目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第59話 六大魔公〝歪の悪魔〟アグヴィフィトレス

 そこに居たのは、悪魔だった。


 金色の瞳にアルウィンが映る。


 包み隠さず放つ莫大な禍々しい魔力に、アルウィンとオトゥリアは苦悶の表情を浮べる。

 フェトーラは吸血族ヴァンパイアということもあり、闇の魔力に耐性があるのか表情は格別暗くはなかった。

 そんな中、まるで歌でも歌っているかのような甘美な声が彼らの脳内に語り掛けるかのように響く。


「皆さまお揃いで。ここまで無事に来れたことに尊敬の意を表します」


 屈託のない笑顔で恭しく頭を下げる悪魔に、アルウィンは恐怖を覚えていた。


「私の名はアグヴィフィトレス。ちょっとした悪魔デーモンでございます」


 名乗りあげた悪魔に、オトゥリアは何かを思い出したのかハッとしてアルウィンの顔を見た。

 彼女の表情は引き攣っていて、ふるえる唇は紫がかっている。


「この悪魔……聞いたことがある。六大魔公っていう……最上位の悪魔だ」


「如何にも。ご存知のようですね。私は六大魔公の一柱、〝歪のアグヴィフィトレス〟です」


 狂気に満ちた黄金の瞳に映るアルウィンの奥にはちろちろと揺れる燭台があった。

 放たれる禍々しい魔力と、不気味な瞳。

 ニィッと笑う悪魔アグヴィフィトレスの表情はとても柔らかい。


「六大魔公……」


 詳しくは知らないアルウィンだったが、名前の響きからしても相手は中々の化け物である。


「遥か昔から君臨してる悪魔で……古龍級、もしくはそれ以上に強い存在だよ」


 オトゥリアは、アルウィンにそっと告げていた。


「アルウィン・ユスティニア。素晴らしい逸材でしたよ。総合力で劣っていた筈の貴方がクレイタを倒したのは……見ていてとても……興奮させていただきました」


 クレイタというのは、メイドの格好をしていた夢魔サキュバスのことなのだろう。

 掲げたワイングラスを口元にあてて、僅かに口に流し込んだ瞳がアルウィンの奥を見る。


「私に必要なのはアルウィン・ユスティニアのみなので、邪魔な存在には消えて貰おうかと思ったのですが……あなたの正体が吸血族ヴァンパイアの姫とは恐れ入りましたよ。フェトーラ・ズィアエスク。あなたも器として丁度よさそうです」


 悪魔アグヴィフィトレスは、オトゥリアに言及してこない。まるで彼女の事など眼中になかったようだった。

 未だにオトゥリアよりも実力が下のアルウィンを逸材だと評して、フェトーラには戦い甲斐があると言ってのけた悪魔に───アルウィンは戦慄する。


「オレが逸材だと?笑わせるな。オトゥリアはオレよりも強いぞ」


 ギロリと睨んだアルウィンだったが、悪魔は彼を一蹴した。


「力だけの存在でしょう。あの女と闘うことは楽しそうですが……逸材ではありません」


 解ってないな、とでも言いたげなシニカルな目がアルウィンを貫く。


「逸材って……なんだよ」


 困惑しきったアルウィンの表情に、悪魔アグヴィフィトレスは白い歯を見せた。

 甘い声が再度響く。


「アルウィン・ユスティニアという存在は、私の受肉体として最適な、完璧な肉体であるということです」


 その発言に、場は凍った。


「……!?」


 響いた、オトゥリアの息を呑む声。


 と同時に、全身の毛穴が開いたような、ぞわああっとした感覚がアルウィンの身体を駆け巡った。

 それだけには飽き足らず。

 毛穴からは汗がどんどんと溢れ出て、アルウィンの足元に小さな池を作っていた。


 ───合点がいった。

 この悪魔は、オレの肉体を欲している。

 魔界を出た悪魔が禍々しい魔力をただ漏れにすることなんてどう考えたって有り得ない。オトゥリアの口ぶりからすると、こいつは高位の悪魔なんだ。そんな存在であればあるほど受肉して抜ける魔力を抑制しているはず。

 となると……こいつは何かしらの理由で受肉体を失って……代わりを見つけようとしたんだろうな。自身と適合出来るほどの強者を集めるためにこんな迷宮まで創り出して、最後で奪い取る計画だったのか。


 身震いは彼の身体を包み込んでいたが、それでも全く動けないわけではなかった。


 彼は息を吐きながら、腰に提げた剣の柄に触れた。

 彼の指先に走る、ザラつきのある触覚。

 使い慣れた剣から伝わる安心感のお陰か、彼は落ち着きを取り戻していた。


 ───六大魔公いう古龍級の存在だけど、受肉体を失って魔力はどんどん外にこと漏れ出ていることは事実だ。倒せない敵ではないはず。


 アルウィンはオトゥリアとフェトーラに視線を移していた。

 すると、彼女らもアルウィンに力強い眼で気持ちを返してくれる。


 ───考えていることは……同じだろうな。


 彼女らの視線には、ここでアルウィンを狙う悪魔を倒そうという強い意志が宿っていたのだ。


 ───奴はオレの身体を狙っている。オレがその適合者ということを念頭に置くと行動も予測しやすいんじゃないか?


