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第51話 マグマオーシャン

「流石だな。前人未到の96層を踏破しやがった」


 エウセビウは50層の騎士団本部にどっかりと腰を下ろして報告を聞いていた。


依頼主あの人の為にも……100層踏破まではこちらから手を出せない。その間にせいぜいお国に貢献することだな」


 瞳は微かに細められ、じっと報告書の一点を見据えている。視線には、冷静さと鋭い計算が宿り、まるで目の前に広がる見えない盤上で駒を動かしているかのようだ。

 口元には薄らと笑みが浮かんでいるが、それは愉快さではなく、むしろ何かを見通した確信の表れである。


「アイツらは……間違いなく国のために死ぬ。あのお方に男爵位を約束して貰ったからには果たさなければなるまい」


 葉巻タバコを灰皿に押し当て、エウセビウは50層の空を眺めるのだった。









 ………………

 …………

 ……








 第97層には、96層の薬罐やかんの中にいるかのような蒸し暑さというものはなかった。

 けれども、気温自体は96層よりも高いようでアルウィンらを疲弊させることに変わりはない。


 この層のマグマはまるで湖のように、層の殆どを覆っている。

 湖面が赤黒く揺らめき、灼熱の熱気が周囲を包み込んでいた。溶けた岩石がゆっくりと波打ちながら、時折大きな泡が膨らんでは破裂し、火の粉を空中に撒き散らしている。


 身体から水分をどんどん奪っていく熱気に、アルウィンが水を飲もうとしたその時───不気味な轟音が響き渡った。


 オトゥリアの足元の亀裂から赤い光が漏れ出し、瞬く間に眩いばかりの炎となって膨れ上がったのだ。

 ゴォォォッと音を立てながら、マグマの間欠泉が突然、洞窟の天井に向けて噴き上がる。

 真紅に輝く溶岩の柱が、無数の火花と共に空間を切り裂いていく。熱波が肌を焼き付けるように押し寄せ、周囲の岩壁はその熱に耐えきれずにひび割れて砕け散っていた。


 そんな光景を間近に見てしまったオトゥリアは……


「うわぁっ!!」


 女の子らしい悲鳴をあげ、アルウィンの背中にしがみついてきたのだった。


「ちょっと!大丈夫!?」


 アリアドネの声。


 吹き上がるマグマはまるで怒れる巨獣が咆哮しているかのようで、洞窟内は炎の光で赤く染め上げられていく。その光景は恐怖と畏敬の念を抱かせるほど壮絶で、自然の力が放つ無慈悲な美しさがそこにあった。


「大丈夫だよ、アリアドネ。アルウィンもごめん、急に飛びついちゃって。

 噴き上がったマグマに驚いちゃった」


 すまなそうにしていたオトゥリアだが───このように足下の噴出口からいきなりマグマが噴き上がることもよくあることだった。


 それだけではない。

 壁からは巨大な滝のように、十数フィート上からマグマが滴り落ちていて、飛び散ったマグマの雫がアルウィンの頬をじゅっと焦がす。

 それはホクロよりも小さな火傷跡だったが、彼はその熱さと痛みに、氷属性魔法を当てながら苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。


