目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第30話 意外な妻の噂

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「最近君の奥方様は、ずいぶんと評判らしいじゃないか。社交嫌いと聞いていたが、本当は君が美しい妻を見せたくなくて、隠していたんだな?君がそんな狭量なやつだとは知らなかったよ。案外嫉妬深いんだな。」


「なんの話だ?」

 そう言って、からかうように笑う取引相手かつ友人に、イザークは本当に意味がわからない、といった表情で眉間にシワを寄せた。


「なにって君の奥方様がとんでもなく美しいという話さ。バルテル侯爵夫人の集まりに何度か顔を見せたらしいが、私の妻がいたく驚いていたよ。妖精のような愛らしさだと。」


「私の母もそう話していたな。アデリナ・アーベレ嬢もその場にいらしたそうだが、華やかな彼女とはまた違ったタイプの、朗らかで奥ゆかしく美しい御婦人だったとね。」


「今じゃ社交界ではその話題でもちきりさ。

 噂のロイエンタール伯爵家の妖精姫を、ひと目でいいから見てみたいとね。」


「あのシュテファン・フォン・フィッツェンハーゲン侯爵令息も、君の奥方様を見初めてメイクを施したというじゃないか。

 彼は特別に美しいと認めた女性に、自らメイクをさせて欲しいと頼むのだそうだよ。」


 情報交換と商談の為に集まった男性は、イザークの他に3人。その全員が手放しで自分の妻を褒めている。こんなことは初めてだ。


 すべて初耳なことばかりだった。

「そんな話は報告を受けていない……。」

「おや、奥ゆかしい奥方様は、君ともあまり話さないのかい?」


 そう問われて、イザークは返答にまごついた。何か妻から話題を振られても、一度もまともに返事を返したことがなかったからだ。


 実は報告を受けていたのかも知れないが、自分がそれを聞き逃していただけかも知れないと思い至ったからだった。


「なにせ君の奥方様は、王太后様の読書サロンにすら顔を出さないからね。この国の上位貴族は軒並み誘われているというのに。

 そんなにも社交が嫌いなのかい?」


「いや、それは私のほうで断った。」

「え?王太后様の読書サロンをかい?

 上位貴族の令嬢や夫人方と、親しくなる1番のチャンスじゃないか。君なら……。」


「おい。」

「その話は……。」

「あっ。すまない……。なんでもないよ。」


 取引相手たちが、イザークの眉間のシワがより深くなったのを見て、察したように話をやめた。王族の話は禁句なのだ。


 イザークが家族ぐるみで王女の結婚相手として名乗りを上げて、相手にもされていなかったことは、貴族の間では有名な話だ。


 王女を他国の王族と結婚させることを強く推し進めたのは、現在の王太后だと言われている。その王太后の読書サロンなどに、望まぬ結婚相手である妻を行かせるなど、イザークには許せることではなかった。


 せめて侯爵家以上の令嬢を、と望んだにもかかわらず、子爵令嬢をめとることになった事実を、妻が読書サロンに行くたびにほくそ笑まれることになるに決まっているからだ。


 もちろん上位貴族の夫人たちとの関係は強くしたい。だがそれは王太后の読書サロンでなくても構わない筈だ。


 妻は読書サロンに参加したがっていたが、参加しても笑われるだけなのを、まるでわかっていないからだろうとイザークは思った。


「それにしても、君の母君様は頑健でいらっしゃるのだね。領地や家の管理を、まだ奥方様に引き継いでいないのだろう?」

 と、取引相手が話を変える。


「普通は結婚と同時に新妻に引き継ぐものだろう?奥方様はお体が弱くて社交に参加しないとも聞いていたが、バルテル侯爵夫人の集まりに参加したのを見る限り、もう健康そうに見えると妻が言っていたが、まだ引き継ぎを行わないつもりなのかい?」


「母には母の考えがあるんだ。今のところそのつもりはないと言っていたよ。」

 イザークはそう答えた。


 これが母親の嫌がらせだということはわかっている。子爵令嬢の妻をロイエンタール伯爵家の女主人と認めていないからだった。


 今でも相応しい令嬢を探しては、見つかり次第新しく妻にしようと考えている母親は、かりそめの妻と認識している相手に、女主人の仕事を引き継ぐつもりがないのだ。


 そして自分自身もそれはそうだった。従順な実家と妻を求めたのに、妻はまだ自分の求める妻としての役割を果たせてはいない。


 社交を選り好みし、夫の仕事の手助けになるような、上級貴族夫人がいるパーティーには、積極的に顔を出そうとはしなかった。


 だから妻が参加したがる集まりは、すべて却下してきた。大人しくこちらの求める妻の役割に従うまでは、徹底的に立場をわからせてやり、しつけなくてはならない。


 それが父親から教わったロイエンタール伯爵としてのあり方であり、自分の母親もそれに従ってきたのだから。イザークにはそれが世界のすべてであった。


 参加したがる社交をすべて断るという嫌がらせをすることで、イザークにそうさせているのは誰なのか、わからせるつもりでいた。


 だが、もともとある程度貴族に顔の広かった母親と違って、知り合いの少ない自分の妻は、まずはサロンなどで友人を作ってから、パーティーに参加するのが、貴族令嬢や夫人としての、交友関係の広げ方であることを、男性であるイザークは知らなかった。


