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第58話 吸血族の姫

「あたしの正体は……吸血族ヴァンパイア

 真名は、フェトーラ・ズィアエスクよ」


 吸血族ヴァンパイア

 それは、読んで字の如し。他者の血を吸って生きる種族である。

 かつてはズィーア村の辺りに吸血族ヴァンパイアの王国があったようだが、エヴィゲゥルド王国や他の南光十字教勢力によって滅亡に追い込まれ、今は生き残った王族が大陸北方に新たな国であるズィアエスク魔導王国を建国している。


 冒険者アリアドネ・ワラニアの真名は、そんな吸血族ヴァンパイアの王族を証明する、フェトーラ・ズィアエスクというものだった。


「お前……それは本当か?」

「…………!?」


 アルウィンとオトゥリアは驚きを隠せない。


「えぇ。国の名前よ。あたしは、ズィアエスク魔導王国の王女」


 そう言って、パチンと指を鳴らすアリアドネ。いや、フェトーラの方が正しいのだろう。


 底が無いような魔力が、彼女から溢れ出た。

 その魔力は、先程相対した夢魔サキュバス闇のような禍々しさを持ちながらも気高さを持つ、鮮やかな血の色の魔力だった。

 彼女の茶色がかった髪は銀髪となり、瞳の色も深紅へと変貌している。

 けれども。

 魔力の質や髪と瞳の色が変化しただけで、他に変化したところはない。キリッと美しい目鼻立ちも、少し薄い唇も。アリアドネと名乗っていた頃の面影はしっかりと存在していた。

 美形の顔と相まって、銀髪赤眼という風貌が妖艶さを放って神々しくも見える。


「フェトーラ……か。そんな姿だったんだな、お前」


「えぇ。アルウィンは……驚いているようだけれど、やっぱり失望しているとかいったことはなさそうね」


「あぁ。驚いただけだな。お前が吸血族ヴァンパイアだろうと……本質はあまり変わらないだろう?」


「そうね。だけど……」


 その深紅の瞳は、何かを期待しているような眼でオトゥリアを見つめていた。

 先程から何も言葉を発しないオトゥリアの動向に、口元に、訴えかけるような震えた目線だ。


 一方で。

 見詰められたオトゥリアは、苦悶の表情を浮かべ、どう返したらよいのか逡巡しているようだった。

 その目からは光が消え、悲観の濁った色が包み込んでいる。


 そんな中で、ごくりと唾を飲み込んだオトゥリアは口を開くのだった。


「……吸血族ヴァンパイア……だったんだね」


 罪悪感に、胸が締め付けられるような感覚を覚えるオトゥリア。

 暗く上擦った声が彼女の自責の念を大いに現していた。

 彼女の唇が、僅かに動く。


「あなたの同族を、私は何人も殺してしまった」


「……」


 息を呑んだアルウィン。


 ───そうだ。オトゥリアは龍神信仰の人間だが、彼女の所属する王国騎士団は吸血族ヴァンパイアの存在を認めない南光十字教を信仰する国の武装機関なんだ。

 教団と密接に関係を持っていることは当たり前。

 おおかた、吸血族ヴァンパイアの残党が居ただけで上手く言いくるめられて……討伐任務をしてしまったのだろうな。


 アルウィンは静かに二人を見つめている。


「同胞を殺した私は、とても謝って済まされるものじゃない……」


 良心の呵責に苛まれていたオトゥリアは、今にも決壊しそうな程に溢れた涙を以てフェトーラの目線に返していた。


 けれども。


「フェトーラ……あなたの同胞を殺した私を、心から赦してくれなんて言わない。だけど、私にはやらなければならないことがある。その為には……今ここで、迷宮の主を倒さなければならないんだ。