 悪魔はアルウィン一点狙いだと、彼らは判断した。


 どうやって生身の人間から肉体を奪うのかは解らないが、何かしらアルウィンに行動を起こすのは間違いないのだ。

 ならば、彼が決死の覚悟で囮となって悪魔アグヴィフィトレスの行動を誘い、その隙をオトゥリアとフェトーラに突いてもらうという方向性で行かねばなるまい。


 彼は、オレから行くとオトゥリアとフェトーラに目線で合図を送る。

 帰ってきたオトゥリアの眼差しは心配が勝っていたが、それでも彼女は完遂してくれるだろうという期待感がある。

 フェトーラは何かを確信しているのか、「あたしに任せなさい」とでも言いたげな強い視線だった。


 息を吐き、目の前の悪魔を睨むアルウィン。

 すると、紫の重い前髪の内から覗く金色の瞳が、三日月のような形に歪んでいた。


「なるほど。私と遊んでくれるのですね?談合してくれたって構いませんよ。確かに、私はこの身を消耗しています。貴方たちにだって……勝ち筋はあるのかもしれませんね」


 ケタケタと嗤う悪魔に、今まで沈黙を貫いていたフェトーラが口を開くのだった。


「勝つわよ。だからこちらから勝った時の条件を突きつけたいの」


 彼女は、自信があるかのような低い声で、それでもはっきりと言葉を紡いでいく。


「高位の悪魔のあんたは条件次第で復活できるわ。

 それで……復活した時に、大人しくあたし、アルウィン、オトゥリアの三人共に忠誠を誓ってくれないかしら……?」


 フェトーラと悪魔アグヴィフィトレスの、互いを喰い合うかのような不敵な笑みが交錯する。


 彼女の言った通り、高位の悪魔は死んでも復活出来る。しかしその時には、自分を殺した存在と魔力的な繋がりが生じ、その者の眷属に堕ちてしまうという特性があるのだ。


 つまり、ここでこの化け物アグヴィフィトレスを殺すことが出来るのならば、この禍々しい悪魔を自分の手駒として扱うことが出来るということ。

 無論、眷属となっても主を攻撃出来なくなるだけで、主からの命令に絶対服従しなければならないという制約はないのであるが。


「面白いですね。〝契約〟です。もしも私に勝てたのならば、殺せたのなら……復活後に逆らうことなく従って差し上げると誓いましょう。

 ですが……私が勝てたのならばアルウィン・ユスティニアの肉体は遠慮なく使わせていただきます」


 高らかに宣言した悪魔に、フェトーラは口角を引き上げてニィと笑う。

 アルウィンも彼女の意図することを理解したのか「それでいい」と言い、紫髪の奥の瞳を睨んでいた。

 オトゥリアも、アルウィンに全幅の信頼を寄せているためこれから彼の作るチャンスを逃がすまいと集中する。


 そしてすぐさま。

 場が動いた。


 アルウィンは駆け出していた。

 目的は、攻撃に見せ掛けた陽動だった。

 自分に悪魔が集中するだろうと考えた上で、自らを囮として誘引し、オトゥリアとフェトーラの攻撃を待とうとするアルウィンの影が走る。


 白銀に煌めく己が得物を、右手にぎゅっと構えながら。

 縮地を使ってアグヴィフィトレスの懐まで行くと、右手で一気に半月状の弧を描く。

 彼が最も得意とする剣技、〝辻風〟だ。

 空を斬るその斬撃は、白銀の光を纏いながら禍々しい魔力の霧を切り拓いて、アグヴィフィトレスの喉元に迫っていた。


 けれども。


「未受肉とはいえ、私を侮りすぎではありませんか?」


 キィィィンと響く金属音と共に、彼の剣はいつの間にか防がれていた。


 クレイタとかいう夢魔サキュバスのように素手で受け止められたのではない。

 金属の擦れる火花を散らしながら、アルウィンの一振りは防がれていたのだ。


「お前……剣士なのかよ!」


 すぐさま距離を取ったアルウィンは、アグヴィフィトレスを眺める。

 彼の誘引後に追撃を狙っていたオトゥリアとフェトーラも、攻撃の手をやめて距離を置いた。


 どこからともなく抜かれた剣は、ツヴァイハンダーと呼ばれる両手の直剣だった。刃渡りは六フィートもあり、アルウィンの剣よりも遥かにリーチが長い。


「えぇ、剣は得意ですよ!」


 金色の狂気に満ちた瞳が、まるで肉食獣のように爛々と輝く。

 途端、アグヴィフィトレスの身体は前傾姿勢となり、地を強く蹴ってアルウィンに迫っていた。

 真横から繰り出される、横薙ぎの一撃。

 その速度は驚く程に速く、さしものアルウィンも絶句せざるを得ない。


「なっ!?ヴィーゼル流!?」


 そう。

 悪魔アグヴィフィトレスの放った一撃は、ヴィーゼル流の〝紫宙しそら〟だったのだ。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?