「歩きながら話しましょうか、本も返却しなくてはなりませんしね。」
「読みかけでいらしたのに、もうよろしいのですか?──あ、ありがとうございます。」
フィッツェンハーゲン侯爵令息が、私が描きあげた絵やイーゼルを入れた袋を代わりに持って運んでくれる。
「休憩時間をこうして過ごしていただけですので。また来た時に続きを読むだけです。」
「それでしたらよろしいのですが。」
「口座決済についてですが、先ほどのあれは、私が持っているペンダントと、それをかざした小箱のどちらもが、魔道具になるのです。ペンダントに登録した銀行の口座情報を読み取って、あとで請求されるのですよ。」
これだとあまり大きな現金を持たずに済みますのでね、とフィッツェンハーゲン侯爵令息が笑った。生体認証魔法陣を組み込んでいるので、勝手に誰かが触れても決済はされないとのこと。便利なものがあるのね……。
私って本当に世間知らずだわ。
銀行口座はいずれ作らなくてはと思っていたし、その時に一緒に作ろうかしら。
私はフィッツェンハーゲン侯爵令息とともに、それぞれ借りていた本をカウンターに返すと、外で待たせていたロイエンタール伯爵家の馬車で家具屋へと向かった。
馬車を降りる際に、フィッツェンハーゲン侯爵令息が手を差し出してくれる。私は手を添えて馬車を降りた。
「こちらです。」
「まあ……!!凄く素敵ね……!!」
フィッツェンハーゲン侯爵令息が案内してくれた家具屋は、入口が大きく開け放たれていて、外から店内が見られるつくりになっていた。おまけに2階が工房になっていて、作業している人たちの姿が見えるのが安心出来るわね。イキイキと働いているのが伝わってくるようで、それだけでもここの家具に心惹かれる気持ちになるわ。
この人たちが心を込めて作って下さるのはどんな家具なのだろう。
木のいい香りが外まで漂ってきて、柔らかく鼻孔を刺激する。ここにいるだけでもとても落ち着く素敵なお店だ。
「……こんな素敵なお店をご紹介いただいてとても嬉しいです。」
「その感想はまだ早いですよ、とりあえず、中に入ってみましょうか。」
そう言ってフィッツェンハーゲン侯爵令息が笑いながら中に誘導してくれる。
置かれている家具はすべて見本で、前払い制度の完全注文生産なのだそうだ。きっとお高いんでしょうね……。でもここの家具を、1つでもいいから手に入れたいものだわ。
こんな家具と暮らせたらどんなに素敵だろうか。優しい木のぬくもりと同時に、凛とした美しさを持つ家具を眺めながらそう思う。
「フィッツェンハーゲン侯爵令息も、こちらの家具はよくお求めになられるのですか?」
「いえ、普段は眺めるだけです。いざ購入する際には、やがて伴侶になって下さる方と、一緒に選びたいと思っておりますので。」
2人で一緒に使うものですからね、と、フィッツェンハーゲン侯爵令息は、家具を愛おしげに撫でながらそう言った。この方は妻の意見を聞いて下さる方なのね。
「とても素敵なお考えだと思いますわ。フィッツェンハーゲン侯爵令息の伴侶となられる方はお幸せですね。」
私は心からそう言った。
「……まあ、なかなか難しいですけどね。」
フィッツェンハーゲン侯爵令息は苦笑いのような表情を浮かべながらそう言った。
「──恋愛結婚をする人たちもだいぶ増えはしましたが、やはり貴族の結婚は家同士の問題ですから……。侯爵家と言っても何も継げる財産のない三男坊のところには、結婚の話は持ち上がらないものですよ。今の私は商人となんら変わりはありませんからね。」
確かに、どれだけフィッツェンハーゲン侯爵令息自身が素敵な方だと言っても、貴族令嬢の結婚の許可はその家の当主が出すもの。
家を継ぐことのない貴族令嬢には、持参金として持たせて貰えるお金以外に財産なんてものはない。それだって婚家に渡されるものだから、自分が自由に使えるお金というものがないのだ。だから生活するためには、当主の決めた通りの結婚をするしかない。
大抵の上位貴族には幼い頃、遅くとも王立学園在学中に婚約者が決まる。家同士で決めてしまうから、顔合わせの時点でそれは確定事項なのだ。フィッツェンハーゲン侯爵令息が家を継ぐお立場であれば、今頃とっくに結婚していらしただろう。家柄も財産も申し分のない、麗しき侯爵令息。引く手数多で選び放題だったに違いないわね。
……だけど三男ともなると話は別だ。まだ次男であれば、辺境の領地があれば譲って貰えるけれど、家の財産が分散しすぎるのはよくないからと、三男以上が生まれた場合は、その時点で何も譲り渡されないことが決まってしまう。だから貴族の三男以降は自力で生活する道を見つけなくてはならないのだ。
貴族令嬢が働くよりは、仕事の幅があるけれど、それでも無から有を生み出すか、騎士団や商会に勤められる道を探す必要がある。
公子であっても、爵位を譲られるまでは騎士団にいたりと、働いている人が多いけど、後継者教育は同時並行で行われる。
侯爵家以上ともなると、管理する領地が多いから、配偶者や令嬢も、領地管理や屋敷の管理を学び任されることになる。
婚約者がいればその家に合わせて幼い頃からそれらを学ぶのだ。特に王太子に嫁ぐご令嬢のお妃教育は二桁に届かない年齢から始まるものだという。
「結婚したいお相手が出来たとしても、もしもその方が貴族であった場合、結婚の許可を得るのは、まあ難しいでしょうからね。」
「どなたか、心にとめている方がいらっしゃるのですか?その方が貴族のご令嬢ということですか?」
「……気になる方は、1人、いらっしゃいますよ。」
「まあ。それは皆さんお知りになられたら悲しみますわね。令嬢も御婦人方も、フィッツェンハーゲン侯爵令息の配偶者になられる方が、どんな方であるのか、気になって仕方がない筈ですわ。きっと素敵な方なのでしょうね。いつか紹介して下さいましね。」
「──あなたは?」
「え?」
「あなたは、どうですか?
