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第55話 第99層

 99層。そこは、今まで通ってきた場所のような灼熱の世界ではなかった。

 とりわけ寒くも暑くもない、不気味な程に温度が適切な場所だった。


「なんというか、遺跡層にあたるのか?」


「遺跡っていうよりか、廃墟の街って感じがするよ」


 99層は、今までのような螺旋を形成する層ではなく、だだっ広い平坦な層だった。

 その広さは、今までの迷宮攻略で見た事がないほどである。

 階段を下っていた時に見えた99層の全体像は、おおよそ半径15マイル程度の城塞都市そのものだった。

 層の外周は高さ100フィート程の壁に覆われ、所々には監視用の塔が立っている。

 煉瓦造りの家々も規則的に配置され、本物の夜闇に包まれた街だと錯覚しそうになるのが不思議だ。

 しかし、このような実物とそっくりな街にも不可解な点があった。

 こういった城塞都市は、大抵が中央に領主の館であったり城であったりが配置されているものだ。

 けれども、それがない。


 その代わりに中央にあるのは大穴だった。

 穴の下からは強大な魔力溜まりがあり、大穴を通って迷宮全体に魔力を供給していることが解る。


「あの大穴の奥が、迷宮の最終地点だな」


 アルウィンの声は、心做しかくぐもった低い声であった。

 それが余計に、この廃墟の街並みの不気味な重々しさを感じさせる。


「ゴールは近いね……」


 異様な空気感にあてられたオトゥリアも、アルウィンのようにトーンが落ちてしまっている。


「慎重に行くぞ」


 階段を下り終えると、目の前に聳え立つ巨大な城門。

 彼らが近くに寄ると、たちどころに錠が空いて、誰も操作していないはずなのにギィィィッと音を立てて門扉が開くのであった。


「……」


 アリアドネは何も言わない。

 彼女もこの先に立ち込める暗雲のような何かに気がついているはずなのに、どこか范然たる表情を浮かべているのだ。


 なぜそのような表情をしているのか、アルウィンには疑問だった。

 けれども、アルウィンがアリアドネの真意を聞く前に扉がゆっくりと開いてゆく。


 その扉の向こうは、何故か、外から見た光景とは異なっていて眩しい光に包まれていた。

 輪郭がぼやけた風景が、光の中に浮かんでいる。

 けれども何故か温かさを感じないその遠景は、妙に不気味で観たいと思えるものではなかったのだった。

 目も眩むような燦爛たる光景に、アルウィンは思わず目を閉じた。


 閉じてしまったのだ。








 ………………

 …………

 ……







 目を明けると、そこは活気ある街になっていた。

 眩しい陽光のもとに、通行人や馬車が行き交って、出店の商人が快活に客を呼び込んでいる。

 鬼ごっこのような遊びをする子供らに、危ないと注意する恰幅のいいおばさんまで。

 アルウィンの見る世界は、平和そのものだった。

 しかし、やはり光の温かさが感じられない。


 ───何だ!?門の中に入るまでは廃墟だったのに、門の中は普通の街みたいだ。この迷宮の最奥に街などあるわけがない。

 幻惑魔法だ。

 ということは……幻惑を得意とする夢魔サキュバスが近くにいるということか。


 アルウィンが始めから感じていた不気味さは、幻惑魔法の存在を何となく感じ取っていたが故のものだろう。


 気が付いたとき、そこにはアルウィンただ独りだった。オトゥリアもアリアドネもどこに行ってしまったのか解らない。


 その上。


 ───えっ……!?魔力感知が使えない……!?


