御者の男は、アルベルトに掴まれた肩を無理やり引っ張られて、地面に仰向けに転がった。どこかを打ち付けたのか悲鳴を上げる。
「……おねえさん?この間の、人?」
アルベルトが、月明かりの下で私の顔を確認しながら、そう首をかしげる。
「ええ、この間、家を借りたくて、あなたに案内をお願いした者よ。ありがとう、助けてくれて。助かったわ。襲われていたの。」
「そう、やっぱり。」
「くそっ!なにしやがる!背ばっかりヒョロヒョロ高いだけのクセしやがって、俺に勝てるとでも思ってんのか!!」
立ち上がった御者の男は、アルベルトに向かっていきなり殴りかかった。その拳を真正面から手のひらで受け止めて、握りつぶすように力を込めるアルベルト。
「うああああっ!なにしやがる!いてて!」
「職人はみんな力が強い。騎士でもない限り負けない。なめてもいいけど、お前は勝てない。相手がお前なら、俺が勝つ。」
「ぐああっ!?」
アルベルトが力を込めて握っていた御者の男の手を、グリッと変な方向に捻った。
思わず悲鳴を上げる御者の男。
「は……はなしやがれ……!」
「駄目。この人を襲った。お前は役人に突き出す。おねえさん、俺の家、工房の裏。じいちゃんと父さんを呼んで来て。家にいる。」
「でも、このままこの男と、あなたを2人きりにするのは危険だわ……!」
「だいじょうぶ、負けない。」
フッと笑うアルベルト。
御者の男の体をクルリと回転させると、首の下に左腕を差し込んでグッとしめつつ、右手で御者の右手首を背中に回して固定した。
「ほら、これで動けない。」
「凄いわ……。あなた、意外と強いのね。」
「アデリナブルーのおかげで、儲けてると思われてる。たまにこういうのが来る。」
「それで慣れているというわけね。わかったわ、今すぐご家族を呼んでくるから。
そのまま油断しないで待っていて。」
「わかった。お願い。」
私は服を直して立ち上がると、月明かりと星明かりだけを頼りに、道を早足で歩いて、絵の具工房を探した。
絵の具工房の前の画材専門店兼アトリエの明かりは消えていたけれど、その裏手にある工房らしき場所には、まだ明かりがついていた。作業している職人さんがいるのかしら。
裏手の家……。目を凝らして家を探す。
するとどうやら、境目がわからないので、工房と自宅がつながっているようだった。
自宅のほうの明かりは消えている。
私は自宅の玄関の扉をドンドンと叩いた。
「──すみません!乱暴を働く人が出て、アルベルトがその人を捕まえました!役人に突き出すのに、手を貸してください!」
すると、ゆっくりと扉が開き、中から手にランプを持った工房長と、よく似た中年の男性が現れた。この人がおそらくお父さまね。
「アルベルトが?」
「はい、自宅にお祖父さまとお父さまを、呼びに行って欲しいと頼まれました。今、村の入口で暴漢を羽交い締めにしています!」
「わかった、今すぐ行こう。ランプをもう1つ持って来い。それとロープだ。」
工房長にそう言われたアルベルトのお父さまがいったん家の奥に引っ込んだ。
「あなたはここにいたほうがいい。」
「いえ、私も行きます。アルベルトは私を助けてくれたので、心配なんです。」
「わかった。離れたところにいて下さい。」
アルベルトのお父さまは、戻って来た時には手にランプと縄を持っていた。私は工房長とアルベルトのお父さまと一緒に村の道を、ランプの明かりを頼りに小走りに走った。
また雲が月明かりを消して姿が見えない。
「アルベルト!」
「おじいちゃん!ここ。」
暗闇の中からアルベルトの声がする。
工房長がランプを近づけると、首をきめられて苦しそうにもがく御者の男と、その後ろで羽交い締めにしているアルベルトが、ランプの明かりに浮かび上がって来た。
「アルベルト、もう少し耐えてくれ。今ロープで縛ってやるから。ロープを貸してくれ。お前はアルベルトを手伝って、男を縛りやすく出来るよう、体をおさえていてくれ。」
アルベルトのお父さまも、細身なのにアルベルト同様かなり力が強いらしく、2人がかりでおさえつけられた御者の男は、工房長にロープでグルグル巻きにされ、後ろ手にロープで縛られて、木にくくりつけられていた。
「明日役人を呼びに行こう。今日はここに置いておく他ないな。ごくろうさん、アルベルト。それにしても何があったんだ。」
「じいちゃん、この人、こないだ家を見に来たお客さん。こいつに襲われてた。だから捕まえた。たまたま通りかかって良かった。」
「本当に助かったけど、どうしてあなたも、こんな時間にこんな場所を歩いていたの?」
私は正直それが不思議だった。自宅からも遠いのに、明かりもないのに、どうして?
