「その……、アデリナ嬢はなぜそのように思われるのですか?フィッツェンハーゲン侯爵令息から、なにかそのようなことを……?」
「いいえ?特に彼自身からは、なにも。
だけど、見ていればわかるわ。
──眼差しが違うもの。」
「眼差し?」
「私、自分で言うのもなんだけど、男性から何度も熱い眼差しを向けられてきたの。」
「それはわかります。」
アデリナ嬢は、女性の私で見惚れてしまうくらい、とても素敵な方だもの。男性が見たらひと目で目を奪われるでしょうね。
「だから、男性がひと目で女性に夢中になっている状態は、見ただけでわかるのよ。
フィッツェンハーゲン侯爵令息は、ひと目であなたに夢中だったわ。」
「そう……なんでしょうか?」
なんとなくそうかも知れないとは思っていたけれど、ひと目で夢中とまで言われると、正直実感がわいてこないわ。
「あんな彼は見たことがないもの。今まで長年私と一緒にいても、一度も私に向けたことのない眼差しだったわ。だから私と彼は友人なの。私をそういう目で見ないからね。」
「アデリナ嬢に……ですか?」
にわかには信じがたいわね。
アデリナ嬢を前にして、なんの反応も示さないでいられる男性がいるだなんて。
「ええ。彼は美しいものは好きだけれど、だからと言って、その相手をいちいち特別に愛したりはしない人よ。あくまでも仕事においての興味、好奇心といったところね。」
だからあれだけモテる人なのに、浮いた噂ひとつないのよ、とアデリナ嬢は人差し指を立てて付け加えた。
確かに、少し強引で、言うことは思わせぶりだけれど、家具屋さんに一緒に行った時もそれ以外も、彼はいつも誠実だった気がするわ。数々の女性と浮名を流していそうに見えたのは、あくまでも見た目だけということ?
顎に拳を当てて思案する私に、
「気になる?彼が。」
「──えっ?」
「彼とはお友だちになった?」
「いえ、何度か偶然お会いしただけなので、待ち合わせて一緒にどこかに出かけるような関係ではありませんね……。」
そういうのはお友だちとは言わないと思うのよね。顔見知り?お知り合い?その程度の関係だわ。何度かお世話にはなったけど。
「そう。なら、あなたの男性の友人は、今のところヴィリ1人というわけね。」
「そうなりますね。」
「それを聞いたらヴィリが喜ぶわね。」
「そうでしょうか?もしそうなら、私もとても嬉しいですね。」
私はニッコリと微笑んだ。
「……。あなたひょっとして、結構人より鈍いって言われたことはない?」
「さ、さあ、どうでしょう。
特に言われた覚えはありませんが。」
私って鈍いのかしら?人から言われたことはないけれど……。でも、鋭いアデリナ嬢がそうおっしゃるのなら、そうなのかしら?
「ということは、あなたは今、特別に気になっている男性や、親しくしている男性はいないということね。」
「そうですね。まだ結婚しておりますし、そういうことは、離婚してからゆっくりと考えたいと思っておりますわ。」
「……あなた……。真面目ねえ。」
「そうでしょうか?」
「直接どうこうなるかは置いておいて、今のうちに次の相手の目星をつけておいても、誰も文句は言わないと思うわよ?」
「そ、そうでしょうか……。ただ、私が気持ちの上で切り替えが出来ないというか、素敵だと感じる殿方の前でも、自分が既婚者だということが頭によぎるので、惹かれるという気持ちまでに至れないんだと思いますわ。」
「あなた、早く離婚しなさいな。
それが1番いいわね。」
「はい、準備は順調に進んでいますので、私もそのつもりです。」
実際、素敵だなと思う気持ちが頭をかすめたことはあった。だけど、心のままに行動出来ないのが、私という人間だ。
世の貴族たちは、男性も女性も、愛人を持っている人が多い。なんなら愛人の人数を堂々と公言して自慢するような人もいるそうだけれど、私はそうなれないというだけだ。
イザークがあまりにそっけないから、最初はどこかに愛人がいるんじゃ?なんて疑ったこともあったわね。まあ、そんなもの、いたとしても、今更だけど。
「そろそろ、絵にうつりましょうか?」
「そうね、そうしてちょうだい。私がこうして抱えていたほうがいいかしら?」
「もし、椅子の上に置いてもじっとしていられるのであれば、そのほうが助かります。見えない部分を描くのがむずかしいので。」
「わかったわ。エルゼ、さあ、ここにいらっしゃい。ここでじっとしているのよ?
