「こちらの残基は二つか……」
2030年5月。轟く銃声の中、リサ・アイレスフォードは歯噛みしていた。握りしめるスマホには無数の亀裂が走っていた。
銃座を積んだドローンを十は用意していたのだが、破壊されたり、使えなかったりとトラブルが重なり、ここまで追い込まれた。今は近くの廃ビルに潜んでいる。
これだけ派手に市街戦を繰り広げているというのに、パトカーの一台も来やしない。通行人の一人が通報しそうなものだが。人払いも含め、敵は対策済みということか。
疲労と焦燥、傷の痛みで、意識を保つのも難しい。心身ともに限界が近づいていた。思えばこれまで十六年の人生、退屈と孤独との戦いだった。どうせこれからも単調な毎日が続くのだから、ここらで終わりにするのもいいか。
「ビルごと消し飛ばせ」
敵のそんな指示が聞こえてくる。もう終わりみたいだな。
たかだか非力な少女ひとり消すのに、特殊部隊員八人を投入してきたのだ。最初から勝ちの目はなかった。
「あなたと遊んでみたかったわ、アイリス」
そうとだけ言い残し、護身用の拳銃を頭に突きつける。すると、恐怖が身体の芯を貫き、全身がガタガタと震えだした。無意味で無味乾燥な人生を終わらせるだけだというのに、まだ本能が抵抗するらしい。
恐怖を理性でねじ伏せ、引き金に指をかけるが、下階からの衝撃で、体勢を崩した。拳銃を取り落としてしまう。
最後まで思い通りにならないものだ。
などと思っていると、カツカツと軍靴の音が聞こえてきた。
「久しぶり、リサ。ピンチみたいだな」
防弾ベストを着た黒ずくめの男は、そんな声をかけてきた。
⬜
俺こと遠山大河は、しがない傭兵だ。オヴェスタ連邦軍の特殊部隊が動いているのは極秘事項らしかった。ガス漏れ事故対応ということで、田舎町が封鎖されていた。だが、俺はなんとも怪しく感じ、密かにバリケードをくぐり抜け、市街戦の真っ只中に潜入したというわけだ。
そこで幼馴染のリサに再会するとは思わなかったけどな。
「日本まで来ていたのか。奴ら、お前の頭脳を狙ってるのか?」
「うっさい。余計なお世話よ」
リサは欧米人だが、一時期俺の近所に住んでいた。そこで仲良くなったわけなのだが、天才ぶりとツンデレぶりは相変わらずのようだ。
「ひとまず脱出するぞ」
「囲まれてる。無理よ」
「俺が気付かれずに潜入できたんだから無理じゃない」
「いいの。もういい。もう死にたいから」
リサは柄にもなくそんなことを言った。諦めの言葉とは裏腹に、小さな身体は小刻みに震えていた。
「お前が死にたいかどうかなんてどうでもいい。俺がお前を助けたいんだ。幼馴染だからな」
「非合理的ね」
「それが人間だろ」
俺が強情な態度を取っていると、リサは観念したように頷いた。
「分かった。私と一緒にここを切り抜けよう」
「よし! その意気だ。いつもの調子が戻ったみたいだな」
「いつものって……会うのは5年ぶりなのに、久々な感じがしないわね」
「まぁいいだろ。リサはどんな時も超然としていたからな。それを思い出しただけだ」
「もう、そんな風には振る舞えないけどね」
寂しげに呟くリサの表情を見て、胸が痛くなった。こいつなりに苦労してきたのだろう。
思えば、完全記憶能力を持つリサは、幼い頃から神童扱いされていて大変そうだった。研究者から目をつけられ、色んなテストを受けさせられていたし、同年代の子供からはハブられていた。
そんな中、3つ歳上の俺だけが、リサと対等に話せた。
政府公式サイトの脆弱性の話も、アーベル環の性質の話も、唯識三十頌の解釈の話も、俺でなければついていけなかっただろう。
高すぎる知能を扱う苦労というのも、中学二年の時点で俺は知っていた。だから、色々と処世術を教えてやった。周りのレベルに合わせる方法や、知能指数の垣根を越える共通の話題、等々だ。
それ以降、リサは友達も増え、本当に楽しそうにしていたが、遂に俺に対しても演技するようになっていった。
リサは俺の知能さえも軽々と抜き去ったわけだ。
それから程なくしてリサは海外の名門大学に招聘され、日本を去った。それからどうしていたのかは知らないが、この状況を鑑みるに、聞かない方が良さそうだな。
「なんか、随分たくましくなったわね」
「これでもミリタリースクールに通ってたんでな。去年からフランス外人部隊にいた。クビになったけどな」
「へぇ、私もプロジェクトを外されて大学を追放されたの。やっぱり私ら、似た者同士ね」
「確かに。道は違えど同類なのかもなっ!」
俺は雑談しながらも敵の膝を撃ち抜く。さすがにオヴェスタの精鋭は強いな。急所を撃ったつもりだったんだが。
「作戦通り、ドローンを1ヵ所に集めたわ。デコイにするつもり?」
「そうだ。もうそれしか打てる手がないんでな」
「分かった。ドローンが私たちを護衛してるように見せかけるわ」
そう言うや否や、リサはもうスピードでスマホをタップし始めた。
キーボードではないが、なんだか天才ハッカーっぽいな。
作戦通り、一ヶ所に固まったドローンは一斉に機銃掃射を始め、俺たちはそれを囮に脱出できた。
「その……助けてくれて、ありがと」
リサは俺の袖を引っ張ってそんな事を言った。言葉とは裏腹に、なんだか嫌そうな表情だ。
「そりゃあ幼馴染が自殺しようとしてたら止めるだろ。それに、助けたというより『二人で助かった』かんじだろ」
「そうかもね」
リサは気のない返事をすると、その場に崩れ落ちてしまった。
「大丈夫か?」
「ごめん、なんか力が抜けちゃって。でも、大丈夫だから」
極度の緊張が一気に解けたせいか。俺はリサをおぶってやることにした。
「無理しなくていいんだ、リサ。お前、気丈に振る舞ってるけど、もうボロボロだろ?」
「いや、本当に大丈夫」
「でも、これから先、一人で逃げ切れるのか?」
「そんなこと言ったって、言ったって……仕方ないじゃない! みんな私を利用し尽くしては裏切っていく! なまじ才能があるせいで楽観的にもなれない! あんたにこの気持ちが分かるの!?」
「分からない。だが、お前が傷ついているのは分かる。なんだか知らないけど、お前は重い物背負いすぎなんだよ。俺にも預けてくれ。俺はなんたって、アペイロンのリーダーなんだからな」
俺はとっさに適当な組織名をでっち上げた。
「アペイロン? なにそれ?」
「【無限定なるもの】という意味だ」
「それは知ってる。大河の仲間かなにか?」
「そうだな。俺の仲間たちだ。メンバー第一号はリサな」
「馬鹿みたい」
「そりゃあ、お前から見たらほとんどの人類が馬鹿だろ」
俺がふざけて返すと、リサは呆れたようにため息をついた。
「いいわよ。大河が地獄のお供してくれるってんなら、とことん付き合ってもらうんだから」
「リサと一緒に地獄行きか。退屈しなさそうだな」
そんな軽口を叩きながら、俺はアペイロンの構想を想像した。