「描いて欲しいテーマは、うちの家族3人の肖像画です。この工房は代々続く伝統ある工房でして。それを残しておきたいのです。」
「家族の肖像画……。」
そう言えば、人物を描くのは初めてだわ。
私にうまく描けるかしら……。
しかも100号という巨大なサイズ。
ちょっぴり不安になってくるわね。
「100号とは具体的に、どのような大きさなのでしょうか?かなり大きいのだろうということだけは、想像出来ますが……。」
「でしたらこちらに本物があります。」
そう言って、工房長が私を手招きして呼び寄せた場所に、巨大なキャンバスがいくつも立てかけられていた。
「こちらのキャンバスですね。
これが100号サイズの物になります。」
工房長が、よっ、と言いつつ取り出したのは、私の身長はあろうかという高さの、巨大なキャンバスだった。
「こちらは横幅が1303ミリのものになりますね。ちなみに1112ミリのものと、970ミリのものもありますが、3人並ばせるのであれば、1303ミリのものがよいでしょう。1人座らせるにしても、立たせた時に全身を描きやすいキャンバスかと。」
「……そうですね、バランスを考えると、1人は座らせたいです。それと、もう少し横幅が狭い方が、考えている構図には余白が余り過ぎなくてよいかなと思っています。」
「では1112ミリでしょうか。」
「見せていただいても?」
「どうぞ。」
工房長が1112ミリ幅のキャンバスを引っ張り出して見せてくれたのだけれど、思ったより縦長に見えた。
縦幅はすべて1621ミリ前後らしい。
「……これだと、バランスを考えた時に、先程のもののほうが、まだイメージが近いですね。あまり細いと全身を入れたら、今度は上下が余ってしまう気がします……。」
「では1303ミリになさいますか?」
「そうですね、それでお願いします。」
サイズは1303ミリ幅に決まった。
「わかりました、キャンバスはご自宅に運ばせましょう。我々がご自宅にお伺いしますので、そちらで絵を描き進めて下さい。」
「わかりました、誠心誠意、引き受けさせていただきますわ。」
こんな大作、初めてだけど、頑張って描きあげよう。せっかくのお仕事だもの。
「それと、軸の長い筆がほしいですね。キャンバスいっぱいに絵を描こうと思ったら、筆を長く持たないと、バランスが崩れる気がします。そういう筆はありますか?」
「ありますよ。必要であれば、ご希望の長さに合わせて特注も可能です。」
「ではこのぐらいの……長さのある筆が欲しいです。」
私は手で幅を示した。筆を長く持って絵を描く練習も必要ね……。
長い筆で描くにはコツがいりそうだわ。
「その長さだと、特注になりますね。すぐに作らせましょう。正確に長さを測らせてください。──巻き尺を持ってきて。」
従業員にそう指示をすると、従業員に持ってこさせた巻き尺で、私の手で示した幅を測りだした。巻き尺を巻き取ると、
「では、すぐに取り掛かります。1日あれば作れますので、すぐにお届けしますね。」
「はい、よろしくお願いいたします。」
「アルベルトを呼んできてくれ。」
今度は従業員にアルベルトを呼びに行かせた。すぐにアルベルトがやって来て、この長さの筆を作ってくれ、と指示をしていた。
絵の具だけじゃなく、それ以外の画材も作っているのかしら。──と思ったら、
「わかった。指示しておく。」
とアルベルトが言った。
後継者として、職人の管理もしているのかしら?画材を作る人は専門にいるのね。
職人として、しっかり仕事をしているんだわ。料理のことといい、案外大人なのね。
そして私に気付き、
「彼女に絵を頼んだの?」
と祖父に尋ねた。
「ああ。お前の提案通り、肖像画を飾るのも悪くないと思ってな。彼女の絵は温かい。
素晴らしい肖像画が出来るだろう。」
「そう。──良かったね。」
そう言って、アルベルトが私にニッコリと優しく微笑んだ。ひょっとして、これはアルベルトの提案が発端の仕事だったの?
朝ご飯の時、私が夫に絵の具を売られてしまったことを、気にしたそぶりだったアルベルト。私にお金がないことも知っている。
絵の具もお金もない私の為に、私に絵を描く仕事を与えようとしてくれたのかしら?