いいわね?そう……。いい子ね……。」
アデリナ嬢が椅子の上にエルゼを置くと、背中を撫でてやって落ち着かせ、スッと椅子から離れてまたソファーに戻った。エルゼは椅子の上でじっとこちらを見ている。
「慣れてるからおとなしいものでしょう?」
「そうですね、絵のモデルとしては、じっとしていてくれて、とてもありがたいです。」
私はアデリナ嬢の画材を借りると、持参した小さなキャンバスに、エルゼの絵を描き始めた。持ち運び出来るように、1番小さなキャンバスを選んでいる。
猫を描くのは2度目だからか、種類は違えどスムーズに描き進められた。
エルゼが微動だにもしないでいてくれたことも、かなり大きかったと思う。
「──あとはこれで乾くのを待って、呼び出す時は左から右へ、戻す時は右から左へ、絵を撫でていただければ絵から出てきます。
いかがですか?」
私は出来上がった絵をアデリナ嬢に手渡した。受け取った絵を見たアデリナ嬢が顔をほころばせて、ニッコリと微笑んだ。
「とっても可愛らしいわ!フィリーネ嬢の絵は、やっぱりとてもあたたかみがあるわね。
ほら、エルゼ、この方があなたを描いてくれたのよ?これでいつでも一緒ね!」
アデリナ嬢は嬉しそうにエルゼに絵を見せていた。エルゼ自身はよくわかっていないのか、のんびりと大あくびをしていた。
「このあとヴィリのところにも寄るのでしょう?さっそく使いと馬車を準備するわ。」
「ありがとうございます。
よろしくお願いします。」
使いからヴィリの返事が戻って来るまで、私とアデリナ嬢は、再びお茶会をした。
サンドイッチをつまんでいると、
「お嬢さま。使いが戻ってまいりました。」
と、家令のローヤルさんがやって来た。
「ヴィリバルト・トラウトマンさまより、いつでもお越し下さいとの事でございます。」
「馬車の準備は?」
「出来てございます。」
「じゃあ、行きましょうか。今日はとても楽しかったわ、フィリーネ嬢。」
「ええ。こちらこそ。絵を描き終わったらまた戻ってまいりますので。」
「それまでこちらでロイエンタール伯爵家の御者を引き止めておくから安心して。」
私は改めてお礼を言うとアーベレ公爵家の馬車でヴィリの自宅へと向かったのだった。ヴィリの自宅は小さな石造りのアパルトマンだった。馬車をとめるスペースがないようなので、少し離れたところで馬車から降りる。
ご実家は大きな商会だから、ここは1人暮らし用とアトリエとして借りているのね。
ヴィリは建物の外で待ってくれていた。
「いらっしゃい、ロイエンタール伯爵夫人。
ここが僕の自宅とアトリエです。
バルテル侯爵夫人のご好意で、自宅とアトリエとで、別々の部屋を借りているので、アトリエのほうにご案内しますね。」
援助を受けていると聞いていたけれど、部屋を2つも借りてくれているのね。確かにたくさん絵を置こうと思ったら、この小さなアパルトマンの部屋ひとつでは足らないわね。
ヴィリのアトリエは、アデリナ嬢のアトリエのように、絵を飾ったりはしておらず、乾いた絵を並べて床に立てかけたり、棚に並べて置いたりしているようだった。
狭いスペースを効率よく使っているのね。
描きかけの絵らしきものがイーゼルの上に置かれていて、そこに白い布がかぶせられている。さっきまで作業中だったのかしら。
「何を描かれていたのですか?」
「あ、こ、これは……。なんでもないんです。
ちょっとしたもので……。」
「──?そうですか。」
見せてはもらえなそうだわ。ヴィリはバルテル侯爵夫人に援助を受けて絵を描いている立場だから、他の人に売る為の絵は描いていない筈だけど、こっそり描いているとか?
お金がいくらあっても足りないのかも知れないわね。魔法絵の為の絵の具は、どれも高いものだから……。
「僕のペットを連れて来ますので、待っていてくださいね。」
そう言って一度外に出ると、見たことのない動物を連れて戻って来た。
「これはフェレットという動物でして。実家で飼っていたのを連れて来たんです。」
「お名前はなんていうんですか?」
「ローゼマリーと言います。」
「ローゼマリーちゃん……。
女の子なんですね。かわいらしいわ。」
茶色い体毛、小さな頭に細長い体を、大人しくヴィリに抱っこさせている。
「どうしても手放せなくて。一緒に飼うことを了承していただけたので、一人暮らしをすることにしました。」
破顔しながらそう言うヴィリ。
よほど気に入っているのね。
「この子は基本大人しいのですが、好奇心旺盛なところもあって。知らない人がいると近寄って行ってしまうんですよね。」
「そうなんですか?」
「なので、慣らすためにも、ローゼマリーを一度抱いてやっていただけませんか?」
「よろしいんですか?」
実はずっと触ってみたかったのよね。
フェレットなんて初めて見るもの。
ヴィリが私にローゼマリーを差し出そうとすると、ローゼマリーはもぞもぞと動いて、自分から私の胸に飛び込んで来た。
「きゃっ!」
「大丈夫です、そのまま抱いてあげて。
すぐに大人しくなりますから。」
じっと私を、その小さくて丸い目で見つめているローゼマリーは、私の腕の中で大人しく抱っこされつつも、私を観察しているかのようだった。本当に好奇心旺盛なのね。
ローゼマリーを微笑ましく見つめながら、腕に抱いて体を撫でてやっていると、それを見たヴィリが、何やら幸せそうに目を細めてこちらを見つめている。
「……そうしていると、まるで、お母さんみたいですね。いつかそんな風に、本物の赤ちゃんを抱っこする日が来るんでしょうね。いいですよね、子どもを抱っこする母親。」
「そ、そうですね、いずれそうなればいいなとは、思っておりますけれど……。
将来他の方との子どもが欲しいこともあって、離婚するつもりでおりますし……。」
ヴィリには私が聖母か何かに見えているのかしら?そんなに幸せそうに目を細められると、なんだかとても気恥ずかしいわ。
「その……。あんまり見ないでください。
なんだかとっても恥ずかしいわ。
そんなにじっと見られると……。」
「あ、いや、これは失敬。」
そう言って、ヴィリは照れたように頭を描いて、私から視線をそらしたのだった。
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