それからアンはこの村の決まりごとを教えてくれた。このあたりでは農家をしている家が多く、ヨハンを通じて野菜を売ってお金を獲得していること、村で作っている野菜は出来る限り村で買うこと。まあ、美味しいし村で買うと安いんで、あんまりよそで買うことはないですけどね!とアンは笑った。
そうすることで、1つの農家が1つの野菜に集中して育てられるので、効率がとてもいいのだそうだ。野菜は植え方も手のかけ方も収穫出来る時期も違うから、なのだそう。
誰々さんの家ごと、で作っている野菜とは別に、村全体で作っている高く売れる野菜もあって、それは村人全員で交代で世話をしていて、売上も均等に分配するらしい。
そうしないと、うちも高く売れる野菜だけを作りたい!となってしまうことからと、全体で作ることで質が安定し、この村で作っているからということが、1つのブランドになっているのだという。だからこの村の結束力は高いのだそうだ。そしてこれを提案したのが、なんとアンの夫のヨハンなのだそうだ。
誰よりもその野菜を美味しく作ることの出来たヨハンが、村全体に技術を教える代わりに、生産力とブランド力を高めるのに協力して欲しいと提案したのだそう。……まだ若いのに、ロイエンタール伯爵家の出入り商人になったことといい、アンの夫は平民の中ではなかなかのやり手なのではないかしら?
それをアンに言うと、そうでしょう?ヨハンったら凄いんです!と可愛らしくドヤ顔で夫を誇った。腰に両手を当てて胸をはるアンの姿に、愛おしく思うと同時に切なくなる。
……アンのことが羨ましいわ。私もこんな風に、誰かに夫を自慢したり、されたり出来るような関係が、築けたら良かったのにね。
それからアンと、昼休憩で自宅に戻って来たヨハンと共にお昼ご飯をいただいた。すぐに帰っては来れない距離に仕事に行く時以外は、こうして帰って来てアンの手料理を食べるのだという。アンはとても料理が上手だ。
ロイエンタール伯爵家では、料理人がいるから滅多に作らなかったけれど、それでもお菓子はよく作ってくれたものだ。
胃袋を掴まれちゃったんですよね、と嬉しそうにアンの料理を頬張るヨハンを、幸せそうに見つめるアン。私はそれを微笑ましく見つめた。私の幼なじみで妹で親友の彼女は、とても素敵なご縁に恵まれたのね。
食事が終わりお茶をいただきながら、
「そういえば、私、以前アンと一緒にお試し絵画教室に行ったでしょう?」
「お嬢様はかなり絵を描くことを気に入ってらっしゃいましたよね、ヨハンにキャンバスを追加で頼んだと伺っています。よい趣味が見つかって良かったですよね!」
と、アンが嬉しそうに私に微笑みかける。
「そうね、いいきっかけだったと私も思っているわ。連れて行ってくれてありがとう。」
私もアンに微笑み返す。
私はもともと結婚前から家に引きこもりがちだったのに、まったくの無趣味だったことから、部屋でのんびりと本を読むくらいで、以前から何かご趣味を持ってみてはいかがですか?と、アンに言われていたものだ。
画集は持っていたから、そもそも少し絵に興味はあったのよね。だからアンも工房に連れて来てくれたのだろう。もちろん、魔石の粉末入りの絵の具を作る工房が近くにあるだなんて、こんな小さな村じゃ珍しいことでしょうし、ましてや有名人が使っている絵の具を作る工房だなんて、村の誇りだと思うわ。
それを見せられるという点においても、あの魔石の粉末入りの絵の具工房は、この村に知り合いが訪ねて来たら、必ず連れて行きたい場所の1つなんでしょうね。
「あれから描き続けた絵が、魔塔に魔法絵として認めていただけることになったの。」
「──お嬢様の絵が魔法絵!?それも魔塔に認められた!?じゃあ、お嬢様はこれから、魔法絵師になるってことですか!?」
「……魔塔は凄いですよね、僕らじゃ生涯、関わることのない場所ですよ。」
とヨハンも驚く。
それを聞いたアンが、あら、ヨハンなら魔塔にだって、いつか商品をおろせるようになるに違いないわ!この短期間でたくさんの取引先を増やして、それも全部が凄いところばかり、おまけにバラバラだった村を1つにまとめたじゃない!と言って、ヨハンが、そ、そうかな?と頭の後ろに手をやって盛大に照れている。はいはい、ごちそうさま。
私は思わず笑いながら、
「それでね?私の描いた魔法絵の力は、絵に描いたものを、絵を撫でるだけでその場に召喚出来るというものだったの。だから、はいこれ、アンにこれをあげるわ。」
私は一番小さなキャンバスに描いた絵と、絵を入れる木箱をアンに手渡した。
「召喚!?それってなんか凄そうですね!
