衝撃波を伴う咆哮を放って無防備だった巨竜にオトゥリアが放った剣閃。
それは真っ直ぐに上段から振り抜かれ、鋭い刃が獄帝竜ヴェルミロスの二の腕に刺さっていた。
その瞬間、幾つかの鱗が彼女の頬に飛んでいく。
と同時に───オトゥリアの斬撃に気が付いた獄帝竜は咆哮を止めた。頭だけ振り返り、怒りの眼を彼女に向ける。
巨木のような腕をまるで腕に付いた虫を追い払うかのようにオトゥリアを吹き飛ばしていた。
「く……そぉ……っ!!」
振り払われた彼女はどうにか空中で後転しながら確りと両足で着地する。
だが───
「オトゥリア!!!!」
アルウィンはオトゥリアが吹き飛ばされた瞬間に、縮地で彼女の元へと向かってしまっていた。
その行動が、悪手だったと気付かずに。
巨竜の眼が彼をちらりと見る。そして、彼の奥にいたアリアドネに目を向けた。
そして本能的に、この場で一番魔力をコントロール出来ている人物───アリアドネが最も危険だと判断する。
するとその巨体は、彼を無視してアリアドネに向かって突撃を開始したのだ。
「マズい!アリアドネが……!!」
「だね……」
慌てて進路を変えるアルウィンと、それに追随するオトゥリア。
縮地を行うも、圧倒的な身体能力を武器に突き進む巨体になかなか追いつけない。
一方で、アリアドネはというと。
「…………」
彼女は自身に迫ってくる巨体を見て、何か覚悟に似た表情とも、痛みを我慢しようとするとも捉えられる顔を見せる。
それは、この後に何が起こってしまうのか「ある選択の先の未来だけが見える」能力で予め知っていたからであろうか。
獄帝竜は、大きな
彼女はそれを右横に跳ぶことで回避したのだが、左腕が彼女に向かって伸びていき───
ガシッと掴まれた彼女は、そのまま溶岩洞の壁に向けて勢いよく投げ捨てられたのだった。
「アリア……ドネ!?」
アルウィンは、目の前の光景が理解出来なかった。
縮地を解いて巨体に一撃を入れようとした時に、古龍も単独で討伐できるほど優秀だったアリアドネが為す術もなく放り投げられるのを見てしまったからだ。
アリアドネの身体は二、三度バウンドしながら彼の近くへと吹っ飛んでくる。
だが彼女の勢いは止まりそうにない。
───このままじゃ、アリアドネは壁に激突する。あいつの吹っ飛ばされる速度だと……かなり危なさそうだ。オレがあいつを受け止めないと。
彼は身体全身に魔力を流し始め───勢いよく地面を蹴り飛ばした。
「アリアドネ……!!」
彼は転がるアリアドネに迫っていき、受け止められるように両手を広げた。
───オレの胸で……あいつを捕えないと。
彼の見込み通りに、胸に飛び込んでくる彼女。
入ってきたタイミングで、投げられたボールを受け止めるように抱き留めたのだが───彼女を吹き飛ばした衝撃の威力は未だ健在だった。
「がああッ!!」
口から飛び散ったアルウィンの血。
彼はアリアドネを胸で受け止めきれず、そのまま彼女と共に転がり続けてしまったのである。
ボガッと、壁に同心円状のヒビが入る。
アリアドネを受け止めたアルウィンもろとも壁に打ち付けられたのだ。
その衝撃を受けて岩肌が不気味に震えたかと思うと、次の瞬間には巨大な岩塊が音を立てて崩れ落ちる。崩落に伴い、土埃と細かな石片が空中に舞い上がり、視界を覆い尽くした。
上から止めどなく落ちてくる土砂が叩き付けられた二人を覆っていたのである。
「アルウィン……!!!!アリアドネ!!!」
そんな一部始終を見て、青い顔で駆け出したオトゥリア。
彼女は土埃の中に、一心不乱に突っ込んでいく。
「死なないで……どうか……!!」
瓦礫は僅かに上下していた。
そしてそこから、僅かに見える指が懸命に上を目指して藻掻いている。
その手の持ち主は、岩壁の破片の落下に巻き込まれたアリアドネだった。
「アリアドネ。無事なんだね!?」
オトゥリアはそれを掴むと、魔力で強化した腕の力で思い切り引き抜いていた。
瓦礫の山から飛び出た瞬間に、汚れたアリアドネの身体が飛び出てくる。
「げふっ……げほっ!!」
アリアドネは吸い込んでしまっていた土埃を吐き出せていた。
身体の至る所から出血はしているものの、幸いなことに全て軽傷で済んでいる。
「助かったわ……」
まだ胸の当たりに違和感があるのか、やや嗄れた声で感謝の意を伝えるアリアドネ。
しかし、全力でアルウィンを探し出そうとするオトゥリアにその声は届いていなかった。
───アリアドネは無事だった。
アルウィン。どうか……無事でいて!!
