私は王立図書館で探しものがあったのだ。レオンハルト様と魔物の絵を描きに行くためには、必ず必要になるもの。
いくらレオンハルト様が守って下さるとは言っても、無防備に絵を描いている私を守りながらというのは難しい筈よ。私は私に出来ることを1つでも増やしておきたかった。
身分証明書を提示して、必要な本の場所を司書に尋ねると、持ち出し禁止のものが多かったけれど、王立図書館の敷地内であればどこで読んでも自由だと言われた。やったわ!
王立図書館の敷地内には、併設されたオシャレなカフェと、──広い中庭があるのだ。
周囲を建物に囲まれながらも、日が当たるようになっていて、草木が生い茂る美しい光景。本で目が疲れた人が、緑で目を休める為なのかしら。ベンチがあちこちに置かれていて、そこで本を読む人、休む人。絵を描いている人もいた。私の狙いはそれだった。
それにしても素敵ね。青々と茂った木々も魅力的だけれど、枯れ葉のシーズンに来たらどんなにか美しいだろうか。ベンチの横に立つ背の高い樹木から降り注ぐ、あの葉っぱたちが落ち葉に変わり、黄色、茶色、赤色の枯れ葉に埋め尽くされた絨毯のような足元を、ゆっくりと踏んでベンチに腰掛けて、本を読んだり絵を描いたりするのだ。
受付の窓から見えるベンチの後ろの窓越しの本棚や、本を読み耽る人々の姿も味わい深い。ここはとてもまったりとした時間が流れていて、時間を忘れてゆっくりしたくなる。
今度ゆっくりお茶をしに来ようかしら。
1人になればいくらでも、好きな時に好きなように外出が出来るようになるものね。
今日の目的はここでのんびり過ごすことではないから、それほどゆっくりもしていられないのだけれど。
受付の周辺には、冒険者らしき人の姿もチラホラ見かけた。平民で王立図書館に来るのは、そのほとんどが冒険者だ。
皮の鎧を身につけているから、見た目でそうと、誰でもすぐに分かる。平民には学校がないから、ここで必要なことを学ぼうとする人も多いのだとか。だけど平民の識字率は低いから、お目当てのものはだいたい決まっているんですよ、と司書が教えてくれた。
たぶん私の借りた本がそのお目当てだったのだろう、借りた本を手に中庭に移動して、イーゼルを2つ立てて本を置き、ベンチに腰掛け絵を描いていると、王立図書館の窓ガラス越しに、何やら視線を感じた気がして振り返った瞬間、皮の鎧を身に着けた赤髪の冒険者の女性と、バッチリ目があってしまった。
あっ、それっ!とでも言いたげな表情で口を開けて、じっとこっちを睨んでいる。
ちょっとおっかなそうな女性ね……。
ごめんなさいね、すぐに本棚には戻せそうもないわ。別に1人につき貸し出し時間が決まっているわけではないし、今日は諦めたほうがいいかも知れないわよ?
それに多分あなた、この本を借りられないでしょうし。あきらめて他をあたってちょうだいね。私は彼女に背を向けて、絵を描くことに集中した。それにしてもいい天気。日当たりが優しくてとても気持ちがいいわ。それにまったく風がないわけでもないのね。
ほとんど凹の形に建てられた、王立図書館の凹みの部分にあるカフェの人たちが、中庭を眺めながらお茶を楽しんでいる。
だから中庭で絵を描いている私の姿も観察されているのだけれど、気にしたら負けだ。
別に私は彼らにとって、ただの風景の一部だものね。私も逆の立場ならそうだろうし。
そんな風に思いながら中庭で絵を描いていると、集中していて気が付かなかったのだけれど、いつの間にか後ろに人が近付いて来ていたらしく、──突然パッと、私が借りた本をイーゼルから奪った人物がいた。
あまりに突然のことで、また予想外過ぎて何が起きたのか分からない。
「──え?」
本が、ないわ?
しばらく混乱していたが、すぐに奪われたのだと気が付き、慌てて後ろを振り返ると、まるでそれが当たり前かのように、本を持ってのんびりと去って行く、赤髪の女性冒険者の姿が見えた。
どうしてそんなに堂々と出来るのだろう。
あの本は私の身分証明書で貸出を受けているのだ。だから返却するまで私に権利があるとの同時に、返却するまでに汚損や紛失があった場合は、私の責任になってしまうのだ。
「──待って、待って下さい!!」
私は慌てて赤髪の冒険者のあとを追った。
「──なにさ?」
赤髪の冒険者は足を止めて振り返ると、あろうことかジロリと私を睨んできた。本当に図々しいわね!
「その本は……、私の身分証明書で貸出を受けているものです。返して下さい。」
「は?なんでよ。
本はみんなのものでしょ?
──つかさ、あんた長すぎ。
さっきからどんだけ時間が経ってると思ってんの?いい加減こっちに寄越せっての。」
赤髪の冒険者は腰に手をあてて、ため息をつきながら、本を振りつつ言った。
この国に赤髪は珍しい。というかここまでの燃えるような赤髪なんて見たことがない。
ということは、外国人でこの国のルールをよく知らないということなのかしら?
