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第49話 不器用な2人

「ここは……どこだ?」

 私のベッドの上でイザークがようやく目を覚ました。額の汗を拭いながら、起き上がってあたりを見回している。


「ここは今の私の家よ。あなた、突然倒れたのよ。この家を借りている工房のお孫さんと工房長がやって来て、あなたをここまで運んで来てくれたのよ。あとでお礼を言って。」


「そうか……。従者をつけずにここに来たんだったな。後で伺わせていただく。」

「それにしてもあなた、猫、苦手だったの?

 突然猫に寄られて倒れたけど……。」


「いや……。動物はみんな好きだ。」

「そう?」

 ならどうして倒れたのかしら。


 ベッドの上に乗っていたザジーが、イザークにその身を擦り寄せている。

「この子は……。」


「この子もずっと心配して、付き添っていてくれたのよ?あなた、猫に好かれるのね。」

 猫は優しい人間を見抜くと言うし、イザークも優しいということなのかしら?


「そうか……。昔、こんな感じの茶色と黒のぶちの子猫を飼っていたことがあるんだ。」

 穏やかな優しい表情で、ザジーを撫でているイザーク。こんな表情は初めて見る。


「私も昔、拾ったことがあるわ。うちじゃ飼えなくて、お友だちに預けてしまったけど。

 お父さまがクシャミが出るから、苦手だと言って飼ってもらえなくて……。」


 それを聞いたイザークが、驚いた表情で私をじっと凝視している。

「なに?」


「あれは……、君だったのか?」

「どういうこと?」

「私は小さい頃、女の子に子猫をたくされたんだ。両親に捨てられてしまったが……。」


 私は首をひねると、

「……ひょっとして、父に連れられていったおうちの子ども?あれがあなただったの?」

 と大きな声をあげた。


「一緒に鳥を見たり、魚を見たりして過ごしたんだ。クッキーをもらったこともある。」

「覚えてるわ……。

 あれがあなただったなんて。」


 父の仕事の取引先として連れて行かれた家には、きれいな男の子がいた。私はその子と仲良くなって、クッキーをあげたのだ。


「そう、あの子、捨てられたの……。」

「ああ、すまない……。私の目の前で、泥溜めの中に放り込まれた……。」


「泥溜めの中ですって!?

 じゃあ、その子は死んでしまったの!?」

「恐らくはな……。誰も助けていなければ。

 すまない。君にも頼まれていたのに。」


 すまない、ですって?あのイザークが?

 本当に悲しげにうなだれるイザークは、まるで別人のようだった。


 子猫を泥溜めの中に捨てるだなんて。それも子どもの目の前で。小さいイザークはどれほどショックだったことだろうか。


 今もザジーを撫でている様子を見る限り、動物が大好きな筈だ。そんな子どもから子猫を取り上げて、わざと殺すなんて……。


 あの義母のやりそうなことだ、と思った。

 高貴な血以外を疎む家系。雑種なんてその最たるものなのだろう。


「……イザーク、食事はとったの?」

「いや、まだ食べていない。君を連れ戻してからと思っていたから。」


「それ。」

「それ?」

「そっちのほうがいいわ。お前、って呼ばれるの、私は嫌だったもの。」


「ああ、そうか……。」

 うなだれるイザークを放置して、私はキッチンまでオートミールを取りに行った。


「はい、病人食よ。パン粥でも良かったけれど、とってもおいしいパンだったから、そのまま食べたほうがいいと思って。

 足りなければそのパンがあるわ。」


「君は……、料理が出来るのか?」

「うちは貧乏子爵家だったもの。

 専属料理人なんて高尚なもの、雇えなかったから、自分で作る他なかったのよ。」


「それは以外だ……というか知らなかった。

 そうか、料理が出来るのか……。」

 私のことをどれだけ無能だと思っているのかしら?料理くらいしていれば出来るわ。


 ベーコン、玉ねぎ、しめじをオリーブオイルで炒めたものに、潰したトマトと、野菜の煮汁、オートミールを加えて、塩、コショウで味付けし、柔らかくなるまで煮たものに、さらにチーズを加えて蓋をし、溶かしたものをさっくりと混ぜ合わせたものだ。


 本当の病人なら、チーズは重たいから入れないけれど、イザークは顔色もいいし元気そうだったので、その方が美味しくなるので、後から付け加えることにした。


「ん……。うまいな……。」

 ベッドの上でオートミールを食べながら、イザークが素直に美味しいと言った。


「イザーク、あなた……どうしちゃったの?

