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第50話 いざ、未踏破の領域へ

 迷宮第50層の、とある宿屋の酒場にて。

 ギイッと自由扉が開き、男が中に入ってくる。


 その男は、煙草を咥えながら周囲を伺っているようだった。

 初老のバーテンダーがその男に注文を聞くと、その男はボソッと「黒い蜜のブランデー」とだけ告げる。

 所々に置かれたオイルランプの火影が形の違うガラスを通し、床やテーブルに影を落として怪しく揺らめいていた。


「今は丁度品切れでして」


 マスターの言葉に、「あと何分だ」とだけ聞くその男。


「20分にございます」


「あぁ、そうか」


 出されたナッツを少しづつ噛みながら、〝黒い蜜のブランデー〟を待つ。

 窓の外に目を向ければ、フクロウが何度も鳴いて、獲物を咥えるとどこかへ飛び去っていった。


 次に扉がギイッと鳴った時。

 扉の前には、誰もが二度見するような、美しい体型の女が佇んでいた。黒いドレスに黒い仮面。それに白い肌やプラチナブロンドの髪が映えている。


 そんな中で───丁度よく、バーテンダーは男の前に〝黒い蜜のブランデー〟をそっと置いた。


「待たせたわね」


 女は男の隣に優雅に腰を下ろすと、ミディアムボディの赤ワインを注文する。

 マスターがそれを直ぐさま注いでやると、グラスに口を附けながら男に目線を向けた。


「あなた、早速怪しまれてるじゃない」


 呆れたような声を出す女に、男ははぁと溜め息を一つ。


「アリアドネ・ワラニアか。奴ならすぐに殺せる。どれだけ魔法使いとして優れていようと、どうしても発動の速さには欠けるし泳がせて構わないだろ」


 そんな男の言葉に、更に女は溜息をつく。


「違うわよ。弟弟子よ」


「アルウィンか?それは無いな」


 男───詰まるところエウセビウは、何を言ってるんだと言いたげな軽蔑の目線を女に向けていた。


「アルウィンは確りしているが甘ちゃんだ。俺がここにいるのが不可解なことはバレているんだろうが、あいつは俺のことを善人だと勘違いしているからな。見当違いの方向に推察しているに決まっている」


 アルウィンを知っているが故にエウセビウは、問題ないと女に告げる。


「そうなのね。じゃあ、予定通りで構わないのかしら」


「あぁ。微々たる問題に過ぎないからな」


「堂々と言ってくれるじゃない」


「あぁ。中々いいだろう?」


 そう言ってグラスを差し出したエウセビウに、女が上からグラスを当ててチンと鳴らす。


「鈴蘭騎士の首は、主の御心のままに」


 女はそう言うと、飲み切ったグラスを置いて夜闇の中に姿を消してしまう。

 後に残るのは、勘定を渡されて「き、190ルピナスだと…!?」と悲痛な叫びをあげるエウセビウだけだった。








 ………………

 …………

 ……









 ───はぁ。アリアドネがいたし、オトゥリアとイチャつくのは流石に無理だったな。


 翌朝。

 アルウィンはオトゥリアをちらりと見てそう心の中で呟いていた。


 彼らが転移盤ワープポイントを使って移動する先は95層の最終地点だった。

 ここからは、過去に王国騎士団が一名を除いて全滅した未踏破の領域だ。

 残った一人は96層の資料を遺していたが、仲間が次々と命を落としていくという限界状態の中で書き殴られており到底読めるものではなかった上に、彼女は精神を崩壊させて首を吊ってしまっている。


