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第44話 レオンハルトさまとの再会

「お久しぶりです。レオンハルトさまも、こちらでお昼ごはんですか?」

「ああ、1人分を作るのが億劫な時は、よく利用させてもらっているよ。」


 ラフにゆったりとしたシャツを着こなしたレオンハルトさまは、相変わらず退廃的な色気と、男性的な香りを放っていた。今日は外出の予定がないのか、まだヒゲを剃っていないみたいね。相変わらず不精なのね。


 見てはいけないものを見ている気持ちにさせられるのも、相変わらずだ。

 私のような、夫しか男性を知らない女性には、いささか刺激が強い気がする。


 どうにも落ち着かない気持ちにさせられるのは、彼がイザークよりも年上で、私をお嬢ちゃんとからかってくるから、というだけではないような気がするのよね。


 お昼ごはんの時間にはまだ早いのか、店の中にはレオンハルトさまお1人しかいなかった。店員さんもカウンターの奥に料理人が1人いるだけの、静かな店だった。


 魔石の粉末入りの絵の具を売る画材店のある店だからか、壁にいくつもの、招待状の入った封筒くらいの大きさの小さな絵が、額縁に納められて飾られている。


 これもお試し絵画教室の生徒さんたちの作品かしら?だいぶ拙い気がするわ。

 でもそれがなんだかいい味になって、この店の雰囲気をほっこりしたものにしていた。


 これが平民の店というものなのね。テーブルが並んでいないお店は初めて見るわ。平民の間にだけあるマナーはあるかしら?これからはこういう所にも慣れていかなくてはね。


「あの、お隣……よろしいですか?」

「ああ、もちろん。どうぞ。」

 レオンハルトさまの隣に腰掛ける。


 かなり狭い店で、カウンターが正面に4つと、左の角の奥に2つの、合計6つしかなかったからだ。声をかけてくれた知り合いと、わざわざ離れて座るのもおかしな気がしたので、隣にお邪魔させていただくことにした。


 こんな小さな村じゃ、そこまで大きなお店をやっても、人が来ないからかも知れないわね。一度にたくさんお客が入れないけど、今も私とレオンハルトさまの2人だけだし。


 ただでさえ狭い店で、この距離感でレオンハルトさまの横に座るのは、正直落ち着かなかったけれど、仕方がないというものだ。

 私は石板に書かれたメニュー表を眺めた。


「なんにする?昼は日替わりでランチがあるぞ。俺が今食べてるやつだ。うまいぞ。」

「では、それにします。」

 私は日替わりランチを注文した。


「私、今日からこの村に住むことになったんです。でも慌てて家を出て来たので、食器や調理器具などがなくて、料理が出来なくて。

 お昼はここで、夜は工房長のところに、お邪魔させていただくことになりました。」


「──工房長?ああ、絵の具工房のおやっさんか。ずいぶん面倒見がいいんだな。」

 レオンハルトさまは、既に来ていた料理を食べながら、こちらを向かずにそう言った。


「工房長には色々とお世話になってます。

 ……私が絵を描くきっかけになったのも、工房長なんですよ。あの方が魔石入りの絵の具を私に貸して下さって。それで。」


「はいよ、日替わりランチ、おまちどう。」

「ありがとうございます。」

 カウンター越しにプレートに乗せた日替わりランチを差し出されて受け取った。


 こんな風に、お客が直接料理を受け取る仕組みなのね。面白いわ。お店の狭さをお客に協力させることで解決しているのね。狭さを活かした平民の知恵に感心させられる。


 日替わりランチプレートは、鶏肉のソテーに、油で炒めてから、荒く潰したトマトを入れて煮たような野菜の煮物、それとデザートにイチゴが乗せられていた。


「……美味しいわ。」

 皮がパリパリしたソテーが美味しいし、野菜のトマト煮もはっきりした味で美味しかった。この店は当たりね!


