帰宅すると、その日のうちにアデリナ嬢から明日の招待状が届いた。行き先が明確でないと、帰ってきたイザークに、家令が何を報告するかわかったものではないからだ。
それを心配した私にアデリナ嬢がわざわざ招待状を出してくれたのだった。本当に優しい方だわ。私に出来る協力はするとおっしゃって下さったのは本当のことだったみたい。
アーベレ公爵家の家紋が押された封蝋で、封をされた招待状を私に差し出した家令は、どこか少し誇らしげに見えた。
アデリナ嬢の自宅に招待された為、明日向かうので馬車とドレスを用意するよう伝えると、恭しくお辞儀をして出て行った。
アーベレ公爵家への訪問。それは先代ロイエンタール伯爵家当主が願ってやまず、そして死ぬまで実現しなかったことだった。
それを私が実現してしまったのだもの。イザークは複雑な表情をしつつ、それを喜ぶことでしょうね。そして自分も招待されるように仕向けるよう、言ってくることでしょう。
でもイザーク。残念ながらそんな日はこないわ。私はこの絵が売れて商会を作ったら、時間を戻す時空間魔法の権利使用料を受け取る契約をして、この家を出ていくのだから。
私は集中すると、とにかく絵を描くのが早い。アデリナ嬢の絵を描き終わったら、その足でヴィリの家にも訪問したい旨を、ピクニックの時点で2人に話してあった。
平民のヴィリから招待状を送ることはないけれど、いつ行かれるのかは知らせておきたかったからだ。なぜなら家を出るにも、いちいち理由と許可が必要な身だから。
アーベレ公爵家に行った帰りであれば、ついでの用事として、特別、改めて許可を取らなくても、そのまま外出の延長という形で、ヴィリの家に寄ることが出来るもの。
ひとつだけ心配なのは、ヴィリの家に寄ったことを、ロイエンタール伯爵家の御者が、家令なりに報告を上げる可能性がある点だ。
それを2人に相談すると、ありがたいことに、ロイエンタール伯爵家の馬車を待機させたまま、アデリナ嬢がヴィリの自宅まで、コッソリとアーベレ公爵家の馬車で送ってくれるということになった。
アデリナ嬢の絵に時間をとられて、ヴィリの家に寄る時間がなくなった場合も、従者をやってヴィリに知らせてくれると言う。
その場合は改めて外出可能な日を、アデリナ嬢と相談しなくてはならないけれど、おそらくそうはならないだろうと思った。
お試し絵画教室の時だって、1時間とかからずに、ザジーの絵を描き終えたものね。
その時よりも形を取るのがスムーズになっているから、丁寧に描いても間に合う筈よ。
次の日の朝、私は念の為に自分の絵の具だけを小袋にしのばせて、迎えに来たアーベレ公爵家の馬車に乗り込んだ。
アーベレ公爵家に到着すると、さっそくアデリナ嬢が笑顔で出迎えてくれた。
「待っていたわ、フィリーネ嬢!」
アデリナ嬢はそう言うと優雅に駆け寄り、両手を広げて私を抱きしめてくれた。
「ご招待いただきありがとうございます。」
「こちらからフィリーネ嬢にお願いしたのだもの、当然のことよ。まずはお茶にしましょう。ローヤル、準備をお願い。」
アデリナ嬢がそう言うと、ローヤルと呼ばれたアーベレ公爵家の家令が、オホン、とひとつ咳払いをして、
「お嬢さま。本日お迎えされる方は、ロイエンタール伯爵夫人と伺っておりましたが、間違いございませんでしょうか?」
とアデリナ嬢に尋ねた。
「ええ、そうよ?
どうしてそんなことを確認するの?」
「お嬢さまが先ほどから、フィリーネ嬢、と呼びになられていらっしゃるので。」
「あら、そう言えばそうね。」
と合点がいったように口をポカンと開け、思案するように天井のほうを見つめる。
「でも、そうね。フィリーネ嬢は既婚者でいらっしゃるとは思えないくらい、純粋で愛らしいのですもの。ついついそう呼んでしまったのだと思うわ。それに──」
もうすぐ、実際そうなるのだしね、と、私にだけ聞こえる声で、ふふっと笑った。
「愛称のようなものだと思えばいいわ。」
と家令に告げた。
「ここが私のアトリエよ。今からエルゼを連れてくるわね。くつろいでてちょうだい。」
そう言われて通されたアトリエは、赤と茶色、ところどころの黒が基調の部屋だった。
茶色い丸テーブルの前には、真っ赤な2人がけの対のソファが置かれ、黒のクッションと茶のクッションが重ねて置かれてある。ずいぶんと、上品だけれど可愛らしい部屋ね。
上品過ぎず、甘過ぎず、アデリナ嬢にピッタリのアトリエだわ。部屋の壁にはアデリナ嬢が描いたと思わしき、大小さまざまな絵が、額縁に入れて飾られていた。
そこに、猫を抱いたアデリナ嬢と、紅茶とアフタヌーンティーセットを乗せた台車を押したメイドが、同時に現れた。
「お待たせしたわね。この子がエルゼよ。
私の大切なペットなの。」
大きな金色の目をした白い長毛種。とってもフカフカしていて可愛らしい子だった。
「おとなしいから描きやすいと思うわ。
私もよくモデルにするのよ。ほら。」
そう言って、部屋の奥の赤いカーテンに近付き、横にある太い紐を引張った。
するとかなり号数の大きな絵から、小さなものまで、たくさんのエルゼを描いた絵だけが飾られている壁が現れた。
「絵を新しく描く時に、目に入ると構図とかを似せてしまうことがあるから、あえてこうして普段は隠してあるのよ。」
と教えてくれた。
「さ、まずはお茶にしましょう?