「この時間にしか手に入らない素材がある。
まだ工房で作業してた。だからそれを取りに来た。そうしたら見つけた。」
そういえば、工房のほうは明かりがついていたわね。帰る時の目印に明かりをつけたまま、作業途中に素材を取りに来たということかしら。職人さんも大変ね。
「今日はうちに泊まるといい。あの家もあいてるけど、こんなことがあって1人は心配。
それに怖くて寝られない、きっと。」
「ええ?でも、申し訳ないわ……。」
「そうしなさい。うちは男ばかりだが、家族が他にもいる中で、おかしなことをしようと考える奴はいない。部屋もあいているし。」
工房長もそう言ってくれた。
確かに、ガゼボを借りて休むつもりでいたけれど、こんなことがあったんじゃ、1人じゃ怖くて眠れそうもないわ……。
私はお言葉に甘えることにして、工房長の自宅にお邪魔することにした。
「お風呂、まだ温かい?入って寝る。」
アルベルトが工房長に声をかける。
「こら、お客さまを先にしなさい。
お風呂がまだ温かいから、入って下さい。
着替えは用意しておきますので。」
「いえ、私はお孫さんの次で結構です。
少し気持ちを落ち着かせたいですし。」
私は両手のひらを見せて断った。
「そうですか?では、暖炉に薪をくべて差し上げましょう。うちはあまり日が差し込まないので地面が温まらないせいか、夜は少し冷えますからな。湯冷めするといけない。」
「ありがとうございます。」
「部屋、案内する。」
アルベルトがそう言って、先に立って歩いて行く。私はそのあとをついて行った。
「ここ。お弟子さんの部屋。今はいないから使って。着替え、持ってくる。」
「ありがとう。何から何までごめんなさい。
朝には出て行くから……。」
「気にしないで。朝ご飯も食べて行って。俺が作るから。たいしたものじゃないけど。」
「あなたが料理をするの?」
「じいちゃんたちと交代で作ってる。
明日は俺の番。だいぶ慣れた。」
「へえ……。」
お母さまがいらっしゃらないから、男性陣で交代で料理をしているのね。
「──アルベルト。」
部屋を出て行こうとしたアルベルトが、振り返って片目だけを扉の端からのぞかせる。
「え?」
「俺の名前。」
「ああ、ええ、知っているわ。
私が呼んでも構わないの?」
年上の女性には全員緊張すると言っていたから、遠慮していたつもりだったけれど。
「構わない。村の人みんなそう呼ぶ。」
「そう、わかったわ、アルベルト。」
そう言うと、アルベルトはそのまま出ていき、着替えを持って戻って来てくれた。
「先、風呂、入る。終わったら呼びに来る。
トイレはそこを出て左。」
「ありがとう。待っているわね。」
待っている間に、工房長が部屋を尋ねて来て、部屋の暖炉に薪をくべて火をつけてくれた。温かな薪の熱と、やわらかく揺れる明かりが、動揺した心を落ち着かせてくれる。
暖炉に手のひらを近付けて温まった。外で冷えたからか、急に現実に戻ったような気がしたからか、トイレに行きたくなって来た。
外に出て左に曲がりトイレを目指す。
すると、湯上がりで髪の毛を拭きながら、こちらに向かって歩いてくるアルベルトと遭遇した。パジャマ姿のアルベルトは、体の線がハッキリとわかって、意外とたくましい。
あれだけ筋肉があるなら、1人で御者の男を取り押さえられたのも納得ね、と内心思っていた。濡れ髪と、伏せがちなまつ毛がセクシーで、なんだか少しドキッとしてしまう。
年下だってことだけは知っているけれど、アルベルトはいくつくらいなのかしら?すっかり大人の男性に見えるわ。可愛らしい子だと思っていたけれど、こうして見ているとそんな風には思えない。妙に意識してしまう。