 素直過ぎて気持ちが悪いわ。」

 正直違和感が拭えない。


 イザークが目を丸くして、

「私だって、うまいものはうまいと言う。」

 と心外そうに言った。


「朝食の時は、いつもつまらなそうに食べていたじゃないの。」

「あれは……、吐き気がするからだ。」

「吐き気?」


「うちの料理が気持ち悪いんだ。無理やり時間の制限をつけられて食べてきたものだからな。いつも食べるのが辛いんだが、なんとか無理やりでも飲み込んでいるんだ。」


「それって、主人が食べ始めるまで食べてはいけなくて、主人が食べ終わったら食べ終わるという、独自のルールのこと?」

「そうだ。あれをやると苦しいんだ。」


 知らなかった。自分も子どもの頃に、先代に合わせて食べ終わる為に、早く食べられるようになったのだろうから、私が食べるのが間に合わないのも、理解してくれたらいいのに、と思っていたのだけれど。


 まさかイザークがそのやり方が嫌いで、無理やりそうして食べていただなんて。

「……だったら、やめてしまえばいいじゃないの。誰もそんなことしていないわ。」


「王族の前でしかやらないというのだろう?

 だがあれは子どものころからの決まりで、あの家にいる限りそうするしかないんだ。」

 イザークが頭を振る。


「そのルールを決めた先代は、お亡くなりになられたじゃないの。今はあなたが当主なのよ?ルールを好きに作れる立場なのよ?」

「だが……。」


「先々代から今のルールだったわけではないのでしょう?だったら、これがロイエンタール伯爵家の伝統ではない筈だわ。」

「うちの伝統、じゃ、ない……。」


 反芻するようにそう呟くイザーク。

「そうだ、お父さまが決めたルールだ……。

 王族と婚姻するために……。」


「もう王族と結婚するつもりはないのでしょう?私を連れ戻したいのでしょう?だったら今更必要ないでしょう?あなたはもう大人なのだもの、自分で選んでいいのよ?」


「考えたことも……なかった……。」

「……あなたもあの家に縛られていたのね。

 王女さまと結婚させる為だけに育てられた人生は、もう終わりでいいんじゃない?」


 私はイザークの背中を撫でた。

「そうだ、私は君を選んだんだ。唯一目の前にいても吐き気がしない令嬢だったから。」

「えっ、どういうこと?」


 途端に押し黙ってしまうイザーク。

「そんなに言えないことなの?」

「いや……そうじゃ……、いや、そうだな。

 とても、言いにくいことだ……。」


 イザークは逡巡してから、

「……私は、貴族の女性を前にすると、吐き気がするようになったんだ。

 王女殿下にふられてからというものな。」


「そうだった……の?」

「陰日向で暴言を吐かれ続けて……。

 女性が怖い……んだと思う。目の前にいると動悸がして、吐き気をもよおすんだ。」


 それは伯爵家を引き継いだ成人貴族としては、かなり公言するのは恥ずかしいことだろう。若い女性が怖い、傷つけられるかもしれないことが怖い、だなんて。イザークがなかなか言えなかったのも無理はない。


「……どうして話してくれる気になったの?今までそんなこと、言わなかったじゃない。」

「言っただろう?君は、気持ち悪くない。

 唯一なんだ、この世で君だけが……。」


 小さい頃に一緒に過ごした記憶を、覚えていたのかしら?でも、嫁いでからというものイザークは私を無視していた。メイドとばかり親しげに話して。それはどうしてなの?


「なら、……どうして私と話をしてくれなかったの?あなたはどれだけ私が話しかけてもずっと無視して、メイドとばかり話をしていたわ。私はずっと、……寂しかった。」


 私も正直に自分の気持ちを伝えた。イザークとこんな話をするのは初めてのことだわ。

「怖かったんだ……それでも。」

「怖かった?」


「君の姿が他の女性たちと重なって……。君だから、気持ち悪くこそならなかったが、それでもやはり怖かった。君と話すことが。突然君の姿が他の女性の姿に見えたりする。」


 トラウマ、というやつだろうか。貴族の女性と関わることが恐ろしくなって、私の姿がそれに突然見えるようになる。私も、貴族の若い女性だから。だから避けていたの?


