「急に妙なことを申し上げましたね。
申し訳ありません。」
「あ、いえ……。」
「……実は最近、結婚を考えるようになりまして。それでついつい、そういうことを想像してしまいまして。お恥ずかしい。」
「そうなのですね。」
「……夫婦になるからには、よい夫、よい妻であることも大切ですが、──よい父、よい母であることは、もっと大切だと考えているものですから……。」
「とても素晴らしいお考えだと思いますわ。
私もそれはとても大切なことだと思っているのです。実家はあまりそうとは言い難い家でしたので、次に結婚をする際は、実家とは違う家庭を築きたいと考えているのです。」
「……僕の家もです。父は商人としては大変優秀な人ですし、尊敬もしているのですが、よい夫、よい父かと言うと違います。僕は父のような父親にはなりたくないのです。」
「……私たち、似ているかも知れませんね。」
「ええ。そのようです。」
ヴィリと私は思わず微笑みあった。意外な共通点だわ。私たち、気が合うかも。
「ああ、絵をお願いしていたのでしたね。
ローゼマリーは、あまりじっとしていない子なので、僕が膝に乗せている必要がありますが、それでよろしいでしょうか?」
「抱いていなくても問題ないのですか?」
「僕がそばにいればだいじょうぶです。離れているとすぐにやって来てしまうので、そばにいるか膝の上に乗せるのが1番じっとしているかと。まあ、そこが可愛いんですが。」
「わかりますわ。」
離れていたらすぐに寄って来てくれるペットだなんて、それはもう可愛くて仕方がないでしょうね。羨ましいくらいだわ。
「では僕の膝の上ということで。」
ヴィリが椅子を運んで来て、そこに腰掛けると、ローゼマリーを膝の上に置いた。私はその向かいのソファーをすすめられた。
ローゼマリーは一瞬ヴィリのほうを見上げたが、ヴィリが微笑みかけて背中を撫でてやると、すぐに大人しく膝の上に座り直した。
だいじょうぶそうね。
「問題なさそうですね。」
「はい、よろしくお願いします。」
私はヴィリに借りた画材を使って、ローゼマリーの絵を描き出した。
「……なんだか、僕がモデルになったような気になりますね。ロイエンタール伯爵夫人に、じっと見つめられているような気持ちになります。ちょっと落ち着かないですね。」
恥ずかしそうにヴィリが微笑んだ。
「確かに、そうですわね。」
私も釣られて微笑む。時折ローゼマリーを優しく撫でる、ヴィリの大きな手のひら。
それだけでも、ヴィリが優しい人だとわかるわ。ローゼマリーをとても大切に思っていることが、伝わってくるかのようね。
「せっかくですから、このままおしゃべりしませんか?──あ、絵を描くお邪魔じゃなければ、ですが。なんだか手持ち無沙汰で。」
「もちろん構いませんわ。」
モデルはひたすら無言で、じっとしていなくてはならないものね。もちろんヴィリにモデルを頼んだわけではないけれど、ローゼマリーの為に座ったままじっとしていなくてはならないことに、代わりはないものね。
「……ロイエンタール伯爵夫人の子どもの頃は、どんなお子さんだったんですか?」
「私の子どもの頃、ですか?特に取り立てて語ることのない子ども時代でしたわ。」
「もしもそうだとしても、ぜひ知りたいのです。どんなことがお好きだったのですか?」
「そうですね……。父は花嫁修業以外を許してくれない人でしたから……。」
「貴族令嬢は、そういう方が多いと聞きますね。特に家の為の結婚を望まれていると。」
「ええ。だから刺繍をしたり、本を呼んだりですとか、そのくらいです。」
「外に遊びに行ったりは?」
「自然が好きでしたので、親戚の家に遊びに行くのは好きでした。我が家は貧乏子爵家でしたので、別荘なんてものはなくて。」
「自然の多い場所に、親戚の方がお住まいだったんですね。それは素敵ですね。」
「ええ、花遊びも、その時親戚に教わったのです。まだ覚えているとは思いませんでしたわ。とても楽しかったのを覚えています。」
「女の子らしいお嬢さんだったんですね。」
「ヴィリのことも聞かせてください。ヴィリの子ども時代はどうだったんですか?」
「僕ですか?僕はそこいらへんを走り回っては、すぐに怪我するような子どもでしたよ。
後継者教育が始まってからは、そういったことは一切出来なくなりましたけどね。」
「絵は描いていなかったんですか?」
「父の弟が描いていたんです。そこで初めて見て、のめり込みました。父は家庭教師をつけてくれなかったので、叔父にならっていましたね。叔父が僕の師匠なんです。」
「よく、絵を描くことを許してくださいましたね?後継者教育まで受けていたのに。」
他に御兄弟でもいらしたのかしら?