大きな手に長い指が素敵だ。素足の足首がキュッとしまっていて、そこから見える大人の男性の足元。足の甲が明らかに女性のそれとは違っていて、たくましさを感じた。
それでいて、明らかに若いとわかるなめらかな肌。ひょっとしたら、私よりも肌がキレイかも知れないわ。若いって凄いわね。透明感のある白い肌に目が惹きつけられる。
濡れ髪をタオルで拭いていたせいで、いつもは長い前髪に隠れている目元もはっきりと見えていて、びっしりと縁取られた黒いまつ毛が、切れ長の目元を強調していた。
少し三白眼気味なのだということも、この時初めて知った。どうして普段は目元を隠しているのかしら?やっぱり恥ずかしいから?
人の目を見ないようにする為かしらね。
「お風呂、入る?」
「あ、ううん、トイレに行こうと思って。」
「もう、あいたよ。トイレの隣。」
「そう、ならそのまま入らせてもらうわ。」
私はトイレを済ませて、隣の扉を開けた。
狭いながらも脱衣場があって、脱いだ服を置いておける場所がある。私は服を脱ごうとして、1人で脱げない服を着ていたことを思い出した。背中の紐がはずせないわ……。
──コンコン。
お風呂場の扉がノックされて、思わずドキッとする。俺、とアルベルトの声がする。
「バスタオルとタオル。持って来た。」
「あ、ありがとう……。」
そうだわ。
「ごめんなさい、お願いしたいことがあるのだけれど……、いいかしら?」
「何?」
「その……。1人では脱げない服を着ていたことを思い出したの。恥ずかしいんだけど、背中の紐を、ほどいてもらえないかしら……。はずしてもらえれば、あとは出来るから。」
「え?あ、その……。」
「やっぱり無理よね、ごめんなさい。
お祖父さまを呼んで来てもらえる?」
年上の女性にすべからく緊張するというアルベルトだ。女性の服を、途中までとはいえ脱がすなんてこと、やっぱり無理そうね。
「だいじょうぶ。じいちゃんも父さんももう寝た。俺がやる。あけてもいい?」
「え、ええ……。」
お風呂場のドアが、それこそゆーっくりと開かれて、うつむいたアルベルトが現れる。
「背中、向けて。」
「ええ、お願いね。」
アルベルトの大きな手の熱が、洋服越しに背中に伝わってくる気がする。丁寧に、壊れ物を扱うように、背中のひもをほどいてくれる。一瞬、アルベルトの手が背中に触れて、思わずビクッとしてしまった。
それに反応して、アルベルトまでもビクッとしたのが、後ろを向いたままでも、アルベルトの動きでわかった。
組み合わさった紐がすべてとかれると、
「こ、これでいい……?」
振り返ると、顔を半分左手で隠しながら、真っ赤になっているアルベルトがいた。
スカートの下にはまだブラウスを着ているから、私の肌が見えているわけではないけれど、それでもやっぱり恥ずかしいみたいね。
こっちまで恥ずかしくなってくるわ。
「え、ええ。ありがとう、助かったわ。」
「これ、バスタオルと、タオル。」
顔を左手で隠したまま、右手でバスタオルとタオルを差し出してくれるアルベルト。
「ありがとう。」
「お湯は明日水撒きに使うから、そのままにしてくれていていいから。」
「わかったわ。」
お風呂場の扉が閉められて、アルベルトが去って行く足音がする。私はとても大胆なことを頼んでしまった気がして、思わず床にしゃがみこんで、両手で顔を覆ったのだった。
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