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第43話 新しい生活

 次の日の朝、少し気まずい気持ちのまま、私は朝食のテーブルについたのだけれど、アルベルトは別段至って普通の様子だった。


 あんなに動揺するくらい、恥ずかしいお願いをしてしまったのだわ、と思っていたけれど、私も困惑していたから、彼もあまり気にしないようにしてくれたみたいね。


 朝食はトーストに、目玉焼きに、サラダ、何かのお肉と野菜のたっぷり入ったコンソメスープ、ヨーグルトのかかった果物だった。


「目玉焼きは、ニンニクをオリーブオイルと塩で炒めたもので焼いてある。オリーブオイルをパンにかけて、目玉焼きを乗せて、ニンニクを散らして食べてみて。」


 アルベルトにそう言われて、ちょっと貴族としては下品な食べ方だと言われてしまうけれど、言われた通りにして食べてみた。


「なにこれ、とっても美味しいわ……!」

「そう、良かった。そこにハムとチーズを乗せても美味しい。試してみて。」

 アルベルトが微笑む。


 そのやり方も試してみてみたけど、駄目、たまらないわ。こんな食べ方もあるのね。

 貴族の家じゃ絶対出てこないわ。

 でもこの食べ方、癖になりそう……!


 アツアツの半熟の目玉焼きから、とろりと黄身がこぼれて、ちょっとたらしそうになって焦りながらも、パクパクとたいらげる。


 いつもイザークが食べ終わる時間を気にしながら食べていたから、こんな風にゆっくり朝食を取るなんて実家ぶりかしら。


 確かに凝った料理ではないけれど、アイデアが活かされているし、何より美味しいわ。

 アルベルトは料理もとっても上手なのね。


 私が美味しそうに食べる姿を、みんながニコニコしながら見ているので、ちょっぴり恥ずかしくなる。あまり人が食べる姿をジロジロ見たり、見られたりなんてしないもの。


 でも、これからは、自由に料理も出来るんだもの。これは家でも試してみましょう。

「あの、近くにどこか、女性ものの服を購入出来るお店を知りませんか?」


「女性ものの服、ですか?」

「はい、先日拝見させていただいた家を、正式に借りようと思っているのですが、何も持たずに急に出て来てしまったので……。」


「あまり服をお持ちではないのですね。」

「はい、そうなんです。」

「古着屋でしたらありますよ。仕立てるような店は、町まで行かないとないですね。」


「はい、それで結構です。」

 新品を仕立てるのなんて、お金がかかるものね。それはいずれということにしたいわ。


「──以前母さんがよく、買い物していた店があるだろう。まだ道を覚えているだろう?

 アルベルト、案内してやりなさい。」

 アルベルトのお父さまがそう言った。


「覚えてる。だいじょうぶ。案内する。」

「本当?でも、お仕事があるんじゃ?」

「昨日遅くまで作業してたから、今日は午後からゆっくりの予定。問題ない。」


「わかったわ。そういうことなら、お願いするわね。助かるわ。ありがとうございます。

 息子さんを少しお借りしますね。」


 最後の言葉はアルベルトのお父さまに向けて言うと、こっくりと無愛想にうなずいた。

 あまり表情のない方だけど、工房長やアルベルト同様、優しい方なのでしょうね。


「特に契約書みたいなものは作っていませんから、月末になったら来月の家賃を取りに伺います。今月分はお持ちですか?」


「……そういえば、おいくらですか?今、あまり手持ちの現金がなくて。絵の代金がもうすぐ支払われる予定なのですが。」


「こんな場所ですが、一応2階建ての一軒家ですからね。月に小金貨8枚の予定です。」

「それくらいでしたら支払えると思います。絵の代金が入るまで待っていただければ。」


 家賃の相場がわからないけれど、2階建ての一軒家が月小金貨8枚は、私の想定よりもかなり安い金額だった。月に中金貨2枚は必要だと考えていたのに。


 これなら無理なく支払うことが出来る。

 1階にアトリエがあって、裏庭にガゼボまである家なんてそうそうないから、たとえそれでも借りるつもりでいたけれど。


「アンとヨハンのご友人ですし、何より私がお願いして絵を描いていただいている方ですからね。問題ありませんよ。代金は月末にまとめていただきますから、今日からでも住んでいただいて構いません。」


「本当ですか!?ありがとうございます!

