヴィーゼル流の〝鬼剣舞おにけんばい〟という技である。


 彼が視線を横に向けると、オトゥリアも同様に浮遊する剣に弾かれていた。

 彼女はちょこまかと動く剣に苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。

 が、すぐさま剣の型を変え、ヴィーゼル流に相性のいいトル=トゥーガ流で防御をとっていた。


 彼は、それぞれ浮遊する剣になすがままに攻撃され、防御ばかりを強いられていた。


 剣を持つのが肉体であれば、肉体の可動域の制約がある故にある程度は隙が出来るものである。

 けれども、浮遊する剣に可動域の縛りなどはない。

 続け様に止めどなくラッシュが振り下ろされていく。


 彼らが浮遊する剣に拘束された中で、ただ一人フェトーラは茨に拘束されたままで、狂気の眼を浮かべて嗤うアグヴィフィトレスに対峙していた。

 彼女は未だに拘束はしていたものの、更なる魔法で追撃はしていない。


 悪魔の胸には、フェトーラに貫かれた傷があった。

 そこからは血ではなく、魔力が溢れている。

 受肉体を持たない身体が故に、傷口から魔力が霧散するのだ。


 アグヴィフィトレスの手には三本目の剣が握られている。

 フェトーラが魔法を撃ってもどれほどの手傷を与えられるかは未知数。

 一方で、悪魔アグヴィフィトレスは手元にある剣を浮遊させれば確殺の剣技を扱える。


 今は、言うなれば互いの喉元に切っ先を突きつけ合っていると言う状況が正しいのだろう。



「重力を操る悪魔の癖に……ド派手な戦い方を好む筈ではなかったのかしら?」


 アルウィンの肉体を奪おうとする悪魔アグヴィフィトレスは、〝歪の悪魔〟の二つ名を冠する六大魔公の一柱である。


 その〝歪〟の力とは即ち、この世界の根本にある歪みの力、重力である。

 重圧で粉砕したり、物体を浮遊させたり、落としたり、引き寄せたりが自在な悪魔である。

 今現在アルウィンとオトゥリアが苦戦している浮遊するツヴァイハンダーも、この重力操作に拠るものだった。


 ド派手な戦いを好む筈だとフェトーラに言われ、アグヴィフィトレスは静かにフッと笑っていた。


「あぁ、確かに私は派手な闘いの方が心が踊ります。

 ですが今は……アルウィン・ユスティニアと闘い、その後で彼の肉体を頂戴するつもりですからね。先ずは私が本気で楽しめる相手かどうか調べているのです」


「悪趣味ね。最初から全力で行けばいいものを」


「我々悪魔にとって、悪趣味というのは褒め言葉ですよ?」


 フェトーラを小馬鹿にしたように鼻で嗤うアグヴィフィトレスに、彼女は低い声で「五月蝿いわね……」と返す。

 彼女の視線の先ではアルウィンとオトゥリアが浮遊する剣に苦戦しながらもどうにか押し返していた。


 アルウィンは腰を低く落としてシュネル流に伝わる受け流しとカウンターの技の〝瀧水りょうすい〟を、オトゥリアは斜め横からトル=トゥーガ流の〝氷瓦ひょうが〟の構えをとる。


 浮遊する二本のツヴァイハンダーは、それぞれが喉元を狙って低い位置から迫る。

 空を斬る音と共に繰り出されたのは、ヴィーゼル流の〝隼疾風はやて〟と呼ばれる高速で放たれる三連撃の技だ。


 その斬撃を真正面から捉えたオトゥリアと、僅かに中心から僅かにずれた位置に狙いを定めて添えたアルウィン。

 剣と剣が触れた瞬間に、キィィィンと響いた音がまるで音叉のように共鳴して鼓膜を貫いた。

 そんな二人の瞳が煌めくその瞬間。


 二人の剣がそれぞれのツヴァイハンダーを真二つに破壊したのである。


 それを見て、アグヴィフィトレスは恍惚した表情を浮かべて「お見事です。では……」と言い、指をパチンと鳴らす。


「ここからが本番ですよ……!」


 刹那、禍々しい魔力がより一層放たれ……


 ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥンと、今まで聞いた事がない程の重低音と共に地が震えた。

 彼らがそう思ったのも束の間、三人はいつの間にか広く展開された闇に押し潰される。


「フフフフッ……!!ここから抜け出せたのならば……もっと楽しくなりますね!!」


 重力を操る悪魔はただ一人優雅に佇み、藻掻き苦しむ三人を見て笑顔を浮かべている。


「……あがっ!」


 血反吐を吐いたアルウィンに、重圧は更に伸し掛る。

 身体全体に幾重もの重りを付けられたかのような感覚と言うべきか、はたまた上から重い蓋が身体を潰しに来ていると形容するべきか。

 指一つ動かせない圧迫感に、歯を食いしばる彼はどうにか身体を動かせないものかと必死だった。


 ミシミシと音を立てる彼の骨。


 ───いずれこの重圧は骨を砕き、そして内蔵にまで達するだろう。

 内蔵が潰されれば、待つのは死のみだ。


 重圧の中で肺が潰れそうになるが、彼は息をゆっくりと吸い込んでいく。


 ───死にたくない。


 たったそれだけで、彼は無意識下で身体全体に魔力を行き渡らせていた。覆われた魔力は徐々に厚くなっていき、アグヴィフィトレスの重力操作をゆっくりと緩和していく。

 彼の手が、ぴくりと動き。

 そして、荒い息をしながらも指が地面を押していた。


「なるほど。流石ですね。

 やはり貴方は私に相応しい!」


 ゆっくりと立ち上がるアルウィンに、まるで誕生日のご馳走を前にした子供のように頬を弛緩させる悪魔アグヴィフィトレス。


 アルウィンの視界が、ゆっくりと開かれる。


 紫髪の下の屈託のない笑顔の奥にある、狂気に満ちた黄金の瞳。

 フェトーラの拘束は既に解けていて、アグヴィフィトレスは折れた剣の代わりをどこからともなく出現させ───先程と同じような三本の剣を重力操作で自身の周りに浮遊させていた。

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