 サロンとは違い、パーティーでは、女性は知り合い同士で固まって会話をするものである。男性であれば仕事の話で会話が成立する為、知らない相手とも親しくなれる。


 領地や家の管理を引き継がれている夫人同士であれば、まだその話で会話を成立させることも出来る為、それなりに初対面でも親しくなることはある。


 だが母親の嫌がらせで女主人としての仕事をさせてもらえない妻が、会話する為の話題を持たず、他の貴族夫人たちや従者から舐められているのを、イザークは妻本人の性格のせいだと思っていた。


 伯爵夫人としての自覚を本人がちゃんと持っていれば、堂々と従者とも他の貴族とも、渡り合える筈である、と。


 イザークは自分が妻の世界を狭くし、結果として自分が望む、上級貴族夫人と親しくなる機会を奪う結果になっていることを、まるで理解していなかった。


 なぜあんな妻をめとってしまったのか。

 毎日うんざりしながら、いずれは自分の望む妻に成長出来るよう、イザークは根気よく妻の相手をしているつもりでいた。


 常に陰気で、少しも自分の思う通りにならない女。それがイザークにとっての妻の評価であったが、ここにきて、急に妻に対する世間の評価が大きく変わるとは思わなかった。


 朗らか?奥ゆかしい?何より美しい?

 どれもイザークの中にはない言葉だった。

 いつも俯いて、自分と目を会わせない妻。

 それがイザークの中でのイメージだ。


 イザークは王女にこっぴどく振られてからというもの、かなりの女性不信に落ちいっていた。女性とどんな風に会話を成立させていたのかすら、今はもう思い出せない。


 リハビリとしてメイドと話してみてはどうかしら?という母親のすすめで、メイドとは積極的に話すように心がけた。


 雇われの身だけあって、こちらを傷付けるような言葉は一切使わず、常に朗らかで、イザークはメイドと話すことだけは、気が楽だと感じるようになっていった。


 だがメイドと違って、妻はあれこれ要求をしてくる。それもイザークが望まないことばかりを。いつしか妻と話すこと自体が煩わしいと感じられるようになっていった。


 メイドと話をしていると、いつも求めらていないのに割り込んで、会話に加わろうとしてくる。話なら朝、必要なことを話しているのだから、それ以外は自由にさせて欲しい。


 自分の話すことを楽しげに聞いてくれるだけのメイドと違って、自分のことをあれこれ話そうとしてくる妻に、どう返事を返したらいいかがわからず、男としてのプライドが折られる気がするのだ。


 心が傷付けられた時のまま、時間が止まってしまっているイザークは、自身の精神的な未熟さに気が付いていなかった。


 ただ楽しげに話を聞いてくれるだけでいいのに。いちいち悲しげな顔をする人間と、すすんで話をしたいとは思わなかった。


 それなのに、自分以外の前では朗らかで、親しみやすく、美しいという妻。

 なぜ自分にはそう出来ないのか。

 イザークは内心苛立っていた。


「なあ、今度君の家に遊びに行かせてくれないか?奥方様がパーティーをしたがらないのはわかっているが、商談を家でして、そのまま飲むくらいならよくあることだろう?」


「ああ、それはいいな、ぜひとも参加させてくれよ。噂の奥方様を拝ませてくれないか?

 少人数なら奥方様も気が楽だろう?」


「アデリナ・アーベレ嬢に匹敵するという美女を、独り占めするなんてずるいぞ?」

「いや、私はそんなつもりは……。」


「明日から買付で遠出するんだろう?

 だったら今日はどうだい?

 そのまま家に泊めてくれよ。」

「いや、今日は……。」


 いつものルーティンで、長期に家をあける前は、夫婦の営みの時間を持つことにしている。いくらなんでも取引相手かつ友人が家に泊まっている状態でそれを行う気はしない。


「じゃあこうしよう。君が今日奥方様を見せてくれたら、次回の納品を1割上乗せしようじゃないか。それでどうだい?」


「なるほど、なら俺は、君がずっと飲みたがっていた希少なワインを土産にしようじゃないか。それを君の家で飲むのはどうだい?」


「え?オドルボの限定品をか?」

 オドルボのワインには、イザークの父親が生前探し求めて手に入れられなかった、希少な限定品が存在する。


 もともと高級品であったが、もっとも当たり年と言われた年のワインは、それこそ金を積んだだけでは手に入れられない一品だ。


 父の墓前にそれを捧げられるかも知れないと、イザークは心が揺れた。

「そうさ。ロイエンタール伯爵家の妖精姫には、それだけの価値があるということだ。」


 妻との夜の営みは、ただの自分のルーティンというだけだ。今日それをしないからといって、何に違反するわけでもない。妻といたす約束を交わしたわけでもない。


「……わかった。必ずオドルボのワインを持って来るんだぞ。それと納品1割上乗せ。それを条件に、妻をお前たちに会わせよう。」

 イザークは急な来客を承諾したのだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



────────────────────


少しでも面白いと思ったら、エピソードごとのイイネ、または応援するを押していただけたら幸いです。

ランキングには反映しませんが、作者のモチベーションが上がります。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?