気になりますか?
──私がどなたを、好きなのか。」
「え?ええ、まあ。」
フィッツェンハーゲン侯爵令息が、流し目でじっと見つめてくるものだから、なんだかドギマギしてしまう。
「ロイエンタール伯爵夫人は、どんなお相手なら、私に合うと思いますか?」
フィッツェンハーゲン侯爵令息が、ふっと微笑みながらたずねてくる。
「そうですね。どんな方でも、フィッツェンハーゲン侯爵令息が心から素敵な方だと思われれば、それが一番合うのではないでしょうか。夫となる方に爵位がないことを、気にするご令嬢ばかりではないと思いますわ。」
「ロイエンタール伯爵夫人もそうですか?」
「……私は、毎日私との会話を楽しんで下さる方であるのなら、爵位なんてものはないほうがいいくらいです。
正直、近々夫とは離婚して自立の道を選ぶつもりなのです。そうなったら、今度はそんな他愛もない会話を楽しめる方と、出会えたら嬉しいと思っています。」
「──離婚?……それで家具を?」
「ええ。実は……。」
それを聞いたフィッツェンハーゲン侯爵令息は、顎に手をあてて何やら明後日の方向を向いて思案をし始めた。話の流れとはいえ、あまり親しくもない方に聞かせるような話ではなかったわね。急に重たい話をしてしまったわ。せっかくこんな素敵なお店につれて来て下さったのに。
「すみません、忘れて下さい。」
「──なぜですか?」
「その……。こんな楽しい場所でするような話でもありませんし、まだお会いして2度目の方にお話しするようなことでもありませんでしたので。」
「そうですね。まだ2回目でしたね。」
「はい……。」
「私たちは、もう少しお互いを知る時間が必要だとは思いませんか?」
「え?」
「──少なくとも私は今、あなたのことをもっとよく知りたいと思っているのですが、あなたはどうですか?」
「それは、その、どういう……。」
「今私が最も知りたいことは、あなたがロイエンタール伯爵夫人でなくなったあとに、爵位も何もない男に結婚を申し込まれた場合、どのようにお感じになられるのかということです。」
フィッツェンハーゲン侯爵令息が、またたきもせずに、目の奥をじっと見つめてくる。
……なんと答えるのが正解なの?
私が困っていると、少し急ぎ過ぎてしまいましたね。家具を見て回りましょうか、と、優しい笑顔で言ってくれた。
私は隣に立って、家具の説明をしてくれながら歩く、フィッツェンハーゲン侯爵令息のことが気になって、会話があまり頭に入って来なかったのだった。
「──よろしければ、隣の店も見てみませんか?化粧品店なのですが。」
一通り家具を見終わったあとで、店の外に出た時に、フィッツェンハーゲン侯爵令息がそう提案してくれる。
「ぜひ、拝見したいですわ!」
私は思わずそう答えた。
実はここに入る前からずっと気になっていたのよね。可愛らしい外観の建物で、なんのお店なのか気になっていたのよ。
化粧品店だったのね、どうりで女性が好む外観なわけだわ。柱が黒で、レンガと木で出来たつくりで、正面の半分がまっ青で、大半が白の塗りの壁に、青い壁の部分の金色の窓枠が、遠くからでもとてもよく目立つ。
おまけに店の周囲だけじゃなく、白い壁の部分に植物を植えているだなんて。なんて斬新なデザインなのかしら!今までこんな外観のお店は見たことがないわ。とても可愛い!
店の外観といえば、木の色かレンガの色だけで、まれに塗りの壁の店もあるけれど、白かクリーム色に限定されていて、置いている花が彩りに差をつける程度なのに。
お店の外観を担当した業者の方は、ずいぶんと前衛的な考えをお持ちの方のようね。
中に入ると、中もとても素敵だった。カウンターがあって、お化粧を試したり、商品をゆっくり選ぶ為なのか、黒いテーブルの前に黒い足の椅子が何脚か置かれている。
内装の壁も、青と白と金色に塗り分けられていて、柱が黒で統一されていた。
「気にいっていただけましたか?」
「はい、とても!」
私はさっそく化粧品を見て回った。手に取りやすいように、棚に陳列されているものもあるというのが、貴族にも平民にも手に取りやすくていいのではないかしら、と思えた。