 お値段もかなりお安いし、自炊をする時に面倒だから食べに来るというのも納得だわ。

 これなら今の私でも、気軽に食べに来られるわね。平民の店もなかなかいいものね。


 ランチ以外のお値段はまだわからないけれど、ランチは毎日ここにしようかしら?

 最低でも週に2回は来たいわね。


「へえ。それで、家を出たってのは?」

 食べながらレオンハルトさまが尋ねる。

「あれから無事に、私の描く絵が魔法絵と認められたので、家を出ることにしたんです。」


「そいつはおめでとう。ようやく離婚への第一歩ってところだな。」

 レオンハルトさまがフッと微笑んでくる。


「はい、まだ離婚を宣言しただけで、具体的なことはこれからになりますが、収入のあてもできましたし、見通しは明るいです。」

 私はにっこりと微笑み返した。


「……ですがそれを夫に告げたら、夜に追い出されてしまって。泊まるところがなくて、昨日は工房長の家にお世話になったんです。」


「ずいぶんと乱暴なんだな、あんたの旦那さんは。ちらっと聞いていた以上だな。」

 驚いたように私を見るレオンハルトさま。


「……私も馬鹿だったんです。イザークの性格を考えれば、追い出される可能性もじゅうぶんあったのに。喧嘩腰になってしまって。

 工房長からお借りした絵の具を、夫が売ってしまったんです。それでカッとなって。」


「売り言葉に買い言葉ってやつか。」

「そうかも知れませんね。今までずっと我慢していたので、噴出してしまって……。工房長がいなかったら野宿するところでした。」


「今までよく我慢していたよ。……そんなに自分を責めるな。それまでよくやったと、自分で自分を褒めてやるんだな。」

 優しくそう言ってくれる。涙が出そうだ。


「そうですね……。そうします。」

「そういや、この村で、昨日の夜中に捕物があったらしいな。さっき、木に縛られていた男が、役人に連れて行かれたよ。」


「それ、工房長と、その息子さんとお孫さんが捕まえてくれたんです。私をこの村まで送ってきてくれた御者だったんですけど、……お金をたくさん寄越せって脅されて。」


「ひょっとして、辻馬車を捕まえたのか?」

「はい。」

「辻馬車は許可を取らずにやっている、タチの悪いのも多い。気をつけたほうがいい。」


「そうですね、あんな荒くれ者みたいな人がやっているものだとは知りませんでした。」

「これからは、馬蹄のマークをランタンの下の位置にぶら下げてるのを選ぶといい。」


「なにか違うんですか?」

「商会が運営している辻馬車なんだ。野良辻と違って、そこは安心なのさ。夜に乗るなら間違いなく平民はそこの馬車を選ぶ。」


「そうだったんですね……。

 私、何も知らなくて……。」

「ついこの間まで貴族の奥様だったなら、普通はそうさ。これから覚えていけばいい。」


「そうですね、色々教えていただけますか?

 平民のことは、何もわからなくて……。」

「ああ、ご近所さんのよしみだ、色々アドバイスさせてもらうよ。」


「ありがとうございます。」

「最初のアドバイスだ。そのイチゴを食べてみな。とても甘くて美味しいぜ?」

 レオンハルトさまが優しく微笑む。


「本当ですか?最後に食べようと思っていたんですけど、さっそく食べてみますね。

 ……んっ。すっぱ!?」

 このイチゴ、見た目赤いのに酸っぱいわ!


「え!本当ですか!申し訳ありません!」

 店員さんが慌てたような声で言う。

「おやおや、ハズレだったんだな。

 こっちを食べてみろよ。甘いぞ?」


 そう言って、レオンハルトさまが自分のプレートの上のイチゴを指さした。

「いただいてしまっていいんですか?」

「どうぞ?──ほら。」


 そう言って、イチゴをつまんで差し出してくれるレオンハルトさま。

「……あの、自分で食べられますよ?」

 お店の人の前でこれはだいぶ恥ずかしい。


 お店の人が気を使ってなのか、サッと見ないふりをしだした。……これって、流れ的に食べたほうがいいってことかしら?