 足下からいきなり噴き上がるマグマや飛び散る灼熱の雫にまで気を付けないといけなくなるほどに、環境は過酷なものに変貌してしまっていた。

 自然の要塞と形容しても不自然がないほどに、侵入者を拒む97層。


 だが、徘徊する魔獣に苦戦することはなかった。高温の洞窟をねぐらとするため甲殻は強固だが、圧倒的破壊力を誇るオトゥリアが苦戦する程ではなかったのだ。






 98層の環境は、97層とはさして変わらなかった。

 けれども、そこにはうごめく何かがあった。

 マグマオーシャンの中に佇む、巨大な島のようなもの。

 それは三人の足音に気がついた途端、ゆっくりと動き出していた。


 マグマの中から現れた、三日月を彷彿とさせる反り上がった巨大な二本の牙。

 いかめしさをもつ巨大な大顎と、その上に煌々と輝く曇りひとつない青い瞳は、出発を最後に見なくなった青空を彷彿とさせる。

 全長はおおよそ100フィート、全高は30フィート程度の黒銀の身体が、マグマの放つ光を帯びて壮大な雰囲気を醸し出していたのだった。


「獄帝竜ヴェルミロス……危険度は古龍と同格よ」


 アリアドネの頬に冷や汗が走る。

 古龍と並ぶ程の危険度を持つ、化け物がそこにいた。


「かつて……火山の近郊にあった国の首都を壊滅させたことでも知られる、地底の帝王よ」


 アリアドネの声が、いつになく低い。

 黒銀の煌めく身体に、アルウィンは戦慄していた。

 分厚い甲殼は、彼の剣ではなかなか傷を負わせられないだろう。


 ───規格外すぎるだろ……こいつ。


 放たれる圧倒的な存在感に、僅かに足がすくむ。

 そんな三人を他所に、ゆっくりとマグマの海から上がった巨体は、大きく息を吸い込んでいく。


「離れて!!!!!」


 アリアドネの絶叫。

 必死に足を回転させ、横に跳んだアルウィンたち。

 アルウィンとアリアドネは左に、オトゥリアは右に散らばった。


 その途端、鼓膜を破壊するだけでは飽きたらない程の爆音が放たれる。

 その爆音の咆哮は衝撃波を伴いながら、進路上の地面を深く抉っていたのだ。

 それだけではない。

 地面を深く抉る破壊の連鎖は止まらなかった。

 回避したはずのアルウィンらのいる場所に向けて、獄帝竜はその衝撃波を薙ぎ払ったのだ。


「んなっ!?」


 再び回避を試みようとアルウィンが魔力感知を発動させるも、衝撃波は知覚することが出来なかった。


 ───嘘だろ!?単純な肺活量だけでこの衝撃波を放ったのか!?


 その衝撃波は、肉眼では薄らと見えていた。

 放たれる圧倒的な破壊力を持つ衝撃波の気流が巻き込んだ土埃に、奥の光景が歪められていたのだ。

 うねる空気の渦が、アルウィンと目と鼻の位置にまで迫る。


「まずい……!!〝金剛壁ディアマンテ・シルト〟!!」


 そんなアルウィンの前に出たのは、アリアドネだった。

 彼女は歯を食いしばりながら魔力を放出し、化け物の衝撃波を食い止めようとしていたのである。


 地面に展開された魔法陣から、純白に煌めく分厚い壁が出現する。

 土属性の上級魔法で、障壁を作る魔法のなかでは最高の防御力を有するものだ。


 彼女の障壁は、衝撃を受け止めることは出来ていた。

 けれども、止まりそうにない咆哮に徐々に表面が削られ───次第に、その削れた箇所からヒビが広がっていく。


「アリアドネ!!」


 いつその金剛壁が破壊されてもおかしくない状況に、彼は彼女の名を叫んでいた。

 が。


「アルウィン!!あたしを誰だと思っているの!?」


 一瞬だけ振り返り、自信に溢れた顔を見せたアリアドネ。

 彼女は再度魔力を発散させ、先程作った魔法陣とピッタリ重なるように、二つ目の魔法陣を構築させていく。

 そして。

 彼女は崩壊しそうな金剛壁を、新たな金剛壁と一切のズレすら許すことなく重ねることで復活させたのだ。


 ───凄い技術だ。魔法陣をピッタリと重ね合わせるなんて、とんでもなく精密な魔力操作だ……


彼女が時間を稼いでくれている折角のチャンスだったのだが、彼は彼女の技量に目を奪われ、近接戦闘に持ち込めずにいたのだった。

一方で。


「〝桂花けいか〟!!」


 オトゥリアの放つ魔力を帯びた剣閃が、彼らの前方で輝いていた。

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