「私たち……。もっと早くに話し合えたら良かったわね。そうしたら、きっと今、こんな風になっていなかったと思うわ。」


「離婚の意思は……変わらないのか?」

「ええ。私はこの家を出て、絵師として自立したいの。父にも、ロイエンタール伯爵家にも、縛られない人生をおくるのよ。」


「私も離婚を拒む意思は変わらない。」

「どうして?唯一吐き気がしないから?」

「違う。」

 イザークが私の手を掴んだ。


「──君じゃなきゃ、駄目だからだ。」

 私の目をじっと見つめてくるイザーク。

 こんなに切羽詰まったような表情を見るのも初めてのことだ。


「初恋……だったんだと思う。君のことが。

 記憶に蓋をして、忘れていたけれど、君のことだけはどこかで覚えていたんだと思う。」

 私の脳裏にあの日の少年の姿が浮かぶ。


「それなのに突然怖くなって、自分で自分がわからない。どうしたらいいのかも……。

 こんな自分を知られるのが怖かったんだ。

 もう、話してしまったがな。」


 イザークが苦笑しつつそう言った。

 その手は私に、つながれたまま。

「子どもの頃欲しかったのは、子猫と過ごせる生活と、君といられる時間。それだけだ。

 それだけが、私の欲しいものなんだ。」


「でも……大人になったあなたが私にしてきたことは消えないわ。私が無視されて悲しかった時間も。最初から話してくれていれば、私だって寄り添えたかも知れないけれど、私が苦しかったことも事実なのよ?あなたのお母さまにされてきたことだってそうだわ。

 あなたはそれを止めなかったじゃない。」


「そうだな……。私は自分を守ろうとするあまり、君を傷つけてきたんだな。今日、君と話してそれをまざまざと実感したよ。頑なになっている私につき合わせるべきじゃなかったと。私は結婚すべきではなかったんだ。

 少なくともこの傷が癒えるまで。」


 イザークは真面目な顔つきでそう言った。

 私は困惑していた。イザークの言葉にも、態度にも。これはいったい、誰……?


「あなたの行動に理由があったことはわかったわ。だけど、それで同じことを私にしていいわけじゃない。この年になってしつけされるだなんて、……こんな屈辱、ないわ。」


「そうだな。私はお母さまの言う通り、君のことが“くだらないもの”に感じるから、そういう感情が沸き起こるのだと思っていた。だからしつけが必要だと思っていた。私がされてきたように。それは私の間違いだった。」


 ──どうしてイザークは、こんなに素直なんだろうか。どうして私たちは、もっと早くに話し合えなかったのだろうか。どうしてこうなる前に、もっと早く……。


「私は君と、やり直したい。」

「……でももう、私は前を向いて歩いているのよ。あなたから離れたいの。

 ロイエンタール伯爵家からも。

 それは尊重してくれないの?」


「フィリーネ……。」

「今更名前を呼ばないでよ……!

 今まで一度も、一度だって呼んでくれたことなんてなかったじゃない……!」


 思わず涙があふれた。これはなんの涙なんだろうか。困惑、愛憎、今更という気持ち、色んなものが混ざりあって溢れ出て来くる。


「私だって、あなたと愛し合えたら、あなたと幸せになれたら、それが1番良かったわ!

 今更よ、今更なのよ……!」


 イザークがそっと指の甲で溢れ出る涙を拭ってくる。そんな風に優しくしないで。あなたも辛かったんだって、本当はずっとこうしたかったんだって、そう思ってしまうから。


 今更だと思っていてもイザークに対する情は残っている。あなたと愛しあいたくて求めた時間が心をよぎる。このまま彼を遠ざけたい気持ちと、どこか憎みきれない気持ちも。


 イザークが、そっと私を抱きしめた。

 私はされるがまま、イザークに背中を抱かれていた。あふれる涙が止まらないまま、私は感情を吐き出すように泣き続けた。


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