 お金は入り次第支払いますので。

 あ……。」


 私はそこで、工房長にお借りしていた絵の具を、イザークにすべて売られてしまったのだ、ということを思い出した。


「……申し訳ありません。夫は絵を描くことに反対だったのですが、私が内緒で工房長から新しく絵の具をお借りしたことに気がついて、私への嫌がらせの為にすべて売られてしまったんです。せっかくの絵の具を……。」


 それを聞いたアルベルトがピクリとする。

「ご主人が?そうだったのですか。余計なことをしてしまったようで申し訳ない。」


「いえ。元々離婚の準備に動いていたのですが、それがきっかけで、昨日離婚を宣言して家を飛び出て来たのです。……夫に家を追い出されたというのもありますが。」


「そうだったのですか……それは大変でしたね。家はいつでも住めるように掃除などは常にしていますから、服を購入したらそのまま家に向かって下さい。鍵をお預けします。」


 工房長は立ち上がると、後ろの小さな引き出しから鍵を取り出して、私に手渡してくれた。持ち手の部分にクローバーの飾り彫りのついた、黒い小さな可愛らしい鍵だった。


 私はその鍵をギュッと握りしめる。ここから私の新しい生活が始まるんだわ……!

 私は胸にこみ上げる、なぜだか泣きそうになる気持ちをグッとこらえて微笑んだ。


 朝ご飯を食べ終えて、アルベルトの案内で古着屋さんに向かうことになった。

「デートに行くなら、もう少しマシな服を着て行きなさい。女性に失礼だろう。」


 アルベルトのお父さまが、突然アルベルトにそんなことを言い出した。

 アルベルトが真っ赤になってしまう。


「そ、そんな!デートだなんて!

 ちょっと私の日用品の買い物に付き合っていただくだけですから!

 息子さんも困ってらっしゃいますよ。」


「俺が初めて母さんとデートしたのは、その古着屋だ。お前は覚えているだろう?

 母さんに服をプレゼントしたんだ。俺の稼ぎで買えるものなんて知れていたからな。」


 お父さまは、そう、アルベルトに言った。

 アルベルトはコックリとうなずいて、

「覚えてる。」

 と言った。


「結婚してからも時々買ってもらってると言ってた。母さんの大好きな店だって。

 服を買う時は父さんに選んでもらうんだって言って、自分じゃ一度も買わなかった。」


「将来そこに、嫁になる女を連れて行くんだって言ってただろう。村のどんな女に服を見立ててくれっていわれても頑なに断ってたお前が、いくら俺に頼まれたとは言え、連れて行くってのは、そういうことなんだろう?」


「ええっ!?ち、違うと思いますよ!?」

 私は驚いて否定した。

「……違わない。行こう。」


 恥ずかしそうにうつむきながら、私の手首を優しく掴んだアルベルトが、そう言って私についてくるよう、うながした。

 ……違わないって……。どういうこと?


 困惑したまま、アルベルトの案内で古着屋さんへとやってくる。

「俺も選ぶ。あなたも選んで。」

「あ、ええ。」


 ああ、自分の分を買いに来たのね。そのついでに私を連れて来てくれたということね。

 ……ああ、驚いたわ。

 勘違いするとこだったじゃない……。


「これ。作業しやすいと思う。」

 アルベルトが1枚のワンピースを差し出してくる。かぶるタイプのワンピースだ。


 レモンイエローのふんわりと末広がりのワンピースで、ノースリーブだから確かに絵を描く時に邪魔にならない。肌寒い時に羽織る用なのか、灰色の薄手のカーディガンがセットになっている。可愛らしい組み合わせね。