彼女は救出したアリアドネをそのまま放置すると、更に奥の場所にアルウィンが居るのだろうと考えて瓦礫を掻き分けていたのである。
よろよろと起き上がったアリアドネもオトゥリアを手伝おうとする。
が、ただならぬ気配を感じて後方を見ると。
獄帝竜ヴェルミロスの巨体はゆっくり迫っていた。
オトゥリアは、アルウィンのことしか考えられなくなっていた。
後ろに注意を回す余裕など、彼女にはなかった。
───やっぱり……どう転ぼうともあたしが単独でやらなければならないのね。
アリアドネの身体を、莫大な魔力が包んでいく。
そして、獄帝竜の足元に巨大な魔法陣が展開された。
「オトゥリア!背中は任せなさい!」
莫大な魔力が、アリアドネの身体全身を覆う。
それはまるで何もかもを深海に呑み込む渦のようだ。他に見ている者がいたのならば神々しささえ感じたものだろう。
アリアドネが、ゆっくりと口を開く。
「〝
それは、北方の島国、ミヤビ国のとある地方の
眼を焼き尽くすほどの光が、辺りを包み込む。
それは獄帝竜ヴェルミロスの真下の魔法陣が輝いているからだ。
魔法陣の外周上には四箇所、規則正しい間隔で青い光が煌めいているのだ。
「……貫け」
静かに呟いたアリアドネ。
瞬間、魔法陣の輝く四隅が爆音と共に爆ぜていた。
四箇所から噴き上がったのは、巨大な水の柱だ。
その柱は獄帝竜ヴェルミロスの両腕、両足の真下から発生し、ドドドドドドッと豪快な音を立ててその巨体を槍のように貫く。
グゥォアアアアアアアッ!!!
巨体は、天を仰いで仰け反っていた。
けれども、それは僅か数秒に過ぎない。
体勢を戻すなり怒りの形相を浮かべて、アリアドネを睨んだ獄帝竜の巨体。
四肢を貫かれたのにも関わらず、血だらの四肢は前身を続けて歩みを止めなかったのだ。
しかもその水柱は周囲の熱に包まれ、徐々に水蒸気となって霧散してしまう。
───このタフさ。やっぱり
特級魔法を受けても血を流しているだけで健在な獄帝竜ヴェルミロスとは、古龍に非ずして伝説となった竜のひとつである。
原始的な飛竜種の骨格から分岐した翼を持たない竜でありながら、圧倒的なエネルギーを内包する巨体。
エヴィゲゥルド王国の隣国のソルジメント王国では、神敵として扱われる獄帝竜。
火山地帯から現れる度に、南光十字教から派遣された〝戒律の十天聖〟と呼ばれる南光十字教信仰国じゅうの精鋭の中の再精鋭と呼ばれるような戦士のみが狩猟任務を許可されるという化け物なのだ。
同様に〝戒律の十天聖〟が出動するレベルの古龍を討伐せしめた女傑であるアリアドネだが、それはその古龍が身に宿した魔力のみで攻撃するような種だった為である。
それでも、彼女はあと一歩で命が尽きると言われたほどの深手を負っての勝利だった。
目の前に対峙する獄帝竜ヴェルミロスは魔力攻撃もしてくるのかもしれない。
けれども、先程の広範囲を破壊するほどの衝撃波を伴う咆哮は化け物じみた肺活量によってのみ引き起こされたものである。
先程のアリアドネの魔法は、堅牢な外骨格に覆われた四肢を貫いた絶大な威力だったことは間違いない。
「水属性はそこそこ有効ね。なら……これはどうかしら!!」
アリアドネの内側から、再度、強大な魔力が迸った。