お陰で新しく絵の具も借りられたわ。
優しくて気を遣ってくれる子なのね。
私は素直にありがとうと言った。
「夕飯。リクエストはある?」
「え?いいわ。いただくだけでも悪いのに。
なんでも構わないわよ。」
「気にしないで。必要なものは明日買いに行くことになってる。今日も泊まっていって。
朝ご飯は?リクエストはある?」
「……もし出来るなら、今朝いただいたパンをまた食べてみたいわ。
とても美味しかったもの。」
私は誘惑に抗えずに言った。
「了解。あれは父さんもじいちゃんも好き。
明日必ず作る。」
アルベルトがニッコリする。
「そんなに美味かったのか?どんな料理だ?
俺も気になるな。」
レオンハルトさまが顎をこすりながら尋ねてくる。
「塩とオリーブオイルでニンニクを炒めて、そのオリーブオイルを使って半熟の卵を焼くんです。オリーブオイルと半熟の卵とニンニクを、パンの上に散らして食べるんです。」
と私は教えた。
「へえ、聞いてるだけで美味そうだな。」
「そこに更にチーズとハムを乗せると、悪魔的な美味しさでしたよ。」
「──騎士さま。」
私が今朝の朝ご飯の説明をしていると、アルベルトがレオンハルトさまを見て、騎士さま、と呼んだ。
「彼女と、知り合い?……親しい間柄?」
なぜちょっと、表情が険しいのかしら?
アルベルトは、レオンハルトさまと、あまり仲が良くないのかしら。
「ああ。以前護衛の仕事を頼まれてな。
今日はさっきまで村を案内してたんだ。」
「……そう。明日俺がしようと思ってた。」
「明日は休みだって言っていたものね。でも今日も買い物に付き合ってもらったし、明日も付き合ってくれるんでしょう?」
「そのつもり。」
「アルベルトの休みを1日まるまる付き合わせるのは悪いわ。気持ちはありがとう。」
「別に悪くない。」
気を遣ってくれるアルベルトに、私も気を遣って答えたつもりだったのだけれど、アルベルトは何やら不満そうだった。
……どうしたのかしら?
「どうやらお坊っちゃんの予定を崩しちまったようだな。悪いことをしたよ。」
眉を下げて笑いながら、レオンハルトさまがそう言った。
「そんなこと……!私は感謝してます。
それに……楽しかった……ですし。」
言っていて恥ずかしくなってきて、段々と俯いてしまう。
アルベルトはギュッと拳を握りしめると、
「筆、1時間で出来る。家に持って行く。
そしたら絵を描いて欲しい。」
と言った。
「今日から?それは構わないけれど……。」
随分と急ぐのね?まあ大作だし、3ヶ月でも正直短いかも知れないわ。
「じゃあ、俺はそろそろ失礼するよ。
またな。」
「あ、じゃあ、私もそろそろ……。
また後でね、アルベルト。」
私はレオンハルトさまと、画材店を出た。
「さっきの……。どうしたんでしょうか。
様子がおかしかったですね。」
レオンハルトさまと並んで歩きながら、私はさっきのアルベルトの様子が気になって、そうポツリと呟いた。
「アルベルトか?単なる嫉妬だろ。」
「──嫉妬?」
アルベルトが?私に?なぜ?
「わからないのか?まあ、お嬢ちゃんはそうだろうなあ。鈍いって人から言われないか?