──え?というか、これって……。オムツとか、赤ちゃんの着替えの絵ですか?」
「ええ、そうよ。それと、これもね。はい、アンとニーナにプレゼントよ。」
私は絵に描いたものと、まったく同じ赤ちゃん用品をアンに手渡した。
ニーナのかえのオムツや着替を2種類、敷物、玩具、授乳ケープ、おしぼりをいくつかと、それを使ったら入れる為の布袋、ハンカチを数枚、赤ん坊が眠った時用のおくるみなどだ。アンが以前持って出かけた時の物と数を参考にさせて貰った。たぶんこの数と種類で間違っていないと思うけれど、別に不足があれば、後からいくらでも描き足せばいい。
これは以前家令に命じて、ここに来るだいぶ前に、近場でメイドに買ってこさせたものだ。これを私は持ち運びがしやすい小さなキャンバスに、あらかじめ描いておいたのだ。
「この絵を、左から右に撫でてみてちょうだい。絵に描かれたものが絵から出てくるわ。絵に品物をしまう時はその逆ね。」
アンが絵を左から右に撫でる。すると渡したプレゼントたちが、絵からスッと飛び出て来た。敷物とは別に、下に描いた布ごと、上に赤ちゃん用品が乗っかった形で。
「……凄い……!本当に絵から描いたものが飛び出てくるなんて!」
アンは右から左に絵を撫でて、絵の中に品物が消えていくのに驚いていた。
「直接どれか1つを絵に近付けてもしまえるわ。以前アンと出かけた時に、ずいぶん大荷物だったのを見て、ずっと考えていたの。もう少し楽にしてあげられないかしら?って。
描いたものしか出せないから、これと同じものしか出てこないけれど、これからはお出かけの時はこの絵だけ持てば楽でしょう?」
私がそう言うと、
「お嬢様……!」
アンは絵を抱きしめて涙を浮かべて、泣き笑いのような表情で私を見つめた。
「おいおい、抱きしめちゃって、絵は大丈夫なのか?いくら乾いてると言っても……。」
ヨハンの言葉に、アンが慌てる。
「あっ!そうか!すみません!」
アンは椅子から立ち上がり、急いで体から絵を離すと、慌ててひっくり返して絵を見たけれど、無事でした〜!とホッとしたように笑った。それを見て私もヨハンも笑った。
アンは赤ちゃんの着替えを描いた絵を木箱にしまい、改めてお礼を言ってくれた。
「──私の絵を最初に人にプレゼントするのなら、あなたと決めていたのよ、アン。
あなたが喜んでくれて嬉しいわ。」
「お嬢様……!!あの家から出たら、絶対この村に住んで下さいね?お嬢様は私が絶対に幸せにしてみせますから……!!」
「アン……!!」
椅子から立ち上がっていたアンが、ウルウルと目に涙をためて私に近寄り、私の頭を抱えて抱きしめてくれる。私たちは涙を浮かべてお互いを抱きしめあった。
「オイオイ、僕よりもお嬢様かい?まったくもう……。まあ、アンのそういうところに惚れちゃったんだから、まあ仕方がないか。」
アンの私に対するプロポーズのような言葉に、ヨハンが少し焦って苦笑しながら私たちを見ている。ごめんなさいねヨハン、少しだけあなたのアンを貸してちょうだい。今の私にはどうしてもこれが必要なの。なんの駆け引きも他意もなく、ただお互いを思いやれる相手との心の交流が。──アンの前でしか、私は素直に泣けないのだから。
それからお互いにわれにかえって、ちょっと恥ずかしいですね、と照れているアンに、私も、そうね、とほんの少しだけ恥ずかしくなって笑う。ヨハンが、2人は本当に姉妹みたいだね、と笑った。姉妹で幼なじみで親友だもの。アンは私の一番の味方よ。
「それでね、召喚の力のある魔法絵が描けることが分かったから、今度魔物の絵を描きにいこうと思っているの。私が描いた絵を持っていれば、魔力のない人でも魔物を操ることが出来る筈だわ。それを試してみたいのよ。
もしそれが成功すれば、高く売れる絵になると思うの。そうしたら、すぐにでもあの家を出て自立して、この村に住むわ。」
私がそう言うと、両手をあげて喜んでくれると思っていたアンが難色をしめした。
「お嬢様……。それはあまりにも危険過ぎるのでは?──魔物って、騎士団の演習や冒険者たちが狩るものですよね?そんな近くで、のんびり絵が描けるものだとは、とうてい思えないです。危ないですよ。」
と言った。
「そうかしら?
でも、王立学園でも、騎士クラスや魔法使いクラスの生徒たちが、授業で狩りに行っていたじゃない?誰か護衛をつければ、そこまで危なくもないんじゃないかしら。」
「僕も危険だと思います、奥様。」
私はアンは少し心配し過ぎね、と思っていた。だけどそこにヨハンも同調する。
私の魔法絵の力は魔法絵師のスキル持ちと同じもの。魔物を召喚出来るのであれば、それが最も高く売れる筈だわ。自立の為に絵を売るのであれば、魔物を描いた絵を売らないという選択肢はない。それが売れる時だけを夢見て今まであの家で我慢をしてきたわ。だけど2人して私を説得にかかってきた。
「お嬢様、お願いです、それだけはやめて下さいませんか?」
「僕も同意見です。何があるかなんて分かりませんよ。王立学園の生徒たちは、全員が戦えるうえに、魔物を前に気を抜いたりなんてしない筈です。戦いの場でのんびり絵が描けるとはとても思えません……。」
ええ?そう言われるとそうかも知れないと思うけれど、少し大げさじゃないかしら?