「王立図書館の本は、貸出し時間が決まっているものではありません。返却するまでは私に権利があるんです。」
「だーかーらー!
一度かえせばいいでしょ?
あんたみたいに時間かかんないんだから、あたしが先に読んだっていいじゃない!
こっちは時間ないんだっつの!」
知らないわよ、あなたの事情なんて!私だって自由に外出出来る立場じゃないから、時間が有り余っているわけではないのだ。
「──だいたい、この本、あなたの身分証明書で借りられませんよね?あなたの身分証明書は、恐らくは冒険者証明書ですよね?
だったらこの本は借りられないです。」
「──は?どういうこと?なんであんたに借りられて、あたしに借りられないのよ。図書館の中で読むだけじゃない。」
わけが分からない、という表情で私を見ている赤髪の冒険者。その理由はこの国の身分証明書の等級別優遇措置の差が関係しているのだ。冒険者は冒険者独自の優遇措置はあるものの、身分証明書の等級は平民以下。
最も低い、ということになる。冒険者ギルドが身分を保証するというだけで、実際には誰にでも発行してしまうのがその原因だ。
冒険者は冒険者証が身分証明書になる。平民の場合は、商人は商人ギルドが保証してくれるけれど、市井の人たちにはそんなものはない。村や町に属していれば、そこの村長なり町長なりが、必要な時にだけ身分を保証してくれる。もっと大きな都市になると、市民としての権利を売ってくれるところもある。
流浪の民だったり、移動販売をしている商人たちにはそれがないから、お金を稼いで最終的に市民権を購入するのだ。
そうでなければ家も買えないのだという。
確かになんの身分証明書もない人が突然家を購入して、隣近所に住みだしたら、得体が知れなくて恐ろしいでしょうね。
小さな村や町にはそれはないけれど、代わりによそ者を滅多なことでは受け入れないのだという。だから権利を購入しなくても住める筈なのに、みんな大きな都市で市民権を購入するのだそう。お金で解決する話であるのなら、そうした方が楽なのだろうと思う。
まあ、移動販売商人の場合は、商売的には大都市のほうがいいというのもあるだろう。
私の場合はもともとアンの知り合いだということと、工房長が私に対して好意的でいて下さるから、工房長のご家族の家を借りられそうだけれど、もしも無関係な土地に行こうものなら、絵を売ることで家を借りたり買ったりするお金は作れても、住むこと自体は拒絶されていたかも知れないわね。
「──それに、本を借りている人は、身分証明書を提示することで、その本を読む権利を持つと同時に、その本をなくしたり傷付けたりした場合、本の補修代金やら弁済金やらを支払わなくてはならないものなんです。
私に口頭で返却を依頼するのであればともかく、そんな風に乱暴に扱って、なにかあったらどうするおつもりなんですか?」
「知らないよ、あんたがひとりじめして、いつまでも返さないのが悪いんじゃん。」
理解できないとでも言いたげな、まったく悪びれない態度。冒険者の身分証明書の権利が最下位なのもうなずけるわね、こんな人たちに、なんの保証人もない状態で、この国で好き勝手されてはたまらないわ。
よそ者を滅多なことでは受け入れないという、村や町の考えも無理からぬことだ。
本当にアンと工房長のおかげだわ。アンの村が駄目だったら、私はどこかの大都市で家を買うか借りるかすることになっただろう。
私は貴族だから市民権はあるのだし、お金さえあれば文句を言われないものね。
だけどそういう場所には危険もつきもの。
ある程度お金を持っている人たちが、住んでいることが分かっているから、犯罪者にも狙われやすいという欠点がある。
ロイエンタール伯爵家もそうだけど、貴族の屋敷には専属の護衛兵士たちがいる。だけど私にそんな人たちを雇うお金なんてない。
イザークと離婚すれば伯爵夫人ではなくなるけれど、それでも子爵令嬢なのだ。そんな私がたった1人で暮らしていて、しかも子爵令嬢であると知られたら?実家にお金がないとか犯罪者が調べもしないで襲って来たら?
そう考えると大都市に暮らすという選択肢は初めから考えられなかった。
農業を中心とした自給自足の村や、商店なんかの集まった小さな町には、昼間外に出ている人間の数が、数こそ多くないもののそれなりにいる。なおかつ大半の人間がお互いに顔見知りのご近所さん。つまりは人の目が多いということ。犯罪目的で入り込んだよそ者なんかがいれば、すぐに誰かが不審に思う。
そういう場所こそ私のような1人で暮らしたい女性に向いているのだ。大都市にはそれがない。隣近所の顔も知らないなんてこともあるそう。おまけに襲われていたとしても、知り合いじゃないから助けてなどくれない。
戦う術のない人たちの場合、自分の命を危険にさらす行為だし、それは決して非難されるようなことでは、もちろんないけれど。
私だって、下手に正義感を出すより、それが正しい自分の身を守る行為だから、静観したほうがいいのは分かってはいる。
役人を呼びに行ってくれれば、まだいいほうで、路地裏に突然連れ込まれた人がさらわれた、なんて話も聞く。絶対住みたくない。
今後彼女のような人に遭遇するとしたら、きっとそういう地域でしょうしね。