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第23話 化粧品店の美しい店員


 ……でも、こんなに素敵なお店の商品なのだもの、きっとお高いんでしょうね。

 部屋に置いてあるだけて気分が上がりそうな化粧品の数々も、とても魅力的ではあるけれど、これは将来の楽しみに、買わずに取っておいたほうが良さそうね。そう思いながらも、1つ1つ手に取っては眺めてしまう。


「気に入ったものがあれば、ぜひおひとつプレゼントさせて下さい。」

 とフィッツェンハーゲン侯爵令息が笑顔で言ってくれる。

「──そんなことさせられませんわ。」

 驚いて思わずそう答えた。お気持ちはありがたいけれど、まだ夫のいる身で、他の男性からのプレゼントなんて受け取れないもの。


 未婚であれば複数の男性から贈り物をいただくことはよくあることで、宝石などのよほどお高過ぎるものでなければ、お断りするのはむしろ相手側に失礼にあたるのだけれど。

「どうかお気になさらず。

 オーナーからの宣伝ですから。」

 とフィッツェンハーゲン侯爵令息が言う。


 オーナーからの?──ああ、お知り合いの店を宣伝する為に連れて来て下さったということね。それなら受け取りやすいわ。私はそれでしたら……と、商品を1つ手に取った。

 試供品が置かれていて、試した時にとても気に入った匂いの、ボトルネックが花の花弁のモチーフをあしらった、薄い水色とクリーム色の乳液瓶だ。


 優しい花の香りが心地よくて、それでいてなめらかでスッと肌なじみがよい。ベタつかない乳液なんてはじめてのことだった。

 先日のお茶会にいらした令嬢や御婦人方も使っていらっしゃるのかしら?もしそうでなかった場合、話題にのぼらせてオススメしたくなるくらいには、素敵な化粧品だわ。


 包んで下さるというので、乳液の瓶をカウンターに持って行く。カウンターの向こうの店員さんは、服装も顔立ちも、男性とも女性ともつかない見た目の方だった。

 性別がわからないのにとても美しいと感じてしまう、不思議な魅力の持ち主だと思う。

 私がどちらなのかしらと一瞬考えてしまった視線に気が付いたのだろう、私みたいのを見るのは初めて?と微笑まれてしまった。


 子爵家の次男だと名乗られた店員さんは、聞けば心が女性で体が男性なのだそうで、

「女性からのアドバイスは素直に聞けなくてもね、私みたいな人間の言う事なら、人は素直に聞けたりするものなのよ?だから私がいると売り上げが何倍にも伸びるの。私がこの店を大きくしたようなものなのよ?」

 と、イタズラっぽく片目を閉じられた。


 確かに、自分より美しい女性の意見は参考にならないと感じてしまうかも知れないけれど、お相手が女性でも男性でもない場合は、純粋にその意見だけに耳をかたむけられるのかも知れないわね。とてもよく考えられているお店なのだわ。私は次に来るときには、この方にアドバイスを受けてみたいと思った。


 店員さんは家名は教えてくださらず、ここではただのエアニーなのよ、と言った。

 家名を名乗られてしまうと、平民が気後れしてしまうからよ、自分が上か下かを気にする貴族には、もちろん名乗るけどね、とも。確かにそうね。貴族にも平民にも広く門扉をあけた店にするのであれば、貴族以外には貴族であることは知られないほうが得策だわ。


 上級貴族向けの店には、下級貴族の店員さんしかいないところがほとんどで、そういう店には当然平民はもちろんのこと、下級貴族はやって来ない。自分と同じくらいの爵位の貴族、下手をすれば自分よりも爵位が上の貴族に接客を受ける可能性があるからで、よほどの成り上がりで礼儀のなっていない人か、一生の記念に、一度でいいから来てみたかった、一代限りの貴族でもない限りは来ない。


 そういうお店でもない限り、子爵令息に接客されているだなんて、言われなければ分からないものね。相手側も気楽に過ごせるというものだわ。もしもさっきの家具屋さんに貴族の店員さんがいたと言われても、それらしい接客を受けていないから、まったく分からないのと同じだ。


 それにしても私があまり社交を好まないとはいえ、お見かけした記憶がまったくないうえに、お名前や噂すら耳にしたことがないなんてことあるかしら?こんな美しい方で、なおかつ心が女性だなんて、話題にのぼりそうなものだけれど。ということは、日頃はそのことを隠していらっしゃるか、エアニーという名前が本名ではないのかも知れないわね。


 品物を包んで手渡してくれる時、離れたところにいるフィッツェンハーゲン侯爵令息をチラリと見ながら、エアニーさんが小声で、

「……お隣の家具屋さんには行かれた?」

 と聞いてきた。あんな美しい家具の店が隣にあるんですもの、きっとこのお店にいらした方は皆さん立ち寄られることでしょうね。


「あ、はい。素敵なお店ですよね。フィッツェンハーゲン侯爵令息に連れて行っていただきました。眺めるだけでも本当に楽しい気持ちになれるお店で、いつか私もあのお店で家具を買いたいと思いました。」

 ほんのついでのつもりだったのに、お隣の家具屋さんとこのお店を見に来ただけでも、とても充実した一日が過ごせたと感じた。


「……ふうん?そうなの。」

 エアニーさんが思わせぶりにクスリと笑うと、私のことをじっと見つめてくる。

「あの……、なにか……?」

 私に向けられた視線に戸惑って尋ねる。

「ついにあの店に女性を連れて行ったのね。一緒に家具を選びたい方が出来るまでは、女性と行くつもりはないと言っていたのよ?