 それでもオトゥリアはどうにか解読し、情報をアルウィンとアリアドネに共有していた。


 ここから先の96層は、マグマの熱気によって独自の進化を遂げた巨大植物が群生する地下のジャングルの領域だ。

 魔獣もエヴィゲゥルド王国では絶対に見ることが出来ないような熱帯地域に生息するものが徘徊しており、知識のない敵に襲われる恐怖もある。

 けれども、恐ろしいのはその初見の魔獣共ではない。

 群生する巨大植物の中には、食獣植物と呼ばれる人や魔獣を消化液で溶かして捕食するような危険極まりない植物があったのだ。

 未知の魔獣に、未知の危険な植物。

 知らないというのは、やはりかなり恐ろしいものであろう。


 オトゥリアが解読した内容とは、騎士団の面々が初見の食獣植物によって跡形もなく壊滅したという記録である。

 命からがら生き残った一名は、狂気の状態にありながらもどうにか次の探索者にヒントを託そうと食獣植物の花芽を刈り取っていた。


 その花芽は、調査によって大陸中央の東部にある熱帯地域にある植物と同種であると断定されている。

 その食獣植物は、炎属性と氷属性を苦手としていた。

 炎の攻撃を受ければすぐさま全身が燃え上がり、氷の攻撃を受けると仮死状態に入って捕食行為が無くなると言われている。


 その調査結果が幸をなした。

 オトゥリアが処刑を回避して攻略に赴くことになったという噂が王宮を騒がせ、調査結果も彼女の耳に届いた。


 そのため、オトゥリアは準備を怠らなかった。

 死ぬかもしれない任務の前にアルウィンに再開したいという欲求もあったが、もし彼が迷宮攻略に力を貸してくれるのなら、彼の魔法の力を利用しようと考えていたのである。

 当初の目的では彼の氷魔法で食獣植物を一つ一つ仮死状態にしながらゆっくりと攻略するつもりであった。


 しかし今では、炎属性も氷属性も使用可能な頼もしい魔法使いが来てくれている。

 昨夜に作戦会議を行った時、アリアドネは魔力消費の激しい特級魔法を使用してでも突破してみせると言ってくれたのだ。

 その頼もしさに、アリアドネをきつく抱擁したオトゥリアの嬉しそうな姿をアルウィンは忘れられなかった。


 その笑顔に満足した彼は、昨晩オトゥリアと愛を確かめ合うような事もせず寝てしまったのだが───起きれば少しの後悔が存在していた。








 ………………

 …………

 ……









 96層に入ると、重苦しさが身体中を襲っていた。

 少し歩くだけでも湧き出す汗が止まらない。

 顎から滴り落ちる汗は茹だるような暑さのせいだ。

 マグマの熱と、水蒸気の織り成す蒸し暑さに、一行はゼェゼェと荒い息しかできない。


「はぁっ……何度撃ってもキリがないわね」


 特級魔法を使ってもいいと言ったアリアドネだったが、実際はそんな魔法を一度も使用していなかった。

 代わりに、彼女が頻繁に放っていたのが中級魔法の氷結弾アイシクルバレットである。

 食獣植物は確かにあるものの、種類の特定は出来ている。そのため、あまり生えていない箇所を縫うように前進することが出来ていたのだ。

 そして、襲い来る魔獣が現れても無闇に突っ込むなどといったことはせずに、引き付けてから斬ることで食獣植物に引っ掛からないように細心の注意を払っている。


 そんな中で。


「今はどれくらい進んだんだろうな。

 とりあえず……休むか」


「そうね」

「そうだね!」


「オレの魔力は余ってるから、アリアドネ。頼めるか?」


 彼女の返事など聞かずに、アルウィンは氷の魔力を発現させた。

 と同時に、彼の行動の意図を理解したのか、アリアドネが横に腰掛けてくる。


「集中よ。最初はゆっくりでも構わないから、確りと左手に魔力を貯めていきなさい」


 言われた通りにゆっくりと貯めるアルウィン。

 これは、彼の魔法の練習である。


「まだよ。ゆっくり。心を落ち着かせながら……魔力の流れを意識するのよ」


 彼の左手の先に魔法陣が出現するが、それは確かに今までのものよりも大きなものになっていた。

 成長していく彼の魔法の技術に、オトゥリアは目を輝かせている。


「今度は放出するわよ。ゆっくりと氷のつぶてを生成するイメージを描きながらね」


 深呼吸をしながら、アルウィンは魔力を放出していく。

 オトゥリアが目を丸くして見ているアルウィンの手の先には、九つの小さな氷の礫が生成されていた。

 それはみるみる大きくなり、鋭利に尖ると氷結弾の形となる。


「それじゃあ、それを一つ一つ操作していくわよ」


 アルウィンの目が、カッと開かれた。

 と同時に、飛んでいくのは九つあるうちの一つだけの氷結弾だ。

 それは見事に目の前の食獣植物の分厚い根元の箇所に着弾し───そこの部分から冷気が浸透していく。


「悪くないわ。なかなかの集中力ね」


 倒れる巨大な影。

 同様に、アルウィンはアリアドネの指示のもと周囲に生えていた食獣植物を全て仮死状態にさせ、スペースを確保していた。

 残りの食獣植物では無い草木は、オトゥリアがヴィーゼル流の飛ぶ斬撃のひとつである〝天吹〟で斬り裂いている。


「いいわね。あたしの指示ありだと5割程度の魔力は無駄にならずに使えてるわよ」


 アルウィンの成長を褒めるアリアドネだったが、向上心のあるアルウィンは「まだ5割か」と悔しそうだった。


「でも、たった一日で3割から5割にまで流す魔力を増やせたことは大きな成果だわ。いずれは風魔法と氷魔法の相当な実力者になれると思うわよ」


 今日のアリアドネは、アルウィンの成長を見られたのかやけに上機嫌だった。


 彼らが未踏破の96層を無事に突破したのは、出立して三時間後のことである。

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