うちのパティシエが腕をふるったから。
フィリーネ嬢に食べて欲しかったのよ。」
「ありがとうございます。
いただかせてもらいますね?」
私は紅茶をひと口飲んで、アフタヌーンティーセットの上のケーキを皿ごと取った。
「……!美味しいです。」
「そう?良かったわ。
パティシエを褒めてあげなくちゃね。」
「パティシエまでいらっしゃるんですね。」
「ロイエンタール伯爵家はいないの?
別に雇えるだけのお金はあるでしょう?」
「イザークは、そういうのは無駄に思う人なので……。私がもう少し社交をして、頻繁にご婦人方を自宅に招いたり、パーティーを開くようなら、雇うんでしょうけど……。」
「そんなことを言ってたら、突然開きたくなった時に困るじゃないの。条件にピッタリな人間を採用するのに、どれだけ時間がかかることか、ご存知ないのかしら。」
私はその言葉に曖昧に微笑んだ。ロイエンタール伯爵家の従者たちが、いかに日頃ずさんでいい加減な仕事をしているのかを、思わず思いだしてしまったからだ。
イザークがあまり気に留めないから、問題なく仕事が出来ていることになっているけれど、女の私からするとあちこち気になる。
義母は屋敷の管理を任せてくれないくせをして、従者たちの仕事ぶりに目を配ってくれないのだから。たまにやって来ては、屋敷の至らない点を、私に注意してくる。
私からすれば、やらせても貰えないことに文句をつけられても、ただただ理不尽だと感じる他ない。家令はいつもそんな時、貴族同士の話に口出しするのは従者の恥とばかりに、しれ〜っと無表情、無言を貫いている。
義母は何がしたいのだろうか?まさか自分でやってでも、家をキレイに保つのが妻の役目とかいうセリフが本気だとか?私に直接自分で掃除をしろとでも言うのだろうか。
それならば、私に管理権限を渡さない義母こそが、女主人の責任を持って、屋敷を掃除して回ったらいいのに。権利は手放さないのに、責任だけは私にあるっておかしいわ。
「──ねえ、あれからヴィリとはどうなの?
だいぶ親しくなれた?」
「そうね、男友だちって私、初めてよ。」
ヴィリはもう友人と言ってもいいわよね?
「男友だち……ねえ。」
アデリナ嬢は含みのある笑みを浮かべた。
「ヴィリは、あなたが離婚する為の協力が出来ると、かなり張り切っているみたいね。」
「ええ、ヴィリのおかげで無事に、財産を夫に請求されることだけはさけられそうだわ。
本当に助かっているの。」
「ねえ、フィリーネ嬢。離婚したらそのままということはないでしょう?新たに結婚相手を探すおつもりはおありかしら?」
「そうね……。そういう方と巡り合って子どもが産みたいから、離婚するのだと言っても過言じゃないわね。私は、温かい家庭がほしいの。今のような結婚生活じゃなくて。」
「どなたか、いいなと思っている男性はいないの?それか、……どなたかに……。既に言い寄られている方がいる、……だとか?」
「ええっ!?突然何を言い出すの?」
「だって気になるじゃないの。フィリーネ嬢はこんなに素敵なんだもの。既婚者だからって興味を持たないというのは、無理というものよ。そうでしょう?」
「そ、そうかしら……。」
「最近知り合った男性で、ヴィリ以外で、親しい男性はいない?どう?」
「親しい男性……。」
最近知り合った男性で言うと……。
レオンハルトさまとは、魔物の絵を描きに行く際の護衛で、少し親しくはなれたとは思うわ……。だけど友人とは、呼べないわね。
未来のフェルディナンドさまは、私を愛してくれていると言っていたけれど、今のフェルディナンドさまはむしろそっけないわ。今はまだ親しいとは……正直言えないわね。
アルベルトとは、家を探す時に少し話した程度で、彼が年上の女性に距離を置いてくる人だから、親しくなるのは少し難しそうね。近所だし仲良くしたいと思っているけれど。
フィッツェンハーゲン侯爵令息は……。
あの方はとても思わせぶりなことをおっしゃるけれど、ひょっとして私のことを好きなのかしら?と思わされることがある。
親しいかと言えば違うけれど、今私に思いを寄せてくれる男性がいるとすれば、それはフィッツェンハーゲン侯爵令息だと思う。
私の勘違いじゃなければ……。
「──……当ててみましょうか?
フィッツェンハーゲン侯爵令息。
彼、あなたのこと狙ってるわよ?」
「ど、どうしてわかるんですか!?」
私と一緒にいるところを見たのは、バルテル侯爵夫人の集まりでの1度きりだと言うのに、まるでその後も会っていることを見ていたかのように、アデリナ嬢は言うのだった。
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