「実は許してもらえていないんです。だからパトロンがついたのをいいことに、家出して来た感じですね。叔父に迷惑はかけられなかったので、自立出来るまで待ちました。」
「まあ……。そうだったのですか。」
聞けば聞くほど、ヴィリは私に似ていると思わざるをえなかった。家に縛られる存在。
目的の為に自立したくて戦った過去。
後継者の立場から逃げて絵描きとして絵を描く為と、夫から逃げて他の家庭を持ちたいという違いが、そこにあるというだけだ。
私はヴィリに同士のような、妙な親近感がわいてくるのを感じていた。
ずっと以前から友人だったかのような、そんな気持ちにすらなっていたのだった。
夫婦生活における価値観も似ている。ヴィリとは今後、そういう関係にならなかったとしても、この先良き相談相手になってもらえそうな、そんな予感がしたのだった。
ローゼマリーの絵を描き終わると、ヴィリにさっそく絵を見せた。ヴィリはローゼマリーの絵をいたく気に入ってくれた。
「夫人にお願いして良かったです。」
「それは何よりですわ。乾いたら、呼び出す時は左から右へ、戻す時は右から左へ、絵を撫でていただければ絵から出てきます。」
「わかりました、ありがとうございます。これでどこでも一緒だね、ローゼマリー。」
ヴィリは幸せそうにローゼマリーを撫でてやった。ローゼマリーも甘えている。
「そういえば、言い忘れていた、大切な結婚の条件がもうひとつありました。」
「はい?」
結婚の条件?そんな話していたかしら。
「ローゼマリーです。僕は彼女をとても愛しているので、ローゼマリーと一緒に暮らせないお相手は難しいですね。彼女を人にあげたり、1人で置いていく気はないので。」
「ローゼマリーちゃんは可愛いですし、とても人懐っこいですから、大抵の方がだいじょうぶなのでは?」
「動物が苦手な方もいますから。ということは、ロイエンタール伯爵夫人は、ローゼマリーと一緒に暮らしても問題ないんですね。」
「こんな可愛らしい子なら、将来結婚したら飼ってみたいとは思いますね。お相手がペットがだいじょうぶなら、ですけれど。」
「ローゼマリーと暮らすのはどうですか?」
「ええ、それはもちろん。
ローゼマリーちゃんなら大歓迎ですね。」
「そうですか!それは良かった!」
ヴィリは破顔しながら嬉しそうに言った。
本当にローゼマリーを愛しているのね。好きなペットを褒められたら嬉しいものね。
「そろそろ戻らないと、ロイエンタール伯爵家の御者に訝しがられますわね。」
「もうそんな時間ですか。残念ですが今日はここまでですね。またお会いしましょう。」
私とヴィリは、また機会を見つけて会うことを約束し、アーベレ公爵家の馬車でアーベレ公爵家へといったん戻り、ロイエンタール伯爵家の馬車で自宅へと戻ったのだった。
自宅に戻ると、私は、疲れたでしょう、お風呂を用意してあります、という若いメイドの言葉に従って、外出着の着替えを手伝ってもらい、まずはお風呂に入ることにした。
確かに今日はあちこち馬車で移動して疲れたものね。結局使わなかった自分の絵の具を洋服ダンスに戻して、メイドに手伝ってもらいながらお風呂に入った。
なぜか、私を風呂に呼びに来た若いメイドではなく、別のメイドが手伝ってくれたことに、一瞬疑問符を浮かべたが、他の仕事を言いつけられるのはよくあることだ。
馬車に乗るというのは本当に疲れるわ。地面が石畳でも、土がむき出しでも、ガタガタと揺れてお尻と腰が痛くなるのよ。それを背筋を伸ばして、なんてことないすました顔をして、座っていなくてはならないのだから。
風呂から上がり着替えを済ませ、夕食の準備を待っていると、家令が私を呼びに来た。
イザークが既に戻っていて、私を呼んでいるのだと言う。私は思わずドキッとする。
1人でヴィリの家に行ったことが、知られてしまったのかしら。独身男性の家に1人で行くことはあまり褒められたことではないけれど……。仕事だったのだから仕方がない。
そう思っていたけれど、まるで違った。
イザークはなぜだか上機嫌だったのだ。
なんだろう?と私は思った。だけどイザークの口から出た言葉は、私を酷く驚かせた。
「君は私に嘘をついたな。」
イザークは、私が執務室内に入るなり、そう言った。私はヴィリの件だと思っていたから、まだ平然とした表情をしていた。
「嘘、とは……。」
そもそもイザークに、アーベレ公爵家に行くことも、ヴィリの家に行くことも伝えていないのだから、嘘にはあたらない筈だけど。
「だが私は寛大だ。この先二度とこのようなことが起きないようにするにはどうすればよいか考えた。君は社交にも積極的になったようだ。アーベレ公爵家に行ったそうだな。」
「はい……。本日アデリナ嬢よりご招待を受けて、アーベレ公爵家に行って参りました。
お茶会をして絵を描いてきました。」
それを聞いたイザークがうんうんと頷く。
「──これを君にやろう。」
宝石を入れる用の小箱を引き出しから取り出すと、それを私に差し出して来た。
「あけてみるがいい。」
「はあ……、ありがとうございます……?」
宝石箱を開けてみると、中には巨大な真っ赤な石のついたペンダントが入っていた。
なぜ急に宝石なの?パーティーに参加する時用の伯爵夫人用の宝石類は、イザークが鍵を持っている場所に厳重に保管されている。
義母は自分だけの宝石を持っているけど、私は自分だけの宝石を持っていない。
あくまでもロイエンタール伯爵家のものを借りているというだけ。だからということ?