 厚かましいのは重々承知している。こんなあなたにとって恨みがましい私を……王女殿下を解放するまでの間は見逃してくれませんか。必ず報いは受けます」


「…………!?」


 アルウィンは、絶句して何も言えなかった。

 今の発言は、オトゥリアが自らの首を差し出したのと同義なのだから。

 彼としては、勿論オトゥリアに死んで欲しくなどない。

 フェトーラが魔力を放出したら斬りかかれるようにと剣の柄に手を当てるものの、何故か彼は震えが止まらなかった。


 涙を浮かべながらも、覚悟の決まった顔でフェトーラを見るオトゥリア。その目は自責の念による悔恨にも、贖罪にも見て取れた。

 アルウィンはフェトーラに視線を向ける。

 彼女の顔には影が出来ていて、何を考えているのかは全く読めなかった。


 けれども。

 フェトーラは直ぐに、口を開いたのである。


「もちろん、知っていたわ。だからこそさっき罪悪感を抱くなって言ったのよ」


 と。

 更に、一歩前に進むとオトゥリアの肩にそっと手を乗せる。

 フェトーラの顔にかかっていた影は晴れていた。

 彼女は、まるで長い年月の間患っていた憑き物がふっと消えたかのような、はたまた肩の力が抜けたかのような、やけに清々しい顔になっていたのだ。


「あたしはね……あんたに拒絶されるのが怖かったのよ、オトゥリア」


 しゃがんだフェトーラが、同じ目の高さとなったオトゥリアを深紅の瞳で捉える。


「拒絶……?」


「あたしが吸血族ヴァンパイアだからって理由で罪悪感とかから距離を置かれるんじゃないかと思っていたの。だけどそれは……杞憂だったみたいね。

 あたし達はお互いに引け目を感じていた、そして今や……それを機にする必要が無くなった。

 ただそれだけのことよ」


 涙ぐんだオトゥリアの目が、丸くなる。

 途端、その余波で決壊した彼女のダムから流れ出るひとすじの光。


「あんたが命じられたままに同族ヴァンパイアを殺したことも知っているわ。だけど、それはあたしと関係があることじゃないから悩まないで欲しい。

 あんたのことを怨む吸血族ヴァンパイアは居るかもしれないけど、あたしはあたしよ」


 そう言うと、フェトーラはオトゥリアの後ろに手を回した。

 そしてそのまま。

 驚きと涙でびしょ濡れとなってぐしゃぐしゃになったオトゥリアの顔を、自身の胸でそっと包み込んだのだった。

 温かな撫子ダイアンサスの香りが、オトゥリアを離さない。


「大丈夫よ、オトゥリア。あたしはあんたの味方でいると約束するわ。変わることなんてない」


 オトゥリアから漂う鈴蘭の香りと、フェトーラから漂うダイアンサスの香り。

 アルウィンの鼻腔をくすぐる柔らかい香りが飽和していた。









 ………………

 …………

 ……







 彼らが99層の中央から続く螺旋階段を降って最終層へ到達したのはしばらく後である。

 オトゥリアとフェトーラの二人は、両者の胸の内に抱えていた思いを全てぶつけたようで、すっかりと顔色も良くなっていた。


 フェトーラは吸血族ヴァンパイアだと明かすことで騎士団員であるオトゥリアに距離を置かれ、拒絶される未来を想像していた。

 オトゥリアは過去にあった事件で、フェトーラに上手く顔向け出来なくなってしまっていたが、初めてフェトーラと出会った頃に交わした会話のお陰でどうにか過去を吐露した。


 今では肩を並べて強固な信頼が築かれている二人に、アルウィンは「オレ達らしく、気を引き締めていこうぜ」と声を掛ける。


 頷く二人が、最後の段を降りると───目の前に聳え立っていたのは重厚な扉だった。

 大理石で敷き詰められた床や壁と同じく、異様なほど真っ白な扉。絡み合う蔦と、その上に鎮座する龍のような模様が彫られ、所々に金の装飾までされている。


「私たち……遂にここまで、辿り着いたんだね」


「ここからが正念場だ。迷宮主ダンジョンマスターをぶっ飛ばして笑顔で帰還しような」


 扉の奥からは、禍々しい気配があからさまに漏れ出ていた。

 その気配の正体はあの夢魔サキュバスよりも濃密な魔力であって、迷宮主ダンジョンマスターのものであろうと直ぐにわかる。


 三人が近付くと、自動的に開いた扉の先には、廊下が続いていた。

 大理石の上に赤いカーペットが敷かれ、数ヤードおきにちろちろと踊る燭台が灯されている。

 そしてその廊下の奥には、もうひとつの扉があった。入ってきた扉と似たような重厚さを持つ物だったが、装飾だけは異なっている。


 まるで星空を体現したかのような、壮大すぎる装飾。目を奪われそうなほどに美しいけれども、敵がその扉の向こうにいるのは明白だった。

 最後の扉も自動的に開き、彼らは最奥へと到達する。


 最奥にいたのは、禍々しい魔力を放つ存在とは。


「フフッ、お待ちしておりましたよ。アルウィン・ユスティニア」


 スーツともコートとも取れる長い丈の黒いアウターと、そこから覗く藤色のシャツ。

 かなり重めの前髪から爛々と光る、狂気に満ちた黄金の眼は不敵な笑みを隠していない。


 ニヤリと笑う一人の男が、そこにいた。

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