 二人を探そうと魔力感知を行おうとしたものの、薄く広げられた魔力はすぐに霧散してしまっていた。

 もう一度魔力感知を使おうとするも、やはり上手くはいかない。

 他の魔法も同様に構築しようとした途端に魔力が霧散してしまう。


 ───マズい。魔力感知が無いと……アイツらを見つけられない。この街は広い。オトゥリアと……会えなかったらどうしよう。


 魔力感知が封じられたという事実が、アルウィンの心に重圧を与えていた。

 彼は今すぐに舌打ちでもしたい気分だった。

 今まではずっとオトゥリアと距離をとっていたのにも関わらず、再開してからというもの、理由なく彼女と離れるというのが不安で仕方なくなったのだと気が付いたからだろう。


 ───あいつが急に消えたことで……心許なさに呑まれそうになる。まだ数分も経っていないのに心做しか心も渇いてる気がするし。


 一刻も早くオトゥリアを探さないといけないと思うと同時に、アルウィンの脳裏には別な人物も浮かび上がっていた。

 きりっとした目で、一見するといつもこちらを睨んでいるのではないかと錯覚する少女。

 その少女は魔法の使えないこの場所で、この状況を作ったと思われる夢魔サキュバスに襲われたときはどうするのだろう。


 ───問題はアリアドネか。


 魔力を霧散させて打ち消すような何かが、この街にはあるのだろう。

 魔力攻撃でしか攻撃の手段を持たないアリアドネにはこの街で何かが起きた時に身を守れない。

 そうなれば。


 ───オトゥリアは魔力がなくても常人に劣らない。ならば優先的に助けるのはアリアドネだな。


 オトゥリアと急に離れたことに苦悩していた彼だが、それでもオトゥリアの実力は信じていた。

 彼女ならば上手く切り抜けられるだろうと思うと、俄然不安が消え去っていく。


 しかし、そんな彼の心は───背後から響いた声に掻き乱されるのだった。


「アルウィン!!ずっと帰ってくるのを待ってた……!!」


 流れる金の糸のような髪の毛が、ふわりと舞う。

 アルウィンの心臓は、大きく震えた。

 その声は、オトゥリアだったのだ。


 途端に、彼の心臓は激しく震える。


「オトゥリア……突然居なくなるから焦ったよ」


 振り返りながら、そう返すアルウィン。

 オトゥリアの声を聞けたことで湧き上がる安堵に頬を緩めるのだが───彼女の姿を見た途端、彼は口をあんぐりと開いたまま閉じることが出来なかった。

 彼の顔に走ったのは違和感が故の吃驚きっきょうである。


 何故驚いたのか、それは、オトゥリアの姿が鈴蘭騎士としての装束とはまるで異なったものだったからだ。

 その姿は、おめかしをした町娘と言えばいいだろうか。

 ダークグリーンのドレスは、彼女の美しい金髪によく映えていた。


 ───もしもオトゥリアが騎士団に入らなければ、こういうような装束だったかもしれない。

 だけど……あいつは騎士団員で、ここには王女から貰ったとかいう白い戦闘用の装備で来ていたじゃないか。


「お前……何だよ、その格好」


 急に問うたアルウィンに、オトゥリアは鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情を見せる。

 彼の発言を受けた彼女の瞳の奥には少しばかりの哀しみが滲み出ていた。


「えっ、気に入らなかった?」


 瞳は少し潤んで、上目遣いでアルウィンを見るオトゥリア。

 長いまつ毛がぱちぱちと揺れて、アルウィンの心臓はどくんと跳ねる。

 互いに見つめあった二人。

 アルウィンは、面映いのか少し顔を赤らめて目線を逸らす。


「そういう訳じゃない。めちゃくちゃ可愛いとは思うんだが……」


 アルウィンが「なんで王女サマから貰った装備じゃないんだ?」という言葉を発する前に、オトゥリアは口を開いていた。


「アルウィンも。

 その服、凄く似合ってて……カッコいい。ドキドキが止まらない……幸せな気持ちだよ」


「……えっ!?」


 服装を褒められ、彼の頬は上気するのだが───

 ニヤける口元を隠そうと手で隠そうとした瞬間に、手首をちらりと見て「あっ」と声を漏らす。


 彼は───先ほどまで着ていたチュニックとは違った衣類を身につけていたのだ。


 腕にあるのは、アンゴラ繊維のコートとリネンのホワイトシャツだった。

 それだけで高そうな物なのだが───急に足にゾワッと走った密着感に悪寒が脊椎を駆け抜け、脳へと警鐘を鳴らす。


 居てもたっても居られなくなった彼は街のガラスに映る自身の姿を見て、「はぁ!?」と素っ頓狂な声をあげることしか出来なかった。


 彼の姿は、貴族のようだった。

 腰から上の装束は言わずもがな。コートには訳の分からないたくさんの勲章がつけられている。前髪はオールバックに固められ、よく判らない甘い香りが鼻腔を撫でてくすぐったい。


 問題は腰から下である。

 彼の装束は少しダボッとしたワイドパンツ……ではなく、閉塞感のあるスキニーパンツとロングブーツだったためだ。

 動きにくいことこの上ない装束は、今までこのダイザール迷宮を攻略していたとは全く思えないものである。


 ───おい、嘘だろ!?どうなってるんだ。


 自分の知らないアルウィン・ユスティニアが、同じく知らないオトゥリアと鏡に映る。

 これが幻惑魔法の創り出す違和感なのかとアルウィンが思った瞬間。

 オトゥリアが、を振り撒きながらアルウィンの手を取った。


「ねぇ!ずっと待ってたんだから困るよ!

 約束してたじゃん。帰ったら指輪を作ってくれるって」


 ───指輪?そんな約束、してないのに。


 違和感だらけだった。

 彼は微睡みに包まれながらも目を開こうとする時のような重苦しさを覚えて、慌てて自身の頬を抓る。

 痛みは、あった。


「何してるの!?さぁ、行くよ!?」


 彼女は、彼の手を取った。

 その手はしっかりと暖かい。


 ───ただの幻惑魔法じゃないのか?

 ここにいるのは……相当高位の夢魔サキュバスなのか?


 オトゥリアに手を引かれるアルウィンは、街の中央へと駆けていく。

 違和感はそこかしこにあるのにも関わらず、彼はオトゥリアと自身の違和感に精一杯で気付いていなかった。

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