 あなた、ずいぶんと特別なのね。」


「──!?」

 私はその言葉に真っ赤になってしまい、後ろにいるフィッツェンハーゲン侯爵令息を振り返れなくなってしまった。

「──?どうかなさいましたか?」

 いつまでも戻って来ない私に、フィッツェンハーゲン侯爵令息がこちらに近寄ってきて私の顔を覗き込む。


「……この方に何か言ったのかい?」

「あら、別に何も悪いことは言ってはいないわ。ただ、素敵な方ねと思っただけよ。」

 訝しむフィッツェンハーゲン侯爵令息に、エアニーさんが両手のひらを上に向けて肩をすくめてみせた。本当ですか?と尋ねるフィッツェンハーゲン侯爵令息に、私は、少しお話ししていただけですとしか言えなかった。


「本当に素敵なお店ですね、外装も内装も商品のデザインも、どれも心惹かれますし、何より店員の方が素晴らしいです。お隣の家具屋といい、フィッツェンハーゲン侯爵令息はこんなお店をたくさんご存知なのですね。」

「……ここは私の店なんですけどね。」

 フィッツェンハーゲン侯爵令息は、そう言ってイタズラっぽく笑ったのだった。


「──そうなのですか!?

 ……申し訳ありません。大きな声を出してしまいました。」

 はしたなかったわ。少女のようにはしゃいだ気分で店内を回っていたのが良くなかったのよ。フィッツェンハーゲン侯爵令息に、学生時代の友人相手のような接し方をしてしまうだなんて。私は恥ずかしくなって、両手で口元をおさえた。


「いえ、構いませんよ、他にお客様もいらっしゃらないことですしね。」

 そう言ってフィッツェンハーゲン侯爵令息は柔らかく微笑んで下さった。

 休憩で少し出ていただけなので、このまま店に残りますと言うフィッツェンハーゲン侯爵令息に別れを告げて、私はほてる頬をおさえながら、ロイエンタール伯爵家に戻る馬車に揺られたのだった。


 次の日、私はバルテル侯爵家主催の写生大会に参加していた。お誘いを受けてからというもの、とても楽しみにしていたのよね!

 アデリナ嬢もいらしているし、新しく絵を描く仲間がたくさん出来るということもそうだけれど、王立図書館で絵を描いて思ったことだけど、外で絵を描くのは、とても自由でのびやかな気持ちになれて素敵だわ。


 上級貴族婦人たちがたくさん集まる社交の場ということもあり、イザークも気持ちよく私を送り出してくれたしね。

 椅子やイーゼルを各自持ち込むということで、皆さんそれぞれ2人以上の従者と、荷物を運ぶ馬車を連れて来ている。私も侍従長が前回のメイドの他にもう一人と、荷運び用の馬車を付けてくれたので、用意されたイーゼルの前の椅子に座って絵を描き始めた。


「良いお天気になりましたね。」

「ええ。本当に良かったですわ。」

 絵を習い始めたという御婦人方は、当然売れっ子魔法絵師である、アデリナ嬢とはくらべるべくもなかったけれど、まだ見せられるようなものではありませんのよ、と口々に言いながらも、それぞれ楽しそうに絵を描いていていて、私も気が楽に絵を描けた。


 今日はバルテル侯爵夫人がパトロンをしているヴィリも来ていて、講師としてみんなにアドバイスをしてくれていたから、みんなはそれも楽しみにしていたようだった。

 日頃絵師について習っているとはいえ、現役の人気絵師に教えていただける機会はそうはないものね。ヴィリは独自にやっている手法なんかも気さくに教えてくれていた。


 私もヴィリに植物の生き生きとした艶の出し方を教えて貰って、それを再現出来た時はとても嬉しかった。私を含め、みんな魔石の粉末入りの絵の具を使っている。当然アデリナ・ブルーを全員が持っていた。

 それを見たアデリナ嬢が、私の空の描き方をお教え致しましょうか?と言って下さったので、全員一気に色めき立った。


「あの……、僕も見せていただいても?」

 と、ヴィリがおずおずと声をかける。

「もちろんですわ?どうぞ?」

 アデリナ嬢がたおやかに微笑んだ。

 仕事の上ではもちろんライバルなのでしょうけれど、同じ仕事で絵を描く人間として、アデリナ嬢のあの独特の配色は、気になるところでしょうからね。


 アデリナ嬢はアデリナブルーを基調に、何色も色を塗り重ねては刷いて、複雑なグラデーションを生み出す描き方だった。

「果実の赤が単色ではないように、空の青さも一色ではないんですよね。」

 それはそれはとても丁寧に、空と雲だけに時間をかけてゆく。後ろで眺める私たちは、ただただ、ため息を漏らしたのだった。

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