「あそこで試せる。」

 試着室があるのね。私はアルベルトが手渡してくれたワンピースとカーディガンに袖を通してみることにした。


 うん、サイズぴったりで動きやすいわ。

 これ、よく見ると小花の刺繍がなされているのね、男の人が選んでくれたとは思えないくらい、可愛らしいデザインね。


「これ、いいですね。気に入りました。」

「そう。着ていく?」

「ええ、このまま着ていこうかと。」

「わかった。じゃあこれをください。」


「アルベルトが、ついに女の人に服を買う日がきたのねえ。感慨深いわあ。」

 店員さんが頬に手を当てながら、うっとりと目を細めている。


「えっ?これは自分で……。」

「いい、プレゼントさせて。引っ越し祝い。

 新しい生活に。」


「そ、そうですか?ありがとうございます。

 なんか悪いわ……。」

 私は思わず恐縮してしまう。


 思えば男の人から服をプレゼントされるのなんて初めてじゃないだろうか。パーティに必要な服はイザークが準備していたけれど、あれは仕立て屋さんが選んでいるものだし。


「その……。似合ってる。」

 恥ずかしそうに目線を反らしながら、アルベルトが褒めてくれる。

「あ、ありがとう……。」


 私も思わず恥ずかしくなってくる。

 将来のお嫁さんにする人に服を買う為に、今まで一度も誰にも服を選んであげなかったというアルベルト。その言葉を思い出す。


 冗談……よね?私がまだ結婚していることだって、さっき知っただろうし、何より私はアルベルトの苦手な年上なんだもの。


 他にも複数洋服を選んで購入する。アルベルトのお母さまがお気に入りなだけあって、可愛らしい平民服がたくさん揃っていた。


「洋服ダンスを買おう。」

「確かに必要ね……。」

 これだけの服を、直接並べて置く、というわけにもいかない。


「町に納品している大工がいる。洋服ダンスのひとつくらいなら、わけてくれる筈。」

 そう言って、いったん購入した服を店に預けたまま、今度は大工さんのところへ行く。


「よう、アルベルト、珍しいな、お前が女連れとか。今日はどうしたんだ?」

「この人、新しい村人。さっき服を購入したから、洋服ダンスが欲しい。」


「そうか!納入予定で作ってた洋服ダンスがあるんだが、まだ納期も先だし、ひとつわけてやるよ。引っ越し祝いだ、持ってきな。」


「わ、悪いですよ……。」

「いいさいいさ、これからお仲間になるんだから。お互い助け合っていこうぜ。」

「あ、ありがとうございます……。」


 無事洋服ダンスを手に入れて、アルベルトがそれを家に運んでくれた。私が鍵を開けて扉を開くと、アルベルトが2階の居住スペースまで、洋服ダンスを運んでくれた。


 それから古着屋さんに戻って、預けてあった洋服を取りに行くと、洋服を持って家に戻り、洋服ダンスの中へとしまった。


「生活に必要なこまごまとしたものや、食器なんかは、この村にはないから、明日町に買いに行こう。俺、明日休みだから。」


「ありがとう、何から何まで悪いわね。」

「せっかくのご近所さん。仲良くやろう。」

 アルベルトが微笑んでくれる。ありがたい話だわ。こんな優しいご近所さんばかりで。


 素材はもらえても、調理器具がないから、というわけで、その日の夕ご飯も、アルベルトの家で食べさせてもらえることになった。

 しかもそのまま泊まらせてくれることに。


 アンの家にでも寄ろうと思っていたのだけれど、よく考えたら新婚さんのお邪魔をするのは、よくなかったわね。


 お昼ご飯はみんな仕事に出ているから、ということで、村の入口の食堂に行くよう、案内を受けた。料理の支度が面倒な時や、たまの外食に、よく使っているらしい。


 アルベルトも仕事に行ったので、私は家に鍵をかけて、1人、村の入口まで歩いて行った。この村には何度も来たけれど、食堂に入るのは初めてだわ。


 ロイエンタール伯爵家の御者も、確か美味しかったと言っていた筈だ。

 ドアノブを回してお店の扉を開けると、

「おや、久しぶりだな。」


 そこには1人で昼食を食べている、レオンハルトさまの姿があった。そうか、彼もこの村で一人暮らしをしていたんだったわね。


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