アルベルトもかわいそうに。」
「……最近似たようなことは言われましたけど、私ってそんなに鈍いですか?」
「ああ、かなりな。」
そう言ってレオンハルトさまが笑う。
「そう……なんでしょうか。
自分じゃ少しもわからないものですね。」
「まあ、それがお嬢ちゃんのいいところでもあるんだがな。」
「そうなんですか?」
鈍いところがいいところだなんて、初めて言われたわ。……鈍い自覚もないけれど。
「だから別にわからなくても構わないさ。いずれ嫌でもわかるようになるだろうしな。」
なんて思わせぶりに言ってくる。
嫉妬、ねえ……。レオンハルトさまと一緒なことが、面白くなかったのかしら?それとも、自分がやろうとしていたのに、レオンハルトさまが私に村の中の案内をしてしまったことが、気に食わなかったのかしら。
どちらにしろ嫉妬されるほど、私はアルベルトともレオンハルトさまとも、まだそんなに親しいわけじゃあないのだけれど……。
そりゃあ、2人とも素敵な人だし、親しくなれたらいいなとは思うけれど……。
この先どうなるかはわからないんだし。
けれど、それもこれも、正式に離婚してからの話だ。さっきはついつい、レオンハルトさまとデート気分で歩いてしまったけれど、私はまだそれが許される立場にない。
もしもイザークにそこを突かれたら、離婚の際に不利になる事案だ。早く堂々と、素敵な方と歩けるようになりたいものね。
レオンハルトさまが自宅まで送って下さったので、画材が届くのをボーッとしながら待っていると、30分も経たないで、アルベルトがお父さまとともに、長い筆などの画材一式とキャンバス、イーゼルを運んで現れた。
「……随分と早いんですね。」
「最優先で取り掛かってもらった。」
「そうなんですか、ありがとうございます。
そんなに急がなくても良かったのに。」
「待ってるだけは退屈だと思って。」
「それは確かにそうですね。」
本も何もないし、村は見て回ってしまったから、正直することがないのよね。
「じいちゃんはまだ仕事。
先に俺と父さんを描いて欲しい。」
と言った。
「わかりました。では……そこに並んで立って下さい。工房長には中央で座っていただきましょう。後でお父さまには、工房長の肩に手を置いていただきますので。」
「わかりました。」
そう言って、アルベルトとお父さまが、アトリエの中に並んで立った。
私はアトリエの中にあった丸椅子に腰掛けて、長い筆を長く持って、2人の形をキャンバスに取り出した。
「……木炭でアタリを取らないのですね?」
お父さまが不思議そうにそう言った。
「アタリ?……ごめんなさい、私、絵は習ったことがないので、専門用語はわからないんです。独自のやり方をしているので……。」
「アタリとは、大まかな位置や構図を仮で入れておくことを指します。通常は木炭でそれを行うんですよ。人物であれば頭や体をざっくり描いたりして、そこに色を重ねます。
下絵を丁寧に描かれる方もいますよ。」
「ああ、そうなんですね。私、それを絵の具で直接してしまうんです。
それでもなんとなく仕上がるんですよ。」
「天才肌、だと思う。」
驚いたようにアルベルトが言う。
「そうかしら?自分じゃよくわからないわ。
なんとなくやっているだけなの。」
「確かに、あまり一般的ではないので、それで描けるのは凄いことだと思いますよ。」
とお父さままでそうおっしゃった。
「……そうなんでしょうか?
だといいのですけれど……。」
私は恐縮しつつ微笑んだ。
「懐かしい。母さんもいつもそこで、絵、描いてた。昔よく描いてもらった。」
「ああ、懐かしいな。絵なんてもう、描いてもらうことは一生ないと思っていたが。」
アルベルトのお父さまは、奥さまが亡くなられたのがショックで、この家を出られたんだったわね。それ以降、奥さま以外の方のモデルになることがなかったんだわ。
「……奥さまの次が私で、良かったんでしょうか?絵を描かれるのは、本当は嫌だったりされませんか?奥さまにだけ、モデルをされていたんですよね?」
私はそこが少し気になった。
「……これが楽しい思い出になれば、そんな思いも払拭出来るかと思います。」
お父さまは静かにそう言った。
「妻が亡くなって引っ越してから、一度もこの家には足を運ばなかったんですが……。久しぶりにこの家に家族以外がいるのを見ましたが、とても明るい気持ちになれました。やはり家は、人が住んだほうがいいですね。」
「俺も、住んでくれて嬉しい。
今、凄く楽しい。」
「本当?そう言ってもらえて嬉しいわ。」
私は嬉しくなってそう答えた。
────────────────────
最年少ヒーローと、最年長ヒーローが、初めて対峙。初っ端からバチバチのアルベルトと、それをいなすレオンハルト笑
少しでも面白いと思ったら、エピソードごとのイイネ、または応援するを押していただけたら幸いです。
ランキングには反映しませんが、作者のモチベーションが上がります。