「い、いただきます……。」

 レオンハルトさまが差し出してくれたイチゴをひと口齧る。んっ……。あまーい!

「……美味しいです。とっても甘いわ。」


「甘いだろ?──俺のイチゴ。」

 ……言い方!彼の言い方が気になるのは私だけ?レオンハルト様の声で言われると、なんだか特別な感じに聞こえてしまうわ。


「本来ならうちの村で採れたイチゴは、基本全部甘い筈なんだけどな。」

「この村で採れたんですか?」


「ああ、高く売れるから、最近ヨハンの指導で、村全体で共同農場で作ってるんだ。」

「へえ……。凄いんですね。」


「ヨハンがビニール栽培っていうやり方を見つけてきてな。冬でもイチゴが採れる。」

「冬にイチゴが食べられるんですか!?」

「ああ、凄いだろ?」


 そう言って、私の食べかけのイチゴをパクリ。そのまま食べてしまった。

「そ、それ……。」

「ん?ああ、食べかけだったか。すまん。」


「いえ、いいんですけど……。」

 話しながら手に持っていたから、うっかり私が食べたことを忘れて、食べてしまったのね。間接キス……とか考えたら駄目だわ。


「間接キスだな。」

 そう言って、甘く微笑んでくるレオンハルトさま。気にしないようにしてたのに!


 お店の人の前で、こんな話をしているのが恥ずかしい。早く店を出ましょう。私は急いで残りの料理をたいらげたのだった。


「それで?

 魔物の絵は売ることになったのか?」

 レオンハルトさまが、頬杖をついて、ジッと私を見つめてくる。


 レオンハルトさまは、魔物の絵を売ることを反対していたのよね。描かなくても生活出来るようになったことを伝えなくちゃ。


 ……でも、時間を巻き戻す絵のことは、こんな場所で話すべきじゃないかも知れないわ。お店の人だって聞いているもの。どこから大金が手に入ると漏れるかわからないし。


「それはやめることにしました。実は既に2人お客さまがついたんです。ペットを描いて欲しいという依頼で。私の絵は特殊なのでどこまで需要があるかわかりませんが、そちらの方向でお客さまを探していけたらなと。」


「……そうか、それは良かった。」

 本当にホッとしたような表情で、そう言ってくれる。魔物が呼び出せる絵を私が描かなくなったことに対してなのかしら。


 いいえ、私を心配していてくれたのね。

 優しい雰囲気が伝わってくるわ。

「──あ!」

「どうした?」


「私、夫に魔石の粉末入りの絵の具を、売られてしまっていたんでした。新しいものを購入するまで、絵が描けないわ……。」


 どうしよう、時間を巻き戻す絵の代金を受け取るには、商会を作って、商会の銀行口座を作る必要があるけれど、商会の印章すら、今度ヴィリと作りに行く予定だから、振り込まれるのはまだまだ先の話になる。


 アデリナ嬢とヴィリに頼まれて描いた絵の代金は、家賃と生活費に当てることになるから、新しい絵の具の代金なんてとても……。


 そもそもお借りした絵の具だったから、その分の代金だって支払わないといけないというのに。工房長は、私の描いた絵と引き換えに、絵の具をくれるとおっしゃったけど、私はいつかすべてを買い取るつもりでいた。


 魔石の粉末入りの絵の具は、最低でも小金貨5枚。アデリナブルーにいたっては、中金貨3枚もする。それを揃えられる程、私の腕では1枚の絵で稼げる筈もなかった。


 振込さえされてしまえば、当分働かなくても毎月暮らしていかれるけれど。何より絵が描けないとわかると落ち着かない。自由になりたくて、絵を描きたくて、家を出たのに。


 つくづくイザークが憎らしくなる。

 早くヴィリと、私の商会を作らなくちゃ。

 お金が足りなくて、生活が不安だわ。


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