「私だけの宝石、ということでしょうか?」
「そうだ。積極的に社交をするようになったようだからな。これからはもっと必要になるだろう。いくらでも買って構わない。」
イザークはなぜか終始上機嫌だった。アーベレ公爵家に行ったことがそんなにも嬉しかったのだろうか。帰宅してから知った筈なのに宝石まで?なぜここまで上機嫌なの?
「──だから絵はもう描かなくていい。」
「……はい?」
私は嫌な予感に足首から血の気が引いた。
「……私は絵の具は今回購入するもので最後にしろと言った。だが君はまた新しい絵の具を買ったな?メイドが報告してきたぞ。」
呆れたようにイザークが言った。
──あの子だわ!無理やり馬車に乗り込もうとして来た、イザークを狙っている若いメイド。疲れているでしょうと私を風呂に誘ったあの子が、私の弱点を探っていたんだわ!
以前ラリサが私の部屋をあさって絵の具を盗んで以来、そういうことをしたらロイエンタール伯爵家を追い出されるどころか、高価な絵の具だから捕まるとみんなが知った筈。
だけどあの子はイザークに報告するという方法を選んだ。そうすれば盗み目的ではなくなり、主人に忠実な従者が、隠し事をしている女主人の秘密を報告するという、従者として重要な仕事をしたという結果に変わる。
私は絵を描き始める以前から、アンの近況を知る為に、以前よりも積極的に、アンの夫である出入り商人のヨハンが来るたび、家令に呼びに来て貰って、話をしに行っていた。
そういう事情があったから、絵を描き始めてからは、ヨハンを通じてやり取りするのが最もバレにくいだろうと、画材の購入をヨハンを通じてお願いすることにしている。
そもそもヨハンとやたら会話をしている私を怪しんだのか、それとも私に秘密があるとすれば、──そこだと思ったのか。
ヨハンとのやり取りは、常に私とヨハンの2人きりだった筈だけれど、気をつけていた筈なのに、彼女が私をどこかで盗み見て、ヨハンとの会話を聞いていたのかも知れない。
会話を聞いていれば、私がヨハンに新しい絵の具を頼んでいたことはすぐにわかる。
その証拠を、私が入浴中でいない隙に、部屋に忍び込んで探し出したのだ。
だから入浴の世話が、あの子じゃなかったのだ。おそらく昼間にも私の部屋を探っていて、絵の具がないことに気が付いて、私が帰宅するのを待っていたのだろう。
入浴中まで絵の具を持ち歩く筈はないと思って、普段積極的に私の世話をしない癖に、風呂の準備なんかしていたのだ。やられた。
悔しい。なんてことなの……!!
イザークが私に、これ以上新しい絵の具を購入しないよう言ったことは、あの場にいた家令しか知らない筈だけど……。あの子はどうやってそれを知ったのかしら。
話の出どころはわからないけれど、イザークに絵の具の数を増やさないよう言われていた私が、内緒で増やしていたのを探っていたんだわ。そして今日という日に報告した。
「もう、あの絵の具は売った。代わりにその金でこの宝石を購入したんだ。君にこれから必要なのはこちらだからな。」
私は打ちのめされた気持ちになった。
イザークはこの短時間で絵の具を売って、代わりの宝石を用意したのだろうか。それとも、元々宝石は準備していたのだろうか。
……どちらでもいい。どちらが先だったとしても、イザークが絵の具は売ったと言ったからには、本当に売られてしまったのだ。
イザークはやり手の商人だ。
ありとあらゆる商品を買い付け、売ることを生業としている。それでここまでロイエンタール伯爵家の財産を築き上げた人。
使いかけとはいえ、もともと値の張る魔石の粉末入りの絵の具を、割り引かれた金額で購入したい人はいるだろう。私だってそうだもの。安く手に入るなら中古で構わない。
少しでも魔石の粉末入りの絵の具の代金を回収する為に、銀貨3枚で魔法絵を売る人だっているのだ。当然需要があるだろう。
イザークとの約束──私からすれば、理不尽で一方的な命令だけれど──をやぶった私に、思い知らせる為に、わざわざ絵の具を売ったのだ。私が悲しむとわかっていて。
……代わりに宝石ですって?私がそんなもの喜ぶと、あなたは本当に思っているの?
宝石なんていらないわ。
魔石の粉末入りの絵の具は、私にとってなにものにも代えがたいものなのよ。
私の、──私の絵の具を返してよ!!!
「どうだ、嬉しいだろう?絵の具なんかより宝石のほうがいいだろう。今まで君だけのものはプレゼントしてやれなかったからな。」
イザークはドヤ顔で笑ったのだった。
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